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2013年6月18日 (火)

争乱の戦国史20 (室町Ⅱ10): くじ引き選任の6代将軍

 1423年(応永30)に義持は将軍職を実子の義量(ヨシカズ)に譲ったが、病弱のため1425年(応永32)、19歳で没していた。義量には子が無く、父義持にも義量以外に子が無く、後継者問題は深刻な政治問題であった。それでも、前将軍である父義持が健在である限り、問題は表面化しなかった。
 ところが、1428年(応永35)義持が風呂場で転倒し、尻の傷を悪化させ起居もままならず、幕閣たちは後継者指名を求めたが義持は答えず、三宝院(畠山)満済(管領・満家の父)に説得を依頼した。しかし、実子がいないこともあり、「面々で相計らい、然るべく決定せよ」との答え。仕方なく満済が「幸い御兄弟4名おられますので、ご兄弟4人のお名前を「くじ」にして八幡神前でそれを引いて決定しては如何か」とくじ引きの選択を迫り、義持もくじ引きまでは同意するが、引くのは自分の死後にせよと条件を付けた。

 義持がくじ引きに同意したのは、くじが元々神託の一種で引き当てたくじは神慮だと考えていたからとも言われる。元々、15世紀家督相続に於いて父親の指名権が揺らぎ、主君を決定するのは家臣の支持であるとの家督相続の論理が進出してきた。
 この論理は下剋上の思想的根拠となり、やがて応仁・文明の乱や戦国大名の成立に大きな影響を与えたという。
F 満済の報告を聞いた幕閣たちは義持の死後では遅すぎる。遺言には背くがくじ引きは生前に行い、それを開けるのは死後に行う事に決めた。4名の名前を書いた4通のくじを管領・畠山満家が石清水八幡宮へ持参し、神前で一通だけ引いて17日深夜に持ち帰り、義持が翌18日に亡くなり管領以下諸大名が一堂に会してくじを開いた
 結果、義円の名前「青蓮院」が記されており、義円に伝えたところ型通りの辞退の後これを受け入れた。義円は還俗して義宜(ヨシノブ)と改名し、1年後1429年3月12日(生長元)、将軍宣下を受け、義教(ヨシノリ)と改名して6代将軍となった。

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