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2013年7月 3日 (水)

争乱の戦国史24 (室町Ⅱ14): 勘合貿易の再開

 足利義満3代将軍は、1401年(応永8)第一次遣明使・祖阿と肥富を派遣。1402年義満、明より「日本国王」冊封される。これは、「中国皇帝から冊封された」属国の形を甘んじて受けたもので、その狙いは日明貿易による大きな利益を得ることであった。そして狙い通り1404年より日明間の勘合貿易が開始された。この結果得られた富と財宝で、北山第(金閣寺が所在)が築かれ、北山文化が形成された
 しかし、1408年(応永15)義満は51歳で急死した。明よりは翌年、弔意の使者を日本に遣使し、諡(オクリナ)を与え、4代将軍義持はこれを受容れた。ところが1411年使者は兵庫から帰らせ、更にその後の2度の使者による入貢招請も義持は応じなかった。表向き理由は「神の許し賜わぬこと」としたが、真実は義持が父のした事全てに反対したという
 又、当時、中国・九州の海賊衆「倭寇」を完全に取り締まれない状況だったことが、対明入貢停止の実際の理由であった。
F24 だが、対明貿易への要求は、商人、守護大名、寺社でも抑えがたく、幕府も財政上認めざるを得ず、5代将軍義教は再び遣使の方針へ切り替えた。1432年8月(永享4)、5隻の船団が明に向かい、兵庫を出航した。明の帰化僧・龍室道淵が正使となり、「日本国王臣源義教」の国書を携えた。硫黄5万斤、馬・鎧・兜・刀大量の進物を積み、翌年5月入京して国書を宣宗皇帝に奉げた。翌1434年4月(永享6)赤真関に帰着し、6月初め兵庫に入港、ついで義教に謁した。回賜品は、白金・粧花絨綿・豹皮などの華麗、珍奇の数々であった。今後は10年に1回の入貢という取り決めもなされ、勘合貿易が再開したのだった。明の勅書(義満を日本国王としたもの)

 幕府は民間貿易の発展を警戒したが、東アジア世界は日明貿易を中心にして再び活況を呈した。室町幕府、将軍が日本代表の体裁・実力を整え、半島でも李氏王朝が成立。琉球も統一され琉球王国の体裁を整えつつあったからである。

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