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2013年7月

2013年7月31日 (水)

争乱の戦国史32 (室町Ⅱ22): 国に府庫なし

 1420年頃、室町幕府は従前の税に加え、新たな財源として開拓し、依存度を強めたのが、土倉役と酒屋役(金融業者や酒屋に対する課税)である。これは3代将軍・義満が1393年、恒常的な税として賦課を開始したものであり、その後も幕府の重要な財源であり続けた。
F32_2 日朝間の貿易も活発になり、1420年(応永27)に来日した朝鮮回礼使・宗希瓊(ソウキケイ)の通事・尹仁甫は、室町幕府の財政状態を見て「国に府庫(財貨の蔵)なし。唯富人をして支待せしむ」と評した。幕府に定まった収入もなく、場当たり的に富人の財力に頼っているのに驚いたのである。
 この富人とは有徳人と呼ばれた土倉や酒屋を営む富裕層の事で、幕府の経常収入源としてあてにされただけでなく、臨時課税の対象とされたのである。又、幕府財政は政所の担当だが、政所の官庫はなく、実務は納銭方に出入りする有力土倉業者に全て委ねられていのである。(は京の土倉・酒屋の分布図1426年頃))

 尚、この土倉役の賦課が荘民からの要求で行われる事もあった。それは、「富める者支払うべし」とする「有徳思想」に基づいた民衆の支持があったからである。土倉役・酒屋役と徳政一揆は、両方とも有徳思想という同一基盤の上にあったと言える。
 従って、嘉吉の徳政一揆により、土倉・酒屋という重要財源を失った幕府は忽ち財政難に陥り、幼少将軍・義勝就任が拍車をかけた。幕府の徴税能力低下は土倉役だけでなく、守護出銭など保管領域にも及び、早急な財政再建に迫られた。その結果、贈与依存型財政という特異な財政構造に転換してゆくのである。

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2013年7月30日 (火)

自然(神々)の脅威ー山陰豪雨

 一昨日から昨日にかけての山口。島根の記録的豪雨は、気象庁の「かってない豪雨」という表現の通り、津和野川沿いの各地集落は大被害を蒙った。
 かって、太古の人類は大自然の各種脅威の中に、人間が太刀打ちしようのない自然の猛威に””を見た。荒ぶる神を鎮めるために祈った。荒ぶる神々は山にも磐にも樹木にもいた。八百万の神々だ。それを恐れ、敬まった。これが日本の”神道”なのだ。故に奈良時代、大和の都城や平城京には寺院は有っても、神社はない神は社(ヤシロ)に居るのではなく自然の中にいるのだ。
 故に、神々に逆らって自然を歪めてはならない。原発、遺伝子操作等々神の領域に手を入れてはならないのである。とそんな事を思った。今日は今盛りの花
Photo ルリマツリ(瑠璃茉莉花)。別名アオマツリ、プルンバゴ(Pulumbago)。プルンバゴには約20種類あり、その中のアウリクラータ和名でルリマツリと言っている。ルリ花色から、マツリは花がジャスミンのマツリカに似ている故の名前である。

                
Photo_2 同上の花接写。暑い夏には涼しげな花色人気があるようだ。尤も、この花は赤や白色の近似種があるという。南アフリカ原産乍ら、大阪以南であれば屋外で冬を越すそうだ。花期は6-11月と長い故か、最近庭植えしている家が多い。

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2013年7月29日 (月)

争乱の戦国史31 (室町Ⅱ21): 嘉吉の徳政一揆

 1441年8月、将軍義教暗殺事件と前後して、一揆衆が京都周辺を封鎖し、酒屋・土倉(金融業者)を襲うという大一揆が勃発した。
 この一揆は京都に集中し、8月末頃、近江で馬借(運搬業者)の不穏な動きがあり、ついで清水坂辺りで一揆と近江守護兵の小競合い、9月初めには坂本・三井寺近辺・鳥羽・伏見・嵯峨・加茂と、京都周辺の各地に一揆が活動を始めた。9月5日には一揆は16ヶ所に分かれ、京都の7つ口他全ての出入口を固め包囲した。
F31_2 この一揆は京都周辺の農民たちが大挙蜂起した上、京都出入口を組織的に押え、酒屋・土倉を襲い、阻止しようとした幕府軍と戦った。土蔵や金貸しをしていた大小寺院も襲れ、借書は焼き払れた。
 そして一揆は決して烏合の衆ではなく、地侍による指揮に従い戦術面でも組織性が見られ、極めて計画的な一揆であった。幕府側がこの勢いに押され、土民或いは馬借だけに徳政を認めようとした時も、一揆側は公家・武家にも適用される「一国平均」の徳政令を求め、譲らないという計画性を示した。(:嘉吉徳政一揆分布図
 (図は「詳説日本史図録(第5版)山川出版社」より)
 対して幕府や酒屋・土倉の足並みは揃わなかったが、子に一揆は守護大名畠山持国の工作によるものとする見方がある。この頃、三管領の中で、細川持之と畠山持国は激しい勢力争いをしていた。そして8月、畠山持国は領国の河内~から兵を率いて入京した。勿論細川へ圧力をかけ、勢力回復のためであり、一揆はまさにこの行動の一環で、山城の国人・地侍が畠山の指示によって一揆を組織したというのが通説である。9月12日、一国平均の徳政令が発布され、一揆の目的は蜂起からわずか半月で達せられたのである。
 尚この一揆で、注目すべきは村の合力である。広範囲の村々を結ぶ合力のみならず、他村に対し或いは領主に対し合力を求めたことである。惣村は強い軍事力を持ち、それを背景に、領主層と対等に近い同盟関係を結び、幕府も村々の軍事力を無視しえなくなっていた

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2013年7月28日 (日)

福島、除染費用をどうする?

