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2013年5月

2013年5月31日 (金)

雨にめげず咲いてる花

 やはり予報通り空梅雨か、昨日今日と薄日がさす程度ながら時々晴れて、雨は降らずやや蒸し暑い天気である。今頃咲く花は当然、梅雨時期に咲く花ではあるが、大方の花が雨に打たれて萎んでいるに対し、元気に咲いているのが目立つ。
Photo  タチアオイ(立葵)。此処の花は早くから咲いているが、一般的には6-8月、つまり梅雨に咲く花である。梅雨入りに咲き始め梅雨明けに花が終わると云われている。だから、雨ニモマケズ咲いていても当たり前だが、やはり元気よく咲いている姿は目立つ。この場所、一応花壇なのだろうが、手入れもなく毎年よく咲く。
Photo_2  中ヤマボウシ(山法師)。最近門が無い洋館風の家が多いが、その玄関先には何故か山法師が植栽されている。それが今満開時期で、やたら山法師が目に付く時期である。特に今年は花付きがよく、代りにやや小さな花が沢山付いている。花にも当たり年があるようだ。
Photo_3  バラ(薔薇)。勿論これは梅雨の花ではない。先日来の雨に叩かれ、萎んだバラが多い中、これは雨の当らぬ透明のプラスチック屋根の車庫に綺麗に咲いていたので撮ったもの。この家の住人は余程バラ好きと見えて、道路面は一面いろんな種類の薔薇で埋まっていた。

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2013年5月29日 (水)

今年の梅雨も男性的か

 今年は長期予報では、空梅雨気味で、降るときは土砂降りとなり、災害の惧れあり。そして早く梅雨が明けるであろう。と、言われているが、その通りになりそうだ。昨日も朝まで降った雨はやみ、昼間は時々小雨が降る程度だった。でもやっぱり曇り空で、蒸し暑いのは嫌だね。唯、梅雨時期の花はよく目立つ。
Photo  シモツケ(下野)。別名キシモツケ。下野国に産した故の名前。コデマリ、ユキヤナギなど同じ仲間(シモツケ属)で、小さな花の集合が似ている。全国各地に自生。耐寒性が強く、育てやすいので園芸種も出た由。唯、枝葉が込み合って風通しが悪くなると病害虫にやられるので、2、3年に1回の間引きがお奨めとか。
Photo_2  タマツゲ(玉黄楊)。別名マメツゲ、イヌツゲなど他、呼び名が100種あると云われる木。山野に自生の木はイヌツゲ。葉が丸く盛り上がり光沢のあるのはマメツゲ。剪定で樹形を球形にしたのがタマツゲ雌雄異株で実が付く、付かないがある。ツゲの名がつくがツゲ科の柘植ではない
Photo_3  トベラ(扉)。別名トビラノキ。美しい花でもないが、名の由来が面白い。樹木全体に悪臭があり、扉に挟んで魔除けにしたところからの名前。但し花には芳香がある。東北以南、台湾、中国南部に自生。乾燥に強く街路樹や生垣、公園に多用される。

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2013年5月28日 (火)

争乱の戦国史15 (室町Ⅱ05): 大陸・半島との民間貿易

 15世紀頃、中国・は民間貿易を禁じ、日本国王による「朝貢貿易」しか認めなかったのに対し、朝鮮は朝貢貿易の外民間貿易も認め、大名や国人、商人達にも広く貿易を許した。その背景には、長年倭寇の跳梁に悩まされた苦い経験を持ち、又、建国の父・李成桂が倭寇鎮圧で名を挙げた武将だっただけに、倭寇日本の国人・商人達のもう一つの顔であることを見抜き、正式に貿易を認めれば倭寇の活動が鎮静化することを見抜いていた。
 朝鮮は当初日本船のええんがんかくちでの貿易を許可したが、後に国防上から入港地を富山浦(プサンポ)と乃而浦(ネイポ)、塩浦(ヨムポ)三港に制限した。所謂三浦である。これら港は日本船の入港地に過ぎなかったが、やがて多数の日本人が移り住み、事実上、対馬の宗氏が自治権を握る日本人居留地と化していった。
F_2  一方朝貢貿易は、朝貢を受ける立場から、国力誇示の重要な舞台であり、朝貢使節手厚い接待高価な下賜品を以て迎えられた。更に次第に民間貿易締め付けを強化した事もあり、朝鮮国王の下には、元民間貿易に携わった日本人が、朝貢を口実に殺到した。
 応永の外寇後、対日強硬論者の太宗が没し、親日的な世宗が親政を開始すると、朝鮮との修交が特に厚い者にはその名を刻んだ銅印をを下賜し、その印を押捺した外交文書を帯行すれば、朝貢を許すという優遇政策が普及した。この銅印を図書、外交文書を書契(ショケイ)と呼び、又図書を与えられたものを受図書人と呼び、対馬・壱岐の外、九州・中国地方に広く及んだ。(図書印
 又受図書人以外の朝貢希望者には対馬内であれば宗氏の、九州であれば探題渋川氏書契帯行が義務付けられたが、後には松浦氏、島津氏、周布氏、大友氏などの書契も認めるようになったが、偽物も出回ったので、宗氏が発給する渡航証明書の携行が求められるようになった。この制度はやがてすべての渡航者に適用され、日本から朝鮮への渡航船は全て宗氏の管理下に置かれるに至ったのである。 

