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2013年5月28日 (火)

争乱の戦国史15 (室町Ⅱ05): 大陸・半島との民間貿易

 15世紀頃、中国・は民間貿易を禁じ、日本国王による「朝貢貿易」しか認めなかったのに対し、朝鮮は朝貢貿易の外民間貿易も認め、大名や国人、商人達にも広く貿易を許した。その背景には、長年倭寇の跳梁に悩まされた苦い経験を持ち、又、建国の父・李成桂が倭寇鎮圧で名を挙げた武将だっただけに、倭寇日本の国人・商人達のもう一つの顔であることを見抜き、正式に貿易を認めれば倭寇の活動が鎮静化することを見抜いていた。
 朝鮮は当初日本船のええんがんかくちでの貿易を許可したが、後に国防上から入港地を富山浦(プサンポ)と乃而浦(ネイポ)、塩浦(ヨムポ)三港に制限した。所謂三浦である。これら港は日本船の入港地に過ぎなかったが、やがて多数の日本人が移り住み、事実上、対馬の宗氏が自治権を握る日本人居留地と化していった。
F_2  一方朝貢貿易は、朝貢を受ける立場から、国力誇示の重要な舞台であり、朝貢使節手厚い接待高価な下賜品を以て迎えられた。更に次第に民間貿易締め付けを強化した事もあり、朝鮮国王の下には、元民間貿易に携わった日本人が、朝貢を口実に殺到した。
 応永の外寇後、対日強硬論者の太宗が没し、親日的な世宗が親政を開始すると、朝鮮との修交が特に厚い者にはその名を刻んだ銅印をを下賜し、その印を押捺した外交文書を帯行すれば、朝貢を許すという優遇政策が普及した。この銅印を図書、外交文書を書契(ショケイ)と呼び、又図書を与えられたものを受図書人と呼び、対馬・壱岐の外、九州・中国地方に広く及んだ。(図書印
 又受図書人以外の朝貢希望者には対馬内であれば宗氏の、九州であれば探題渋川氏書契帯行が義務付けられたが、後には松浦氏、島津氏、周布氏、大友氏などの書契も認めるようになったが、偽物も出回ったので、宗氏が発給する渡航証明書の携行が求められるようになった。この制度はやがてすべての渡航者に適用され、日本から朝鮮への渡航船は全て宗氏の管理下に置かれるに至ったのである。 

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