 原発破損による放射能汚染の除染費用をどうするか。福島県内の除染だけで5兆円賠償を含めると10兆円超と試算されている。この費用をだれが負担するか。除染費用は国にが立て替え、後で東電が支払うことになっている。ところが、除染費用の他、当然廃炉や賠償まで含めると返済に何十年もかかり、東電は将来が描けず会社が持たないと言っており、一部を国に負担して貰いたいとしている。
 政府内は賛否が分かれ、経産省「事故の責任は政府にもある。除染費用支援は必要」とする声があるに対し、財務省「現行法では、原発を動かしていた東電以外の負担は考えられない」としている。選挙中、この問題を封印してきた政府も明確な方向性を示す必要に迫られている。元々国策による原発事業という意味では国も責任があるが、それが即国民の負担となし得るものなのか。何か釈然としないのは私だけだろうか。今日は今咲いている花、アゲラタム。
Photo アゲラタム(Ageratum)。別名カッコウアザミ(郭公薊)。中南米原産。キク科。花期は7-10月。多年草ながら日本では寒さで枯れるので、春まき一年草となる。切花向きの背丈の高い「高性種」と、花壇・鉢植え向きの「矮性種」、その中間種の3タイプがある。これは、小学校横の花壇にあった「矮性種」
Photo_2 花の拡大図。花色は青、白、紫、ピンクがある由。沖縄では雑草化しているという。アゲラタムの否定語ゲラス年を取るの意。故に「老いを知らない」、即ち長期に咲くところから来ている。郭公薊葉が薬草の郭公に、花が薊に似ている故の名。夏に花が絶えたら、切戻すとまた咲くそうだ。
 お知らせ:当ブログ、「戦国史」の項1回に、「日記」の項2回の割合で掲載していますが、「戦国史」の話の進展が遅いので、今後は両者交互に掲載します。

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2013年7月27日 (土)

争乱の戦国史30 (室町Ⅱ20): 平安京の商工業都市化

 話が若干遡るが、1430年代京都の町の変化について見る。
 平城京(奈良)、平安京(京都)は古代国家の「王城の地」であった。天皇と貴族が政治を執行する政治都市であり、且つ大社寺が国家の安寧と秩序を祈願する宗教都市であった。
 ところが、室町幕府が京都に開かれ、多数の将兵が常時駐屯するようになると、消費人口が急増した。流入してくる物資も急増し、本来備わっていた。京都の手工業生産、商業活動は強く刺激された。
 最も顕著であったのは造り酒屋で、北野神社に残されている1425・6年(応永32・3)の「洛中洛外の酒屋名簿」によると、合計342軒が登録されている。そしてその大半が土倉(金融業者)を兼営しており殆どが市中北西部に集中していた。
F30_2 酒米の確保という点で、京都は地理的に都合の良い場所である。元々荘園領主の集まり住む場所なので、馬借(馬を使った運送業者)が運ぶ北国米や舟で運ばれる西国米など諸国の年貢米は皆京都に集まり、三条室町と七条に立てられた米国市場で取引された。(馬借(石山寺蔵)

 三条、七条の米場の権利を持つ四府駕与丁(貴人の駕籠・輿を舁く人が結成した座で、禁裏左右の近衛、兵衛の4府の座)は、上京を中心に散在し、薬・唐物・上布・綿・酒・味噌・そうめん・襖・材木・炭・銅・紙折敷・茜・紺など多数の商品を扱った。扇などは木工寮を本所とする座が独占し、掃部寮には紺灰座、図書寮には宿紙座が所属した。(:中世の商工業の同業組合で、貴族・社寺の保護を受け、商品の製造・販売の独占権を持った)
 八坂神社にも多くの座が所属した。下京を中心とする商人群で、綿・小袖・絹・袴腰・材木や魚・紺などがあった。手工業の座としては七条町の銅細工や銀細工、三条粟田口の刀鍛冶・釜座などがあった。
 商工業の発展により、京都は以前に比し大変な賑わいを見せ出したのである。

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2013年7月26日 (金)

TPP、FTA、EPA相関連する複雑交渉

 日本が初参加したTPPにおいて、日本についての集中討議する会合が昨日終え、閉幕した。日本が重要視する農産物などの関税撤廃を巡り、各国の意見対立が激しく、次回会合以降にも協議を継続することになった。
Photo 武力による国際間の問題解決は過去のものになりつつあり、交渉による諸問題の解決が主となり、それなりに困難だが、今後はその交渉力こそが国力を示すことになろう。

 さて、暑い中、気分だけでも涼しい(上・中ハツユキソウ(初雪草)を見かけた。北米原産、トウダイグサ科。
Photo_2 夏になって葉の縁が白く彩られる。園芸種は「氷河」という品種。日本には江戸末期(1860年頃)導入された。花は花冠が退化中図し、雄しべ、雌しべだけとなっている。草丈60-100cmで本来観葉植物である。但し、葉や茎の切り口からでる乳液は皮膚に炎症を起こす由。花期は7-10月。
Photo_3 コヒルガオ(小昼顔)。昼顔の近縁種で、花弁が3-4cmと昼顔より小さく花柄に縮れたヒレがあること。葉の形が若干異なることぐらいの違いである。昔は園芸種もあったようだが、今は雑草に混じって咲いている。日本では本州・四国・九州に分布。 

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2013年7月24日 (水)

