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2013年4月25日 (木)

争乱の戦国史7(室町Ⅰ01):守護の領主化・世襲化

 タイトルに(室町Ⅰ01)と表記したのは、室町時代の「戦国時代の萌芽期」を戦国期第Ⅰ期として、その第一回目の意です。凡その時代表示のため、この方式を毎回用いますので、ご了解しておいてください。
F7  草創期の室町幕府は、守護を上古の吏務(国司)としており、南北朝期には概ね維持されたが、南北朝動乱が終息を迎える14世紀末~15世紀初頭には、守護の所領感が台頭し、守護職の世襲化、所領化が急速に進行し、領主化してゆく。
 これは、将軍が有力守護に屈した部分があるが、義満自身が守護職補任状「相伝に任せて補任する所なり」の文言を使用し始めたときから、守護職の領主的部が強まり始めた転換期であった。
 これを山名氏の場合に見ると、上野国山名郷を名字の地とする武士で、早くから足利氏に属し鎌倉倒幕、南朝掃討に活躍した。だが、足利直義(尊氏の弟)の死後、幕府に叛旗を翻し1353年、55年南軍として入京
 山名時氏、師義親子が執事(管領)・斯波義将の懐柔により1363年(貞治2)幕府に帰参。この時、周防の大内広世幕府に帰参し、北朝の勝利が確定した。但し、帰参の条件として彼らの支配領域をそのまま追認するよう義詮(2代将軍)に求め、結果、大内氏は周防・長門の二か国の、山名氏は因幡、伯耆、丹波、丹後、美作五ヶ国の守護職を安堵されたのである。
 従って、これを如何に吐き出させるかが3代将軍の課題となった。山名親子は更に隠岐、但馬の守護職を手に入れ師義の弟・義理(ヨシマサ)に与えられた紀伊、氏清に与えられた和泉、山城、時義に与えられた備後、師義の子・義幸に与えられた出雲を加えると、山名一族だけで12ヶ国、全国の6分の一に当るのである。勿論夫々個々の所有もあり全部が山名一族の分国ではない。唯、因幡、伯耆、丹波丹後、美昨、隠岐、但馬7ヶ国の守護職は実質的に山名一族の世襲所領と化していた。但し、義満が与えた畿内守護職の多くが総領ではなく、弟の義理や氏清であったため、兄弟間の同族連盟や同属報告の争乱などの一因ともなってゆく

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