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2013年6月29日 (土)

争乱の戦国史23 (室町Ⅱ13): 播磨国一揆

 正長の大一揆の翌1429年9月(永禄元)、今度は播磨国一揆が勃発した。だが、正長一揆のような徳政を要求するのではなく、国人の下克上農民一揆が連携して、守護赤松満祐将兵に国外退去を要求した政治的なものである点が異なる。
 赤松満祐は山城・播磨・美作・備前の守護だった。尚、国人とは外部より赴任の武家ではなく、土地の生え抜きの土着的武人達である。この一揆では守護側の将兵が、国人と農民の連合軍に敗北した。
 守護赤松氏も、西播磨・佐用荘の地頭から身を起した国人であり、鎌倉以降大きな同族集団を形成した。そして同様の段階を経て成長した国人たちを一揆に組織し、被官にしたのが力の源泉だった。
 しかし中には、赤松氏の被官になるのを嫌い、播州平野の経済的に発展した地域で、守護の力を利用して、荘園の年貢差し押さえや土地横領をしたり、時には一揆を結んで守護に対抗した。

 上記播磨国一揆は反赤松国人衆が主体となって、農民一揆衆と提携して成立した。独立を目指した国人衆だから、守護に服従することなく、自由に動き変化した。守護にとっては味方にも敵にもなり得る武士階層の出現で、下剋上の始まりである
 このように室町時代の一揆には経済的要因による徳政一揆、土一揆領有権・支配権争いによる一向一揆、国一揆があり、以降頻発する。これら一揆の違いを略記して置く。

A:経済的要因による一揆
徳政一揆
土一揆の内、主に徳政(借金返済免除など)を要求した一揆。貨幣経済が進展した畿内で、土倉・酒屋を襲って、借金証文を焼くものと、幕府や守護に徳政令の発布を要求するものがあった。
土一揆:農民、馬借、都市庶民が、
年貢・夫役の減免及び徳政を要求して起こした。畿内を中心に拡大していった。
B:領有権・支配権争いの一揆
一向一揆一向宗(浄土真宗本願寺派)が
既成宗教勢力の圧迫に反抗して起こした一揆。後に守護、戦国大名と対立する。
国一揆
国人、地侍が地域的に連合し、守護支配に反抗しての一揆。経済的要求より権力、領有権争いの要素が強い。

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