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2013年5月27日 (月)

又もや珍しい花に出くわす

 花を追っかけていると、名前の判らぬ花は沢山ある。が、中には何とかして知りたいと思うのに出くわす。前回の「唐種招霊」についで、今回2回目。名前はスモークツリー
 珍しくもなんともない花なのかもしれないが、私にとっては大変珍しい花だ。これは私の行動範囲には存在していなかった。たまたま、いつものコースをちょっと外れて歩いた住宅街のある家の庭に高々と聳えて、赤色の霞がかかった感じの花を付けていた。
 パソコンでの検索では見つけられず、図書館に行き、花の図鑑類10数冊繰ったが出てこない。諦めかけたが、最後に園芸コーナーにあったポケット版の図鑑に載っていた!それが以下紹介する花である。
Photo  スモークツリー。別名ケムリノキ、カスミノキ、和名はハグマノキ。写真のは、園芸種で花の軸が紫色を帯びる「スモークツリー・グレース」。南欧、ヒマラヤ、中国原産。樹高4~5m。開花期5~6月。雌雄異株。北海道南部から沖縄まで適地。最近鉢植もあるようだ。花は径3mm程の小さなものを穂状に沢山咲かせる(写真が樹の先端に付いた)。
Photo_2  
花後雌株不稔花(種を作らない花)の軸部分(花柄)が長く伸びて羽毛のようになり、見た目が、モコモコとした花穂になる(写真の状態でこの樹の下の方はこの状態)。だから、園芸種は観賞価値の高い雌株である。
 樹皮からはタンニン、幹からは染料が採れる由。葉は若葉のころは赤紫色だが、徐々に緑に変化するそうである。

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2013年5月25日 (土)

一斉に咲き始めた梅雨の花

 この”一斉に”は「梅雨に咲く花々が一緒に」と言う意ではなく、下記の「金糸梅と未央柳が彼方此方どこにでも」という意である。と言うのは、この花が何故か最近、公園や公共施設は勿論、民家の玄関脇や庭先に多く植えられている。両者とも放っておくとどんどん広がる繁殖力旺盛なせいのようだ。未だ咲始めだが、その内、梅雨時には壮観な景となろう。
Photo  キンシバイ(金糸梅)。学名Hypericum patulum下の未央柳ともに、オトギリソウ科オトギリソウ属で、葉ほとんど同じである。中国原産、江戸時代(1760年頃)渡来。花の形が梅に似ており、黄色の雌蕊があることからの漢名である。花径3~4cm。花の少ない梅雨時期にはよく映え、目立つ花である。
Photo_2  ビオウヤナギ(未央柳)。学名Hypericum chinese上と同じ頃渡来。金糸梅よりは低木で、花はやや大きく花径5~6cm。特徴は雄蕊が長く、沢山ある事と、花弁が分かれている。この名は日本の通称名だが、その由来は、玄宗皇帝が楊貴妃と過ごした未央宮殿の柳を楊貴妃に喩えた白居易の「長恨歌」から来ている由。
Photo_3  テイカカズラ(定家葛)。藤原定家が愛した武子内親王の墓に巻きついたという伝説(能「定家」)から来た名。茎から気根を出して高い木に固着し、かなり高くまで昇るそうだ。は白から段々淡黄色に変わり、ジャスミンのような芳香を放つ。これの栽培種が「ハツユキカズラ」である。

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2013年5月24日 (金)

争乱の戦国史14 (室町Ⅱ04): 帰属曖昧な対馬海域の民

 15世紀半ば頃の九州北部西岸から朝鮮半島南部・中国沿岸部に跨る地域(村井氏:環シナ海地域と呼ぶ)には国家的帰属の曖昧な人々が住んでいた。日本人或いは朝鮮人又は中国人などで、和風の名前だが朝鮮人であったり、倭寇にさらわれて対馬にきた中国人であったりした例が多い。
F  当時の朝鮮資料にある「倭人」は主に対馬人を指しており、実態は日本・朝鮮・中国人が入り混じり、その混血も居る状態だった。また彼らが話した「倭語」は日本本土の言葉とは異なるこの地域特有の言語で、この地域の共通語であったという。(倭寇の活動域

