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2013年6月 1日 (土)

争乱の戦国史16(室町Ⅱ06): 北方交易

 朝鮮への朝貢船の目当ては、朝鮮国王からの下賜品。中でも将軍や大名にとっての垂涎の的は、13世紀半ばに製作された高麗版大蔵経であったと言われる。14世紀末から16世紀にかけ50部以上の大蔵経が日本に渡ったことが確認されている。
 朝鮮は当初比較的容易に日本の求めに応じたようだが、15世紀後半以降は下賜費用の膨張が問題yとなり、又印本も少なくなって、出し渋るようになった。この様なj状況下、大名や琉球王の名をかたり、大蔵経を入手しようとする偽使が横行し始めた。1461年以降の入貢の内4度までが偽使が大蔵経を入手したという。

 1482年夷千島王・遐叉(カシャ)の使者と称して入貢した宮内卿もこうした偽使だった。宮内卿は同年4月9日、日本国王足利義政の使者栄弘首座(エイコウシュゾ)と共に漢城(現ソウル)入りしたが、栄弘が希望通り大蔵経一部が下賜されたのに対し、宮内卿には下賜されなかった。宮内卿を偽使に仕立て上げたのは蝦夷地と本州の交易に関与していた、津軽安東氏だと見られる。(は安東氏が交易拠点とした往時の十三湊復元図
F_2  アイヌは元朝勢力が後退した14世紀後半から末にかけ、サハリンに進出し15世紀前半にはとの間に朝貢関係を成立させていた。明からの下賜品には、蝦夷錦と呼ばれる高価な絹織物も含まれ、北方交易は活況を呈した。 
 しかし、1432年(永享4)には津軽十三湊安東氏が南部氏に追われて蝦夷地に渡って以来、倭人の蝦夷地進出が顕著になり、又ほぼ同じ頃、明の勢力がサハリン・アムール方面から後退して、北方交易は振るわなくなったこともあって、アイヌは次第に倭人に対する経済依存を強めていった
 後述する「コシャマインの戦い」はこうした状況の中での出来事であったのである。因みに、夷千島王遐叉の使者が朝鮮国王に献上した品目は馬角・錦・練貫(ネリヌキ)・綾紺布・昆布であり、蝦夷地でないと入手できないほどのものはなく、安東氏がどこまで本気で大蔵経を望んだか不明だと言われ、又この偽使は案外対馬あたりで仕立てられた可能性もあるという。

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