猛暑に咲く野草

 英国皇室、キャサリン妃の第一子に王子誕生。何はともあれめでたい。さて福岡、一昨日36℃、昨日37℃全国での最高気温を継続中。長期予報もここ暫くは下がりそうもなく、且つ雨が降らないので草木の葉も萎れている。そんな中でも咲いている野草。
 Photoホウセンカ(鳳仙花)。昔懐かしい花が路傍に咲いていた。本来の花色は赤だが、園芸種には白、ピンク、紫がある。尚、園芸種では椿咲き(八重咲)が多い由。又最近は草丈20-30cmの矮性種が好評とか。赤い花は昔女性が爪を染めたので、ツマクレナイ、ツマベニ(爪紅)の別名もある。
Photo_2 マツヨイグサ(待宵草)。初夏の小待宵草に代り、雑草に混じって伸びてきて花を咲かせている。これは葉先が尖がり、浅鋸歯で、花がしぼんでも赤くならない特徴から「雌待宵草」の種かと思う。パイオニヤ植物と言われ、荒地、瘦せ地で繁茂するが、他種植物が増えると消滅する。月見草は全く別の花。
Photo_3 ヘクソカズラ(屁糞蔓)。匂と繁茂する故嫌われるが、花は至って可愛いサオトメバナ(早乙女花)の別名が在る。万葉集には1首だけ、これの歌がある。高宮王(タカミヤノオオキミ)の歌「サイカチに延(ハ)おほとれるくそかずら絶ゆることなく宮仕へせむ」(サイカチ(木)に絡みついているヘクソカズラの様に、私はいつまでもお仕えしますとの意)。

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2013年7月23日 (火)

争乱の戦国史29 (室町Ⅱ19): 嘉吉の乱ー将軍暗殺

 6代将軍・義教の頃。九州や東国は未だ辺境と言われ、幕府にとって東国の争乱は第二次的であった。関東公方が独走する根拠だ。しかし、永享の乱、結城合戦の動乱は直ぐに中央の幕府内に影響し動揺を与えたのである。その証が、東国動乱後やっと鎮まった矢先、将軍が暗殺される事件・嘉吉の乱が勃発したことである。
 1441年6月24日(嘉吉元)、京都、摂津・播磨守護・赤松満祐邸戦勝祝を兼ね、将軍義教を迎え猿楽鑑賞の宴が盛大に催された。勿論、管領細川持之以下、畠山、山内、京極ら諸大名も参席していた。
F29 宴たけなわの頃、突如奥の方から雷鳴の如き轟と歓声が起こり、後ろの障子が開き大刀を振りかざした武士数人が将軍に斬りかかった。義教はひとたまりもなく斬殺され、京極、山名も殺され大内も傷ついた(後日死亡)。管領・細川持之は辛くも脱出したが、暴走を取押さえ様とする者や追っ手を差し向けようとする者も居なかったという。(義教の首塚(安国寺))
 張本人は他ならぬ祝宴主人役・赤松満祐その人だった。満祐は義教の首級を上げるのが目的であり、生き延びる積りもなかった。ところが討手の気配もなく、夜でもあり、気が変わり、可能な限りの抵抗をしようと、邸宅に火を放ち、自分の領国播磨に下ったのである。一方、幕府は翌々日になってようやく会議を開き、義教の遺子・千也茶丸(義勝8歳)を後継と定め、赤松追討の軍略を練った。
 しかし、赤松追討軍の出発は手間取り、事件後10日余り後のことだった。追討軍は侍所別当・山名持豊の軍勢を中心に編成。7月28日京を出発し、丹波・但馬路を進み、この地方の国人も山名軍に合流9月5日播磨の書写山の坂本の到着、堀城を攻略。遁れて揖西郡・木山城に籠った満祐を攻め9月10日陥落。逃げ場を失った満祐は弟・義雅らと自害し、嫡子・教康も伊勢で殺され乱は終わった。赤松遺領は戦功者に与えるという評定会議の決定が功を奏したのである。又、この乱の結果、後花園天皇による幼少将軍に成り代っての幕府支配が強まり、同時に幕府権威は失墜していった。尚赤松満祐反乱の原因は所領分配で、赤松家惣領が貰うべき摂津小屋野が与えられなかったことといわれる。

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2013年7月22日 (月)

参院選、自民圧勝、だが後味悪い

 参院選の結果をどう見るか?テレビ、新聞による評価は、必ずしも圧勝!”と評価が出来ないとの意見が多いようだ。何故圧勝したのかとの理由は、大まかにいって、
.現状の閉塞的環境打破に、自民がアベノミクスなる”具体的”な取組課題を掲げ得た。が、実際の具体策は”これから検討”なのである。ところが野党は具体策が無い課題への批判・反対の論を吐けなかった財政再建、原発問題、東アジヤ外交・領土、TPP参、など取組課題をどうするかの具体策これら議論決定と云う。故に野党は与党への対立取り組み策を訴えることが出来なかった。
投票率が低く、政権政党のへの批判勢力の投票が行われてない52%強の投票率は過去3番目の低い投票率であった。投票率の低い選挙は政権政党への支持率が高くな る傾向になる。即ち、選挙民を感動させるような考え・方針を持つ政党が無い。政策論争の無い選挙であり、選挙民には選択肢のない選挙だったと言える。この事を勝った自民党をよくよく心しないと長期政権はない。
 と云う風に感じた。ところで、今日はよく判ってないサクラソウ。
1 上・下共:エゾオオサクラソウ(蝦夷大桜草)。なのか?桜草は古典園芸植物と云われる。即ち、古くからの園芸植物。江戸時代の日本は世界的にも園芸が非常に発達した地域であったそうな。その時、数百種の桜草の園芸種が作られたといわれ、現在300種があるそうだ。
Photo 但し、桜草花期が4-6月。対して大桜草7-8月。しかしこの花は花径2cm以上の大きい花でこれとは違う。よって、花期と花の大きさから、上記エゾオオサクラソウかと思うが、この花は4月頃から咲き始め今でも茎が伸びて花を付けている。形、大きさは桜草である。果たしてこれは何だろう?