 このような曖昧な海洋民の存在と言う意味では、当時の西国の大名や国人達も例外でなかった。周防(山口)の大内氏は自家の出自を百済聖明王の太子琳聖(リンセイ)に求めており、京都周辺では「大内氏は本来日本人に非ず」と言うのが周知の事だったという。
 又、後年、盛見(モリミ)の子・大内教弘は、対馬に逃げ込んだ宿敵・少弐教頼を討つために、対馬は元朝鮮の地であるといい、朝鮮国王に援軍を求め、「少弐討伐後は帰国の牧場の島となされ」と申出ている。領土的関心を煽って援軍を引出す魂胆だった様だ。
 彼らに、元々国境と言う観念が希薄だった事も確かである。応永の外寇で、宗氏が対馬のの朝鮮属州化を拒絶した時も、対馬は宗氏の相伝の地だから、少弐氏が許すはずがないという説明だが、朝鮮の属州となることは、宗氏には精々、少弐氏の知行に抵触するという程度の所領問題にすぎず、日朝間の国際問題という意識は全くなかった

 北九州の国人・商人の間では、日本に居住しながら朝鮮の官職を与えられた人を「受職人」と言ったが、この政策は北方の女真人に対しても採られた朝鮮の基本的な異民族懐柔政策の一つだった。受職人には入貢が許されて、交易が許される特典があった。元々日本人には複数の主人を許されるようなルーズさがありそれが国境を越えて展開していた訳で、国もこれを問題視した形跡は無い。 

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2013年5月23日 (木)

色鮮やかな草花

 ここ1週間は29℃前後の最高気温、そしてPM2.5基準値を越えそうという最悪の予報だ。何より、ウオーキングの是非で悩む。歩かねばここを先途と咲き競っている花々にお目に掛かれない。それより、いま小学校の運動会練習の真っ最中、子供たちは大丈夫かな。今日は色鮮やかな草花3点。
Photo  カスミソウ(霞草)。ナデシコ科のカスミソウ属には700種あるという。この花はその中の矮性カスミソウ矮性霞草)、又はヌカイトカスミソウ(糠糸霞草)と云われる種類の一つである。ヨーロッパ原産。日本では1997年の横浜市での記録が最初と言うから新しい花。花色は白、ピンク、赤もあるという。
Photo_2  ヒメオウギ(姫扇)。別名ヒメヒオウギ(姫緋扇)、ヒメヒオウギアヤメ(姫緋扇菖蒲)とも言う。花の色や形が少しずつ違うのが沢山あるようだ。大正期に渡来し、観賞用に栽培された由。花径2cmあまりの花。花期は4~6月で、夏に休眠する。別名(洋名)アノマテカ
Photo_3  キャッツテール((Cat's tail)。トウダイグサ科エノキグサ属。別名アカリア西インド諸島原産(自生している由)。温度があれば1年中咲くと云われるが、雨に当てなければ、1つの花が1ヶ月近く持つそうだ。

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2013年5月21日 (火)

変わった花が咲いていた

 この時期は次から次と花が咲き、花を追うのは忙しい。その中にちょっと変わった花で珍しい花があったので紹介。但しこれは珍しくも何ともなく、私が知ら無かっただけの事の様だ。
Photo  クロバナエンジュ(黒花槐)。これが知らなかった花。尤もあちこちにある訳でもない。別名イタチハギ。北米原産で大正時代に渡来。やせ地にも強く、山林の砂防や護岸のため土砂流出防止用に移入されたものが野生化しているらしい。小さな花を沢山つけた穂状花房、花穂をイタチに見立てての名前由来
Photo_2  スイカズラ(吸葛)。別名ニンドウ(忍冬)。花期5~7月。仄かな甘い香りがある。甘い蜜を吸うところからの名前。又、冬の間も枯れないので忍冬という。この花は初め真っ白だが徐々に黄色くなる。故に白・黄が混じるので「金銀花」の異名がある。蕾、茎葉は生薬となり、抗菌、解熱作用がある。
Photo_3  ハクチョウゲ(白丁花)。別名ハクレンボク。白い丁字型の花ゆえの名。蝶とは無関係。但しこの写真のように紫がかったのは「ムラサキシロハナハクチョウゲ」と言うらしい。花は秋にも咲く。常緑で芽吹きがいいので、生垣、植込みに使われる。この小っさな花が人気があるという。

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2013年5月20日 (月)

