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2013年4月16日 (火)

争乱の戦国史5: 序論 戦国の予兆(4) 室町幕府、全盛期へ

 尊氏は戦上手の武勇者であったが、国内統治の行政能力は弟・直義の方が優れ、治政は直義に任せる、即ち軍事部門担当は尊氏、行政部門担当は直義と役割分担をした。しかし、徐々に考え方に相違が出てきて、何かと対立が増えてきた。そして側近を巻き込んで、幕府は尊氏派と直義派に分裂し、1350年(観応元)には「観応の擾乱」と呼ばれる内乱にまで発展した。
F_4   両派の対立は直義と尊氏の死後まで続き、2代将軍となった義詮(ヨシアキラ)(尊氏の子)と直冬(直義の養子)の代まで持ち越される。全国の守護や有力豪族も夫々を支持して対立、争乱は全国へと拡大した。この結果、地方の守護が力をつけ、後に「守護大名」へと成長してゆくことになる。当に戦国時代の予兆でとも云うべき事態が徐々に育まれ始めていたのである。

 1368年3代将軍に就任した足利義満は、後醍醐天皇の死後、衰退する一方だった南朝と北朝のとの講和を斡旋1392年に南朝の後亀山天皇が京へ戻り、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って譲位するという形でようやく統一を果たした。
 長期間にわたって続いた内乱を収拾した義満は、それまで朝廷が握っていた様々な権益を幕府のものとして経済基盤を築き、強力な独裁体制を作り上げる。足利幕府は義満の時代に、その絶大な指導力によって全盛期を迎えることになる

 幕府機構は後述するが、将軍の補佐役・管領は、細川・斯波・畠山の三管領が交替で勤め、東国には「鎌倉府」、西国には「九州探題」を核とし、全国支配を強化した。又、鎌倉府の長である「鎌倉公方」は尊氏の子・基氏が着任し、以降足利氏の子孫が、関東管領上杉氏の子孫が世襲する。

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コメント

改めてですが、南北に分かれていた権力を統一したのは凄いことですね。
そうした役割を果たす人がいると時代が動くのでしょうか。
しかし、歴史は繰り返されるんですねぇ。

この時代に地方の大名が力をつけた理由がよく理解できました!

投稿: Y | 2013年4月17日 (水) 10時44分

 簡単に言えば、この時代、朝廷の力は衰微し、世の中を動かす力はありませんでした。実力を持つ武家が、“象徴”として利用していましたので、必要な存在ではありましたが、実権は足利幕府にありました。やがてその足利幕府も力を失います。即ち戦国時代です。

投稿: 山猿 | 2013年4月17日 (水) 16時32分

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