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2013年7月20日 (土)

暑い! が、初秋の花も咲き始めた。

 毎日34℃を超える日が続いている。やや夏バテ気味になり始めたか、けだるくテレビの前でゴロゴロしている。まだまだ猛暑が続くとの予報だが、これから秋にかけて咲く花が開き始めている。民家の庭先、公園などで見かけた花。
Photo メランポジュウム(Melampodium:学名)。中央アメリカ(メキシコ周辺)原産。花期5~11月高温多湿に強く、真夏でも元気なので、夏の花壇に植えられる。似た花が多いが、これは花径2cm強の小さな花で可愛く、暑苦しさが無い。花に似ず葉は大きい。1990年頃日本に渡来。
Photo_2 キバナコスモス(黄花秋桜)。黄~橙の花色故の名前。園芸品種乍ら、一部逸出して野生化している由。これも花期は6~11月。秋桜より草丈は低く、早く咲く。日本には大正時代渡来し普及1960年代後半赤い花(サンセット)は日本で作出、米国審査会で金賞をとった。
Photo_3 キキョウ(桔梗)。白色の花が珍しいので撮ってきた。と言うより最近は桔梗そのものの自生種が減少し、珍しくなっている。絶滅危惧Ⅱ類に分類されているようで、その内園芸種のみになる可能性がある。

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2013年7月19日 (金)

騒乱の戦国史28 (室町Ⅱ18): 結城合戦

 1440年3月(永享12)、下総の結城氏朝が前関東公方・足利持氏の遺児・安王丸、春王丸を擁して挙兵した。結城合戦の始まりである。将軍・義教は挙兵1か月後追討令を発し、10万人の大軍を東下させるが、直後に義教は突如一色義貫と土岐持頼を、大和の陣中に謀殺した。
 一色義貫は持氏の残党を分国三河に匿った罪を問われたもので、遺領の丹後は近習の一色教親に、若狭は近習・武田信栄に、三河は近習・細川持常に与えられた。又、土岐持頼は伊勢国人・長野氏に討たれ、遺領の伊勢半国は一色教頼に与えられた。有力守護を滅ぼし、近習を守護に取り立てるという義教の意図が明白となる事件であった。
F28_2 同年6月、篠川御所足利満直が結城氏朝と結んだ石川持光に滅ぼされ7月には上杉清方・持房・教朝(関東管領家)が結城城を囲んだ。籠城軍はわずか「侍5百騎」と云われたが、慎重に対処し、長期包囲網戦術をとったので、食糧が途絶えて、翌1441年、年号は永享に変わり、4月結城城は陥落し、結城氏朝・持朝親子が敗死し、捕縛された足利安王丸、春王丸同年5月京への護送中、美濃垂井で斬殺された。(結城合戦絵詞の一部
 戦勝ムードに沸いた京都だったが、その間にも義教守護弾圧を続けた。正月に管領・畠山満家の嫡子・持国が関東への出陣を拒否し、弟の持永が畠山家の惣領となり、6月には加賀守護・富樫憲家が上意に背いて出奔、醍醐寺三宝院の稚児であった弟の泰高が還俗して家督を継いだ。
 こうして、幕府軍の全面勝利で関東支配の実権は再び関東管領・上杉憲実の手中に落ちたのである

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2013年7月18日 (木)

咲き揃わぬ木槿(ムクゲ)の花

 今年は不順な天候のせいか、ムクゲ(木槿)が一斉に咲き揃うことが無く、あちこちバラバラに咲いているが、今は本来開花シーズンなので取り上げた。
Photo 写真は薄紫色の一重白の八重白の半八重である。ムクゲはインド、中国が原産地。中近東にも自生。日本には奈良時代に中国より渡来。かっては和歌山や奈良には野生種があったとか。薬用や観賞用に多くの品種があるそうだ。木槿は剪定しないと10m以上の樹高になる由。
Photo_2 花色は白、赤、紫などあり、花径は10-18cm。花期は7-10月。花が夕方しぼむので、1日花と思われがちだが、朝開花して夕方しぼみ、翌朝又開きして、一重では2-3日。八重の長く咲くもので2週間咲くと云う。故に1日花ではない万葉集の秋の七草・朝貌(アサガオ)はムクゲだという説もあるそうだ。
Photo_3 昔から1日花と思われ、短い栄華「槿花(キンカ)一朝の夢」と表現される。その儚さゆえに華道では好まれないが、八坂神社の粽(チマキ)の代用に用いられる「白祇園守(シロギオンマモリ)」(下の写真がそれか?)は内弁があり半八重と称され、御茶事の花、生け花として武家では広く栽培されたとか。

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2013年7月16日 (火)

盛夏の中の百合

 毎日34℃となり、最低気温27℃。歳よりは熱中症になりやすいというので、早朝ウオーキング以外殆ど外出せず、過ごしている。今日はそんな熱い中咲いている百合を紹介。
Photo コオニユリ(小鬼百合)。これは民家の庭に1本だけ咲いていた少し小さめの百合。姿・かたちは鬼百合とほとんど変わらぬが、サイズが小さくやさしい感じ。鬼百合が中国よりの移入種に対し、小鬼百合日本の在来種とか。湿り気の地に自生する。百合(ビャクゴウ)は漢名和名は古くは由利(ユリ)。
Photo_2 スカシユリ(透百合)。イワトユリの園芸種だそうだ。開花し始めたところで、はっきりしなが、花が上向いているので、スカシユリと推定。開花前にこの家の主人が鉢を取り込んでしまった。開くと花弁の間が空く故の名前。北陸以北の北側海岸に自生するとか。花色は赤、オレンジ、ピンク、白がある。
Photo_3 ヘメロカリス。別名デイリリー。日本、中国の野生種のユウスゲやカンゾウなどの交配で改良した園芸種。花色、形など種々あり、一重、フリル付、八重などがあり、これは八重咲。尚、昼に咲く昼咲と、夜に咲く夜咲があるらしいが、これは朝開いて夕方萎む昼咲。山裾の小さな花壇の上に群生していた。

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2013年7月15日 (月)

番外編 追い山笠奔(ハシル)る!