争乱の戦国史13 (室町Ⅱ03): 応永の外寇

 鎌倉時代中頃から、高句麗の沿岸各地に侵入を繰り返した倭寇は、南北朝の頃、その動きが最も活発となり、1360~80年代・南北朝の頃には高句麗の首都・開城付近付近まで攻撃を加え、もっとも激しい場合には、兵船4百、兵数3千と言われる大規模な集団を成したという。
 そして、李氏朝鮮時代になって、その勢いは幾分衰えたが、朝鮮側ではこれを、「三島倭寇」と呼んで恐れた。即ち、壱岐・対馬・松浦地方を拠点とした海賊集団だった
 しかし、李朝・太祖は即位の年、日本に使者を送り倭寇の禁圧を求め、倭寇の朝鮮への帰服を勧めたり、西日本・諸豪族との積極的な交流を求め、一応その効果を上げた。  だが、倭寇の活動は、衰えたわけではなく、1419年5月、日本の有力海賊集団が朝鮮を荒し、ついで遼東半島の望海堝を襲う事件もあった。これは明の軍隊に敗れ、倭寇は壊滅的な打撃を受けた。
Photo_3  その上、このすきを突いて1419年6月20日(応永26)、兵船227艘、兵員1万7千余の朝鮮軍が対馬を急襲した。対馬の船団が帰港したと思った島民たちは驚いた。上陸した朝鮮軍は民家約2千戸・船舶約百艘を焼き払い、百名以上の島民を殺害したという。朝鮮兵も百数十名を失い、7月3日には撤兵した。これを応永の外寇と呼んでいる。(図は朝鮮の「海東諸国記」掲載の対馬の図1471年編)。
 事件後、朝鮮は対馬島主・宗貞盛に対して、島民上げての投降か、日本本土への引き揚げを迫ったが、宗氏降伏の使者を立て、翌1420年、対馬を朝鮮州郡とする事を申し出た。これにより朝鮮も慶尚道の一州と決めたが、1421年4月、宗氏は一転して朝鮮属州化を拒否した。先の属州化は使者の一存だったとか、幼少の島主に代り実権を持つ早田氏の陰謀だったとも言われている。
 朝鮮政府は対馬再征を議したが兵の士気は上がらず、宗氏服属の証である「印信」を授けて事件の幕引きをした。
 朝鮮軍が対馬攻撃した目的は、対馬を本拠地とする倭寇の殲滅であった。朝鮮に協力的な宗貞茂が島主の間は、倭寇の活動も鎮静化していたが、死去以来再び活発になっていた。更に対馬の諸民族の雑居状態を解消し、この海域を国家支配下に置こうとの沿海政策があったという。

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2013年5月19日 (日)

恵みの雨・・・でもやや寒い

 1週間程、雨も降らず、夏日が続いたあと、昨夜から雨となり、朝止んだものの、曇り空で気温は25℃を下回っている。久しぶりの雨で田植の近い農家はホッとされているだろうが、もう夏装束に近い衣替えの身には寒く感じる。それでも、花々は元気に咲いている。
Photo  フクシア(Fuchia)。これはアカバナ科の内の属名で、その中に園芸種は700種あるといわれ、花の色や形、高さも種々ある、その中の1種。日本ではホクシヤ釣浮草などと呼ばれる。花期は5~7月下向き赤の花が特徴の由。これは狭い花壇の中に紛れて咲いていた。
Photo_2  ホタルブクロ(蛍袋)。元々山野に出現する野生植物。だが山野草として花壇に植える場合がある。花色は、関東では赤紫色関西では白色が多い。学名 Campanula 小さな鐘の事。提灯古名は「火垂(ホタル)」といい、その提灯に似ている故に「ほたる→蛍」となった。
Photo_3  シラン(紫蘭)。今が最盛期の観あり、群生していたので撮った。日本、台湾、中国が原産で、日向の草原には自生するとか。但し、野生種は準絶滅危惧種。名前の通りランであるが、植栽は容易なので、広く分布して、大概の家の庭には植わっている。

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2013年5月17日 (金)

芳香の季節が巡り来た

 先日オガタマ(招霊)が甘い香りを発していると当ブログで紹介したが、爽やかな香りでは他に引けを取らない柑橘類が今花盛りこの花を見ると季節の節目を感じるので、今年も取り上げる。
Photo_4  ナツミカン(夏蜜柑)。夏蜜柑の花の香りは一段と強く、近づくと辺り一帯にいい香りがする。環境省が2001年に全国から募集して決めた「かおり風景100選」に、山口・萩の夏蜜柑の花が入っている。京都の菓子舗・老松の銘菓・夏柑糖は、夏柑の果汁と寒天を合せ、夏柑の皮に入れ固めたものである。福岡でも、民家では大概庭に1本の夏柑がある。
Photo_2  レモン(檸檬)。レモンの近種にシトロン、別名クエン(枸櫞)があるが、酸っぱい味のクエン酸の名はこれから来ている。この花も強いいい香りがする。最近はレモン愛用者が増えたか、庭植えのレモンも増えている。各種ミネラル、ビタミンが豊富で、新鮮な酸味と香りが楽しめる。
Photo_3  ユズ(柚子)。病害虫に強く、手が掛からず無農薬栽培もしやすいという。しかし、柚子の成長は遅く「柚子の大馬鹿18年」といわれ、凡そ10年経たないと果実収穫が出来ない。それで、カラタチに接木して収穫を早めるそうだ。大分が特産品として栽培奨励して有名になった。但し、香辛料、薬味としての使用が主で、余り大量消費はない。

