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2013年7月31日 (水)

争乱の戦国史32 (室町Ⅱ22): 国に府庫なし

 1420年頃、室町幕府は従前の税に加え、新たな財源として開拓し、依存度を強めたのが、土倉役と酒屋役(金融業者や酒屋に対する課税)である。これは3代将軍・義満が1393年、恒常的な税として賦課を開始したものであり、その後も幕府の重要な財源であり続けた。
F32_2 日朝間の貿易も活発になり、1420年(応永27)に来日した朝鮮回礼使・宗希瓊(ソウキケイ)の通事・尹仁甫は、室町幕府の財政状態を見て「国に府庫(財貨の蔵)なし。唯富人をして支待せしむ」と評した。幕府に定まった収入もなく、場当たり的に富人の財力に頼っているのに驚いたのである。
 この富人とは有徳人と呼ばれた土倉や酒屋を営む富裕層の事で、幕府の経常収入源としてあてにされただけでなく、臨時課税の対象とされたのである。又、幕府財政は政所の担当だが、政所の官庫はなく、実務は納銭方に出入りする有力土倉業者に全て委ねられていのである。(は京の土倉・酒屋の分布図1426年頃))

 尚、この土倉役の賦課が荘民からの要求で行われる事もあった。それは、「富める者支払うべし」とする「有徳思想」に基づいた民衆の支持があったからである。土倉役・酒屋役と徳政一揆は、両方とも有徳思想という同一基盤の上にあったと言える。
 従って、嘉吉の徳政一揆により、土倉・酒屋という重要財源を失った幕府は忽ち財政難に陥り、幼少将軍・義勝就任が拍車をかけた。幕府の徴税能力低下は土倉役だけでなく、守護出銭など保管領域にも及び、早急な財政再建に迫られた。その結果、贈与依存型財政という特異な財政構造に転換してゆくのである。

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