 半月に及ぶ博多祇園山笠がフィナーレの今朝の追い山笠で幕を閉じた。早朝ウオーキングに出る前、テレビ実況を見たので、その一部をお伝えする。
Photo 追い山笠は4時59分の大太鼓を合図に、順次「青道」と呼ばれる櫛田神社境内の山笠が奉納のために回る円周状の道を駆け抜ける「櫛田入り」から始まる。直ぐ近くのスターと点から、この青道を出た処のゴールまでの時間を競う。最初の一番山笠だけはこの青道で止まり、「博多祝い唄」の大合唱を奉納する。
Photo_2 5分間隔ぐらいで7番山笠までと、番外の川端町の飾り山笠で、境内の常設展示に展示される巨大な山笠が、この櫛田入りだけ行う。尚、舁き山は各「流」に1台ある「流」とは太閤の町割りで出来た数町からなる自治組織で、現在まで引き継がれた「7流」があり、川端を加え8台の山笠が櫛田入りする
Photo_3 櫛田入りの後は、順次東長寺(黒田藩主の菩提寺)、承天寺(承天寺の開祖・聖一国が疫病退治の祈願を始め、それが山笠の行事に変化した。即ち山笠の開祖でもある)を回り山笠奉納後、最終ゴール・「須崎町の廻り止」をめざし一気に駆け抜ける。凡そ櫛田入りが22~28秒コースが約25分で終わる。
2 今朝は櫛田入りが5時39分に終了。よって約40分で終り、コースの方も7時過ぎには終わって居る筈だから、半月に及ぶ祭りも約2時間の追い山で終了となる。長い間町中が祭り気分で来て、一瞬のうちに終わってしまうというのはどういうものだろう。尤も、舁手たちは、暫くは後片付けと、慰労を兼ねた時があるという。
Photo_7  尚、「流」の名前は恵比寿、土居、大黒、東、中州、西、千代の7流。又、川端の山笠の櫛田入りは58秒前後かかる。
 写真.スタート点を出て櫛田入りに向っている山笠。 清道を回り込んでいる山笠。 3.コースのゴール・廻り止を目指し疾走する山笠。 .同じく市街を疾走の山笠。 .櫛田入りする川端の飾り山笠。である。

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騒乱の戦国史27 (室町Ⅱ17): 永享の乱

 前回の山門騒乱の通謀があったか、関東公方・足利持氏1434年10月頃、守護今川家の相続問題で揺れる駿河に軍事介入するため、篠川御所・足利満直に圧迫を強めた。翌1435年正月には持氏の三河国人勧誘が発覚し、京都・鎌倉の関係は悪化したが、関東管領・上杉憲実の制止で持氏は出陣を思いとどまった。
 しかし、持氏と憲実の関係は悪化し、1438年6月持氏は嫡子・賢王丸元服の際、届無視を咎めた憲実の諫言を無視し、幕府に無断で元服させ義久を名乗らせた。同8月憲実は鎌倉の屋敷を出奔し、分国上野に降り、持氏は憲実討伐のため武蔵野高安寺に出陣。将軍・義教は駿河守護・今川範忠、篠川御所足利満直らに憲実合力を命じ、又上杉弾秀の遺児・持房、教朝を大将に幕府軍を関東に派遣した。永享の乱勃発である。
 当時、義教の弟・大覚寺義昭(義持後継候補だった)が大和天川に挙兵。反幕府勢力を結集しての挙兵で、幕府軍は釘付けとなり、漸く9月に斯波・一色が関東に向かった。
F27 幕府軍10月鎌倉に進攻し、11月には上杉憲直・一色直兼等、持氏主力の武将を討ち果たした。持氏・義久親子の出家、赦免願い及び上杉憲実の使者による助命嘆願もあったが、義教はこれを許さず、二人の追討を憲実に迫ったが、憲実はためらい続けた。従って、翌1439年閏正月には京都勢による持氏追討案が具体化。追い詰められた憲実は遂に持氏を鎌倉永安寺に攻めて、持氏、叔父の稲村御所・足利満貞を自刃させ、後義久も報国寺で自刃して永享の乱は終わった持氏自刃の図
 罪の意識に苛まれた上杉憲実は剃髪し、持氏墓前で自殺を図るも家人に止められ未遂に終わる。その後、家督は弟・清方に譲り伊豆国清寺に隠棲した。

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2013年7月14日 (日)

囲碁ゲームで特訓中

 早朝ウーキングをやっていると、昔勤めた会社のOBと時々顔を合す。共に会社の囲碁クラブに入っていた関係で、彼が通ってる公民館の囲碁クラブに誘われ行って見た。で、新人が来たというので、いろんな人から対戦申し込みを受けやってみたが、何しろこの20年間全然やってないので「赤子の手をひねるように」やられっぱなし。かっては、日本棋院の初段認定を貰ったが、現状では3~4級位の力しかないであろう。
 そこで1念発起して、パソコンの囲碁ゲームを探すと「COSUMI」なる無料ながら、実力に応じ自分で置石数を勝手に決めて打てるし、いくら打っても無料のゲームを発見。以降毎日の如くパソコン相手に打っていると、少しずつ「昔の杵柄」が甦りはじめた。故に暑い最中の外出はやめて専らパソコンと戦っている。今日の花は暑い時咲く黄色の花。
Photo ダイヤーズカモミール(Dyer's chamomile)。南欧原産で英国、米国にも帰化している。ハーブのジャーマンカモミールとは別種で、香りはない。花壇向きの花で、花期は5~7月。別名紺屋カミツレ(原名の直訳)という名の通り、草木染めに使われる由。
Photo_2 ヒマワリ(向日葵)。別に珍しくもない花だが、これはかなり大型の花で、草丈は2階のベランダまで届いているから、3mを越えているだろう。それが珍しく撮ったもの。この花の外輪は黄色い花びらを付けた舌状花、内側の部分は花弁の無い筒状花が沢山集まったものである。花は若い時以外は太陽に向かないが、上部の葉は太陽に正対するという。