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2013年5月16日 (木)

争乱の戦国史12(室町Ⅱ02): 東国の国一揆

 1417年正月(応永24)、禅秀の乱は鎮圧され、首謀者以下主だった豪族などは滅びたが、無傷で生き残った武士団がある。反乱の途中で持氏側に寝返った武州南一揆などに代表される一揆衆である。
F_1   最初は藤家一揆・白旗一揆・平一揆などという同族連合体として決起したが、この頃になると上州一揆・武州一揆という集団つまり血縁に関係ない国人同士が地縁的な利害関係でまとまるようになった。(上図参照)
F122  その理由は、下からの年貢を引き下げようとする農民上からの臣従化を強制する公方や管領に対し、国人(地方の地元の領主たち)は同じ立場の者同士の地縁的結合の強大化を図り、自己防衛を始めたのである。
 国人たちは、公方足利や管領上杉に対して絶対服従はせず、又農民層に密着する訳でもなく臨機応変緩急自在に動いた。禅秀側についた武州南一揆が、途中で持方(関東公方)に寝返ったのが代表例である。誰にも束縛されず自由に伸びることが出来る戦国乱世の到来である。(下図参照)
 関東の在地領主層(国人)の武士が戦国大名への道を歩み始めた段階であり、彼らの力戦国時代の幕を開けた大きな要因である。

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2013年5月15日 (水)

夏日の中の小っさな花々

 昨日に続き、今日も最高気温は27℃の予報。強い陽射しの下で少しずつ緑も深まっている。そのような中をゆっくり歩いていると、道端の草叢の中に、小っさな花が群咲いているのが、目に止まった。今日はそんな花を小さい順に並べた。
Photo  コメツブグサ(米粒草)。マメ科で、シロツメクサの仲間。コメツブツメクサ、コメツブメグサなどとも言われる。この花、名前の通り小さな花で5mm以下位の花が、比較的大きい葉の緑の中に黄色の粒々が点在する感じで群咲いている。鑑賞の花ではない。西アジヤ原産。花期は4~8月。
2  ニワゼキショウ(庭石菖)。北米原産。明治初期に観賞用として輸入されたのが野生化した帰化植物。だから赤紫色の花は美しく、グランドカバーとしても用いられる。花径は1cm前後葉が石菖の葉に似ていて、庭によく生える故の名前。別名ナンキンアヤメ(南京文目)。
Photo_2  オオニワゼキショウ(大庭石菖)。南米原産の帰化植物。上記庭石菖にソックリの花で、花の大きさもあまり変わらぬが、草丈が25cmと高く、又葉の幅も広い故庭石菖という。尚、花びらの形も違って、庭石菖がやや丸味があるに対して、これは花弁の先が尖っているのが特徴。両方とも1日花で、次からつぎへと咲続ける。

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2013年5月12日 (日)

初夏に咲いてる草花たち

 昨日終了したG7101円/ドルの安値を付けた日本だが、目立った日本批判は出ず、「為替レートを目標にしない」という姿勢の再確認で終わったという。背景には日米欧の先進国が、いずれも景気回復のけん引役を金融政策に頼らざるを得ない事情かららしい。昨日の恵みの雨の後、今週は25℃前後の初夏らしい天候とか。花々も嬉々と咲いてる感じ
Photo  ユキノシタ(雪ノ下)。本州、四国、九州に分布、半日陰で自生。これは竹垣際に植栽のもの。背後のピンクの花は別種。雪ノ下でも葉が緑を保つ故の名だとか。葉はあぶって、火傷、腫物などの消炎に用いる。又山菜としても天ぷら(白雪揚げ)にして賞味できる。開花期は5月中~7月初。
Photo_2  ヤグルマギク(矢車菊)。ヤグルマソウともいう。サファイアの色味を、この青色の美しさから「コーンフラワー(英名)ブルー」という。ツタンカーメンの棺の上に置かれた(魔除け)とか、マリー・アントワネットが好んだ花という。ドイツの国花で、明治になって渡来。
Photo_3  ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)。昼咲く故の名。北米原産の帰化植物。今は野生化しているが、これは民家の門脇で植栽されているもの。開花期は5月中旬~7月末。乾燥地でも強く、花は2、3日で萎むが次々と咲き続ける