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2013年7月12日 (金)

小惑星の捕獲

 米航空宇宙局(NASA)の局長が日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)理事長に対し、無人探査機で小惑星を「捕獲」して地球の近くに搬送する計画への協力を要請した。奥村理事長は、「はやぶさ」が小惑星のサンプルを持ち帰った経験をもとに、協力の意向だそうだ。
 NASAの計画は、小惑星を柔らかい素材で作った捕獲装置ですっぽり包み込んで地球と月の重力の釣り合う位置まで運んで、宇宙飛行士が探査するというものだそうだ。
 「星を捕まえる」という表現がなんとも面白く、『宇宙少年』の夢を追う様で、楽しい話だ。暑い最中、一服の涼感を感じた次第。今日はその暑さの中の艶やかな花。
Photo ヒメヒオウギスイセン(姫檜扇水仙)。なんとも長い和名だが、別名モントブレチア(学名)。南アフリカ原産。明治中期に渡来、園芸種として入ったが、繁殖力旺盛で今は各地で野生化。これも山裾の雑草の中に咲いているもの。未だ半分蕾状態だが、花期は7-8月。花色はオレンジの他、黄色、濃い赤色などがある由。
Photo_2 サフランモドキ(Saffraan擬)。本名ゼフィランサス、別名カリナタ(学名)。西インド諸島原産。サフラン似ている故の名前。江戸末期(1845年)に渡来。花期は6-10月。タマスダレと同じ彼岸花科。柔らかいピンクがなんともやさしい花だ。

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2013年7月11日 (木)

争乱の戦国史26 (室町Ⅱ16): 山門(延暦寺)の騒乱

 1431年、前将軍・義持の妻・日野栄子の死により、前将軍の呪縛から解放されたが如く、6代将軍・義教は持病のせいもあり、その凶暴性が増したといわれる。が、これは義教の暴走を抑えてきた管領・畠山満家の逝去1433年9月の影響も大きい
 満家に続き、翌月後小松法皇、12月管領・斯波義淳まで死去した。
 こうした義教政権を支えた宿老に代り発言力を強めたのが、管領就任の細川持之と、越智・箸尾征伐で信望暑厚い前侍所・赤松満裕である。この細川持之の管領就任後間もなく勃発したのが永享の山門騒乱である。
F262_2 事の発端は、1433年(永享5)7月山門(比叡山延暦寺)が光聚院猷秀(コウジュウインユウシュウ)不正を訴えて起こした嗷訴(ゴウソ)である。延暦寺の下級僧侶・猷秀は手広く金融業を営み、義持の寵愛を受け、権勢を誇る北野松梅院禅能の所領を借金のかたに手に入れたほか、同じ山徒にも多額の貸し付けを行い恨みを買っていた。山門は、その猷秀を修造費横領と不当な高利貸し活動をした廉で訴えた。山門は猷秀の斬罪を主張し、便宜を図ったとして近習・赤松満政(播磨守)と山門奉行・飯野為種の二人を糾弾した。将軍義教と義教の鎧・兜
 嗷訴に激しい嫌悪感を持つ義教は、当初山門討伐の姿勢を強く見せたが、諸大名のとりなしで、嗷訴首謀者の断罪を条件に猷秀と飯尾為種の流罪を認めた。こうして、嗷訴は一旦終息した。が、畠山満家の死後、山門は再び強訴に及んだものの、間もなく首謀者が降伏してその年は平穏に暮れた。ところが、翌1434年5月頃から、山門と関東公方とが通謀しているとの噂が広まり、義教は山門領が集中する越前・若狭・近江3ヶ国の守護・守護代に命じ国内の山門領を押領させ、又山門領年貢3分の1を住民に給与し、山門の経済封鎖をした。
 その間、近江守護・六角満綱は近江南半を制圧し、一部の村は六角氏の徴発に応じ、野伏(傭兵)を提供した。10月には義教は山門神輿の入洛に備え守護勢を配置。又京都近郊の村の山門勢の攪乱も命じた。このように幕府や守護が本格的に村の軍事力を動員し始めたことは、注目されるところで、村の軍事力を如何に味方とするかが大きな関心事になってゆく

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2013年7月10日 (水)

猛暑が列島を襲う

 

福岡では昨日今日と最高気温34℃。暑くてたまらんと思っていたら、名古屋は37度、首都圏も各地で最高気温記録を塗り替えている。山梨・甲州市では39・1℃とか。原因は太平洋高気圧とチベット高気圧が列島上で重なっているからという説明だが、2010年(過去最高記録)以来の暑さとか
 熱いとそれなりに経済効果もあるというが、反対に不振をかこつ業種も多いようだ。農産物は殆どが商品劣化、街の商店街は人出が無く閑散としている。又熱中症が多発し、死者も増加等々。但し、今夏は今がピークかもと云う話もあるが、せめて体温以下まで下がって欲しいものだ。今日は早朝ウオーキングで路傍で見た花
Photo テンニンギク(天人菊)。アスファルト道路と歩道の僅かな隙間に生えているもので美しいからか、誰も抜かずに咲き続けている。別名ガイラルディア(学名)。又特攻花とも呼ばれる。鹿児島・知覧からの特攻機が中継地・喜界島に降り、飛び立つ時島娘から贈られた花である。花径6~8cmの2色花弁(バイカラー)が特徴。
Photo_2 ヒルガオ(昼顔)。これも道路と歩道の間のフェンスに巻きついて咲いていた。朝顔と同じ時刻に開くが、昼過ぎまで開いている。昼顔は通常薄紫だが、この花は極端に薄い紫であった。全草乾燥した漢方「旋花(センカ)は瀉下、利尿剤に使う。

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2013年7月 8日 (月)

梅雨明け間近?

 梅雨前線は北上し、向こう1週間晴れ時々曇り、最高気温31~33℃との予報。これって、梅雨明けじゃないの?と思うが、天気予報では梅雨明けとは絶対に言わない。気象学的には未だ梅雨前線が南下する恐れがあるからだろうとは思うが、気象予報では遅すぎる梅雨明け宣言は「実は既にあけていた」と訂正されることがままあるが、早すぎて「実はまだ明けていませんでした」と言う早すぎ宣言の訂正はされた事が無いという。どうしてだろうか、気象予報士に聞いてみたいものだ。
 そんな中、夏の花々が咲いている。今日も咲いている花を余り見ないものを紹介。
Photo カラスウリ(烏瓜)。烏瓜の実赤橙色で目立つ花をご存じの方は少ない。誠に奇妙な花弁だ。この花は夕暮れ時に咲き始め3時間ほどで満開となり、朝日に照らされると萎んでしまうからだ。これは早朝ウーキング時、萎む寸前のもの。雌雄異株だが、よく似た花を付ける。これは雄花で雌花より少し大きい。名前に似ずカラスは食べないが、ススメガが蜜を吸い受粉の役をする。
Photo_2 バーベナ(Verbena)。クマズラ属(バーベナ属とも言う)の総称で、種は250位あり、花色、葉の形も種々ある。別名ビジョザクラ(美女桜)。日本ではクマヅラ(オフィキナリス)という種が自生する。写真は公園の花壇のもの。グランドカバーによく使われる。

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2013年7月 7日 (日)

争乱の戦国史25 (室町Ⅱ15): 海賊衆(倭寇)の跋扈

 倭寇は鎌倉時代の中頃から高麗(半島)の沿岸各地に侵入し、主に米や人間の略奪を繰り返した。彼らの活動が最も激しかったのは1470~80年代で、倭寇は高麗の首都・開城付近まで攻撃し、甚だしい時で兵船4百、兵数3千とまで言われるほどの大規模集団であった。何故この様なことが起きたのか、ここで見ておこう。
 この時代を100年ほど遡った1368年、我が国が南北朝の最中の頃、大陸では朱元璋が明朝を立て大帝国建設をめざし、周辺諸国の入貢をうながした。足利義満が朝貢形式の対明国交を開いた時である。
 明は宋や元と異なり、貿易船は歓迎せず鎖国的政策により、アジア諸国間の貿易密貿易・中継ぎ貿易の形となった。南蛮諸国が新しい市場を求め、琉球、朝鮮、日本を訪れ、逆に日本からも南方へ進出した。
 こうして日本・朝鮮・琉球が新しい結びつきを持ち始めた頃、夫々が新しい政治体制を作り上げつつあった。日本で1392年、足利義満が日本国王を称した時であり、半島では高麗王朝が倒れ、李氏朝鮮を建国した。そして琉球尚巴志が中山王に封ぜられ、1429年には三山の全島統一を果たし、琉球国となった。
F25 この時期倭寇は図示の海域で活発に活動していた。これらを朝鮮は「三島倭寇」と呼んで恐れていた。即ち、壱岐・対馬及び松浦地域に拠点を置き、海賊活動を行っていたのである。彼らの構成は、倭人の他、半島人、中国人、南方アジヤ人など、混合民族が彼ら特有の言語を話したといわれる。
 尤も、当時の海賊は後年の海賊とは異なり、交易に近い活動も行った。確かに日本の海上活動者の上層部は豪族的海商が居り、下層部には極貧の海賊がいた。これらは明白な区別もなく、海賊衆は船持の豪族で且つ商人であった。特に水上航路を抑え関銭を取ることから海賊視されていることが多く、陸上の関所を設けた荘園領主や守護・国人領主とかわらないのである。
 瀬戸内の海賊の中心地・倉橋島は当時造船の中心地であり、遣明船にも使われ、1434年(永享6)の遣明船帰朝には幕府は伊予・周防・備後の海賊衆にその警護を命じている
 こうした中で、太祖(洪武帝)は日本に倭寇の禁圧をも求めた結果、倭寇活動は徐々に鎮静化していったのである。

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2013年7月 6日 (土)

トウモロコシの花をご存じですか?

 花の話の前にトウモロコシ(玉蜀黍)の概要: 地域に依り、呼び名が違う、福岡ではトウキビ(唐黍)、関西ではナンバ(南蛮黍)。鎌倉以前は唐も南蛮も外国という意で用いられたこともあるので、必ずしも中国やシャム・ルソンの意ではなそうだ。因みにモロコシは唐土即ち中国の越時代のことだが、中国渡来の事物に冠した言葉。
 尚、英語圏ではコーン穀物全般をさし、北米・豪州ではトウモロコシをさし、英国穀物を指し、トウモロコシメイズ(maize)という。御存3大穀物の一つ、澱粉、油の原料。家畜の飼料である。バイオエタノール原料にもなる重要農産物である。

Photo さて、花の話。正直いって、トウモロコシの花をご存知の方はそんなに居ないのでないか。大方の方が、茎の頂部の穂を花と思っておられる。ところが、これは単なる穂であって、この穂から、今時分雄花が出てくる。それがの写真で、穂から薄茶の「」が沢山ぶら下がっているのがお分かり頂けるでしょうか。この花は約1週間で萎れてしまう。その間沢山の花粉を下に落とす。
Photo_2 一方雌花は地上4~50cmの所に黍の実になる部分があり、先にもやもやと毛状のものがある。それがの写真で、これは雌しべであって受粉するが、花ではない。花は残念ながらこの包葉包まれ膨らんでいる部分の中にあって見えないのである
 実は小生も今回雄花を発見するまでは知らなかった。尚、近年黍は
スイートコーンとかポップコーンと呼ばれるものがあるが、これは遺伝子組換えにより出来た種子の性質による呼び名で、品種名ではないそうだ。 