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2013年5月11日 (土)

争乱の戦国史11(室町Ⅱ01): 上杉禅秀の乱

 今回より、前回までの戦国期の予兆から、愈々「戦国時代」に入ります。区分「室町Ⅱ」の表示「戦国時代第Ⅰ期:初期」即ち戦国時代の始まりの頃とご理解ください。

 戦国時代は東国の動乱から始まったとする説がある。本シリーズもこれを採る。北山文化といわれる金閣寺に代表されるきらびやかな室町文化を花開かせた3代将軍・足利義満の頃、足利幕府は全盛期を迎えた。そして義満1408年(応永15)5月没し、子の義時が4代将軍を後嗣後も、弟・義嗣とも良好な関係が保たれ、数年は平穏な日々が続いた。ところが、関東では上杉禅秀の乱勃発する。
 関東は鎌倉幕府があった地で、室町幕府も重視し、関東・東国統治のため、鎌倉府を置き将軍家一族より関東公方を出し、その下に関東管領を置いていた。

 1409年(応永16)、その関東公方・足利満兼が没し、12歳の嫡子足利持氏が関東公方を継いだ。しかし、1416年10月、前関東管領上杉犬懸禅秀(俗名・氏憲)が持氏の叔父・満隆、及び持氏の弟(満隆の養子)持仲らと組んで持氏を襲った
 この前年、禅秀は家人・越幡(オバタ)六郎の所領没収に抗議し、関東管領を辞任し、後任には禅秀の上杉犬懸と対立する上杉山内の憲基(ノリモト)が就任していた。
 禅秀はその後、かねてからの関東公方の地位に執心して持氏と対立していた満隆・持仲らと急接近していったのだ。(前掲足利氏/上杉氏系図参照)
F112  持氏より援軍を求められた4代将軍・義持は叔父・足利満詮の意見で持氏支援を決めた。が、その直後義持の弟・義嗣が出奔、京都北西の高雄に潜んでいたのが発見された。幕府は義嗣が上杉禅秀らと義持打倒を企てたと断じた。義嗣は幽閉され、付き従った者たちの拷問が決まった。しかし、管領・細川満元は内通者として大名4、5名が挙がっては一大事として反対。また前管領・畠山満家は事件拡大を恐れ、義嗣の野心明白故、直ちに切腹をと主張した。この恐れが現実となり、内通者として、斯波義教、細川満元、赤松義則らが名指しされた。禅秀の乱は1417年正月(応永26)、満隆、持仲、禅秀らが鎌倉雪ノ下で自刃して終結したが、義嗣一党に対する追及はその後も秘かに続けられ、翌1418年正月(応永27)、処刑された。(は禅秀の乱敵味方供養塔:応永25年、魂供養のため清浄光寺に建立された石塔
 この事件は義持の政権基盤を確立するためのでっち上げ説があるが、地方での同族の相克に将軍家が介入するこの争乱が、戦国時代への幕開けとなった。 

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2013年5月10日 (金)

初夏の花々

 安倍総理のやや右傾化の言動が、中韓のみならず、友邦と信じている米国の一部からも批判されだした。憲法96条改正についても批判的意見が強くなっている。やはり、一国の首相たる者、自分の信念も大切だが、現今の世界的視野に立っての言動であってほしい。
 今初夏の花々が一斉に咲き乱れている。今日はとりあえず今満開の木の花。
Photo  エゴノキ。この名前は実がエグイので、エゴノ木となった由。別名チシャノキ、ロクロギがある。前者は動物の乳に似ている故乳成りの木が転じたもの。後者は傘の柄に使われる処からの名。北海道から沖縄を除く全国に自生。梅雨時期の白い花が明るくて、庭木として好まれている。花期は5月いっぱい位。
Photo_2  キリノハナ(桐の花)。神宮の神域の林にそびえて咲いていたもの。遠方故にややピンボケ。桐の木は成長が早く、昔から嫁入りの箪笥材として用いられた。故に女児誕生と同時植えられたもの。切ればすぐ芽を出すところから「キリ」となった由。
Photo_3  ノイバラ(野薔薇)。野薔薇の代表種。花径は2cmほどの小さい花。野原、草原どこにでも生えるが、森林の中などには余り生えないという。果実は瀉下薬、利尿剤になり、日本薬局方にも載っているという。花期5-6月。バラ接木の台木となる。

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2013年5月 8日 (水)

やっと名前が判った花、「カラタネオガタマ」

 名称カラタネオガタマ(唐種招霊)。別名トウオガタマ(唐招霊)。
Photo_2   この花、近くの小さな神社・貴船神社の境内で、もう1ヶ月近く前から、いい香りを放って咲きだした。しかし、名前を神社近くの人に聞いてもご存じない。ネットで調べても不明。仕方なく昨日、似た花を検索していると、この花の名前を記載したページに遭遇した。改めて検索すると、詳しい情報も判ったので、今日このブログに掲載することが出来た次第。
Photo_3  花発見時から1ヶ月。やっとその正体が判った。中国南部原産。江戸時代に渡来開花期は4月~6月頃までで、この木は未だ沢山蕾を付けている。花径は3cm位の厚い花弁で、ふちが少し紅紫色を帯びる。最大の特徴はこれが発する芳香である。花は左程美しいものではないが、完熟バナナのすっきりした様な甘い香りが周囲一円に漂う
Photo_4  花名は招霊と書くが、昔からこの木は神事に用いられ招霊(ヲキタマ)が転じてオガタマになった由。それに中国渡来故の「唐」がついた。今でも暖かい地方の神社境内には多い木だという。勿論一般の庭木としても用いられる。尚写真上と中は同じ木の花だが色合いが光の加減か少し違ったので載せた。下の写真の様に花は葉に隠れて判りづらい
  

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2013年5月 7日 (火)

争乱の戦国史10 (室町Ⅰ04): 足利氏の支配体制

 1338年(暦応1)、足利尊氏によって成立した幕府は、3代将軍・義満が京都・室町に建てた将軍邸「花の御所」に因み「室町幕府」と呼ばれた。
 後に、将軍の下に、将軍補佐の三管領を置き、その下に四職を置き、有力守護の合議により幕政を行った。そして、関東には鎌倉府を置き、その長官・関東公方には尊氏の子・基氏とその子孫が世襲し、補佐役に関東管領を置き、上杉氏の世襲とした。
 戦国時代には、幕府機構の各職が連携、集合、離散を繰り返し、話が複雑となるので、参考のために、今回は、・機構図 ・将軍系図 ・関東公方系図 ・関東3管領系図 を以下に掲載して置きますので、向後、回が進み複雑な時のご参考にしてください。

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2013年5月 6日 (月)

連休浮かれに紛れて

 国内、ましてや福岡では”どんたく祭り”で好天気にも恵まれ、日本中が行楽に浮かれていた。その中で安倍首相はロシアから中東と外交に飛び回り、最後に長嶋・松井両氏の国民栄誉賞授与と、ご苦労様でした。
 どれも大切なことではあるが、トルコでの、トップセールスマンを称しての「原発受注の優先交渉権獲得」については驚いた。日本国内での原発事故は世界中に知れ渡っており、日本では懲りて、原発離れを探り、世界中も脱原発を模索している中、いくら製作技術が優れ、通常運転での安全性が高くても、この時期の、そして当事国の日本が何故、今外国へ原発を売り込むのか、私には理解できない。この事、世界はどう見ているか聞いてみたい。
 日本激動(or漂流)の予感の中、夏に向い木々は葉を茂らせ、花を咲かせている。
Photo  メノマンネングサ(雌の万年草)。別種の雄の万年草に対応した名前。本州以南、沖縄までの山地や人里、河原、渓流、海岸などに自生する。ベンケイソウ科キランソウ属特有の星形の花の特徴がある。マンネングサには沢山の種類があるが、このマンネングサはSedium japonicum の名前が示すように日本種の代表だと云われる。
Photo_2  タニウツギ(谷空木)。谷間に多い空木から来た名前。北海道から本州の日本海側の山地に自生するが、花がきれいだから庭木にされている。これは珍しく日本特産の木で白い花の白花空木や、白→紫→紅と色の変わる箱根空木があるそうだ。5-6月の田植え時期に咲くので「田植え花」ともいわれる由。

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2013年5月 4日 (土)

博多は祭りの真っ最中

 昨日、今日と博多はドンタク。街は人出が多く(200万人)出かけるのも億劫。郊外は有田をはじめ焼き物祭り。重ねてツツジと藤の花見で、どこもかしこも渋滞。今日は家で野球のTV観戦とする。何しろホークスは5連勝で首位に2ゲーム差と迫った。今日も初夏の花を紹介。
Photo  ピラカンサス。和名タチバナモドキ(橘擬)、トキワサンザシ(常盤山櫨子)。秋の橙ー赤の実はよく目立つが春の花は見過ごしがち。コデマリに少し似た花。庭木以外に生垣や鉢植えにもされるが、棘があるのが庭木としては難点。日当たりの良い所でよく育ち、花期は5-6月頃まで。
Photo_2  ムラサキカタバミ(紫片喰)。別名キキョウカタバミ(桔梗片喰)。南米原産で、江戸時代に観賞用として輸入された。園芸種としてオキザリスがある。4-10月と花期は長い。花の色の濃いものはイモカタバミ(芋片喰)と言われるそうだが、これはどうだろう。
Photo_3  ベニバナツメクサ(紅花詰草)。洋名クリムソンクローバー。ヨーロッパ原産の帰化植物。江戸時代梱包材の替りの詰め物として使われたことからの名前。法面保護などの緑化事業に使われ、又庭のグランドカバーとして使われ、よく茂るので重宝されるとか。