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2013年7月 4日 (木)

迫力なかった党首討論会

 昨日、党首討論会を視聴したが、野党の主張、与党への追及には迫力を欠き、安倍総理は、従来の範囲内での無難な答弁に終始し、これで国民が選ぶべき政党を決められたかどうかは疑問。それより最後の恒例の揮毫で書かれた言葉が各党を明確に表示している感じがするので、ここに再掲する。
 安倍総理「日本再興」、公明・山口代表「安定は希望」、民主・海江田代表「浩然之気」、日本維新・橋下代表「批判を恐れず反論を恐れず、みんな・渡辺代表「同心成就」、生活・小沢代表「誠」、共産・志位委員長「日本の夜明けを開く選挙に」、社民・福島党首「強い国よりやさしい社会」、みどりの風・谷岡代表「本気」
 今日も梅雨の中でも元気に咲いた夏の花を紹介。
Photo アメリカチョウセンアサガオ(亜米利加朝鮮朝顔)。なんとも長い名前で、別名ダチュラDatura)は学名でもあるが、ヒンズー名だとか。毎年、山裾の道路脇に大きな花を付ける。メキシコ原産で江戸~明治に日本に帰化。極東では曼荼羅と呼ばれ、アルカロイドを含むため、鎮静、麻酔薬に使われた。
Photo_3 ノウゼンカズラ(凌霄花)。珍しい花でもないが、何故か今年は何処にもなく、この花だけしか咲いてない。庭木にも流行り、廃りがあるせいか? ノウゼンは「凌霄」の字音で当初はノウセウカズラと読んだのがノウセンカズラになった由。中国原産、平安期に渡来。

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2013年7月 3日 (水)

争乱の戦国史24 (室町Ⅱ14): 勘合貿易の再開

 足利義満3代将軍は、1401年(応永8)第一次遣明使・祖阿と肥富を派遣。1402年義満、明より「日本国王」冊封される。これは、「中国皇帝から冊封された」属国の形を甘んじて受けたもので、その狙いは日明貿易による大きな利益を得ることであった。そして狙い通り1404年より日明間の勘合貿易が開始された。この結果得られた富と財宝で、北山第(金閣寺が所在)が築かれ、北山文化が形成された
 しかし、1408年(応永15)義満は51歳で急死した。明よりは翌年、弔意の使者を日本に遣使し、諡(オクリナ)を与え、4代将軍義持はこれを受容れた。ところが1411年使者は兵庫から帰らせ、更にその後の2度の使者による入貢招請も義持は応じなかった。表向き理由は「神の許し賜わぬこと」としたが、真実は義持が父のした事全てに反対したという
 又、当時、中国・九州の海賊衆「倭寇」を完全に取り締まれない状況だったことが、対明入貢停止の実際の理由であった。
F24 だが、対明貿易への要求は、商人、守護大名、寺社でも抑えがたく、幕府も財政上認めざるを得ず、5代将軍義教は再び遣使の方針へ切り替えた。1432年8月(永享4)、5隻の船団が明に向かい、兵庫を出航した。明の帰化僧・龍室道淵が正使となり、「日本国王臣源義教」の国書を携えた。硫黄5万斤、馬・鎧・兜・刀大量の進物を積み、翌年5月入京して国書を宣宗皇帝に奉げた。翌1434年4月(永享6)赤真関に帰着し、6月初め兵庫に入港、ついで義教に謁した。回賜品は、白金・粧花絨綿・豹皮などの華麗、珍奇の数々であった。今後は10年に1回の入貢という取り決めもなされ、勘合貿易が再開したのだった。明の勅書(義満を日本国王としたもの)

 幕府は民間貿易の発展を警戒したが、東アジア世界は日明貿易を中心にして再び活況を呈した。室町幕府、将軍が日本代表の体裁・実力を整え、半島でも李氏王朝が成立。琉球も統一され琉球王国の体裁を整えつつあったからである。

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2013年7月 2日 (火)

世界が揺れている

 米国家安全保障局(NSA)が米国内の日本やEUなど38の大使館・国連代表部通信を傍受していた。当然ドイツ、フランスなどは反発し、訴訟も辞さないというが、米国は法に触れないという。又元CIA職員ロシヤに亡命しようとしているが、この元職員の持つ秘密情報を公開しない約束で、米国は亡命を認めようと交渉中。一方エジプトでは現大統領の退陣を求める反政権派の大規模なデモが勃発軍が政治介入しそうになっている、等々危ういことが続発。
 世界中が多くの情報を共有しつつも、真反対の立場での情報は表と裏の立場で見れば、全く違った情報となり、見方や行動も反対の結果を出す。今こそ人類の英知で、国際間の軋轢を減ずる方策を構築すべき時だ。そんな思いで新聞を畳み、ブログを書いている。 今日は今時の木の花。
Photo マサキ(柾、正木)。かっては生垣と言えばこれだったが、葉が昆虫類に食害されやすく敬遠された。花は小さく3-4mm位(写真は接写)。葉陰に隠れて殆ど人目に入らない。東アジヤに分布するが学名Anonymus japonicus 日本種もあるようだ。
 2
 下サルスベリ(百日紅)。未だ蕾もついてない時期だが、この木だけが花をつけていた。中国原産。約3ヶ月花を付ける故の百日紅の名前だが、これは順次花が新たに次々ついて100日咲くところから来ている。
 俳句にも、暑いのによく咲続けるなあーと感心したものがある。
「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅(加賀千代女)
「炎天の 地上花あり 白日紅
(高浜虚子)」「枝先へ 枝先へ花 百日紅(星野立子)

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