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2013年5月 3日 (金)

争乱の戦国史9 (室町Ⅰ03): 応永の乱

 明徳の乱後、1392年(明徳3)閏10月、南朝の後亀山天皇が帰洛し、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲り、南北合一がなった。尤も、義満に講和する気はなく、その不誠実さに、後南朝と呼ばれた残党勢力はその後80年に亘る幕府撹乱を続ける
 明徳の乱後、大内義弘は山名氏に替わり和泉・紀伊両国の守護職を獲得し、南北合体にも重きを成し、大きく躍進した。弱体の九州探題・渋川満頼を助け、九州調略に活躍。ところが1393年(応永6)、義満の上洛命令を拒否し、謀反を決意する。
 謀反義満から少弐氏討伐の命を受け、菊池・千葉・大村各氏など含め大勢の敵と戦い討伐するも、後日義満が少弐・菊池らに義弘討伐を命じていたことが露見明徳の乱の功として受けた和泉・紀伊領国没収の噂少弐討伐で戦死した舎弟の遺児に恩賞が無い。④今回の上洛命令は義弘誅殺の噂がある事、等による。
 僧・絶海が翻意説得に派遣されたが、義弘は既に関東公方・足利満兼と内通していて、翻意拒否となり、ここに応永の乱が勃発した

 西の大内東の関東公方の2つの巨大勢力を結びつけた今川了俊1370年(応安3)、義満政権の管領・細川頼之により九州探題に抜擢され、九州で勢力をふるう南朝勢力を駆逐し、南九州の地頭御家人らを島津支配から解放した。
 ところが、了俊は1395年(応永2)突然九州探題を解任され、京都に召喚された。一つは義満が了俊の勢力拡大を危惧したと云われるが、他に探題の地位を伺う大内義弘、又は一族を探題にしたい管領・斯波義将(ヨシユキ)等の策謀説もある。しかし、突如義満から再度の九州下向をを命じられ、この措置を事実上の流罪と悟って、了俊は俄に隠居を決め遠江に下国した。
Photo_2   1399年(応永6)、大内義弘の挙兵(応永の乱)に呼応して、関東公方・足利満兼も上野国足利荘まで進駐したが、義弘敗死の報を聞いて翌年鎌倉に引き上げた。一方今川了俊は、相模藤沢に潜伏していたが、義満からの上洛すれば助命するとの誘いに応じ、政治生命を捨てた。(:大内氏、今川氏の領国没収
 かくして、義弘は籠城する境において1399年(応永6)12月、管領畠山基国の長子・満家に討ち取られた。和睦の可能性を残した籠城も裏目に出た。尚、この乱も、明徳の乱同様、斯波与党への粛清としての性格があり、畠山氏は足利将軍家の直轄的性格を持ち、斯波・細川両氏による管領独占に楔を打込み三管領家が成立した。

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2013年5月 2日 (木)

五月晴れの連休?

 予報通り、気温はやや低いものの快晴となり、実に爽やかな日和となった。あちこちの連休風景がTVで報道され、結構国内小旅行で休日を楽しんでいるようだ。山を見ると当に新緑が萌え、花に代って美しい光景を見せている。その中で今頃咲いている木の花。
Photo  ムレスズメ(群雀、金雀花)。中国原産。日本へは江戸期に渡来。花の咲く様が群雀に似ているとこからの名前。この花は日が経つにつれ、段々紅味がかった色に変化する。花が咲く時は、まだ葉が出てないので、全体が黄色く見える。
Photo_4  カナメモチ(要黐)。生垣や庭木として植えられている。この木は堅く、農具の柄などに利用される。葉も堅く金属的なところから付いた名前だという。始めは紅い葉段々緑色に変わるが、これは葉緑素の形成が遅れるからだという。花は観賞用になるという程美しくないが、花を付ける木はよい。
Photo_3  ハクウンボク(白雲木)。別名オオバヂシャ(大葉萵苣)。エゴノキ科で、エゴノキの花と非常によく似ているが、葉が違う。白い花が満開に咲く様が、遠目には白雲の様に見える処からの名前である。

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