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2013年3月

2013年3月29日 (金)

安倍人気の根源はなに?

 民主党政権より現政権の方が何かやってくれそうとの期待はあるだろうが、3月の世論調査では男73%、女68%と男性の支持率が女性を上回り、内閣支持率は前回より上昇した。
 新聞論説では、安倍好き派と、安倍嫌い派ははっきりしている。嫌い派は大方が国民学校に入学した世代で、日本は二度と戦争しない、平和憲法は堅持すると云う人々だ。好き派は安倍さんのいうことを支持する。問題は中間派。冷戦終結で左翼的なものは崩壊した時代に思想を形成した30代の男性の支持が強く、テレビやネットを通じての安倍さんの言動しか見えてない世代のフワッとした人気に危うさがあると指摘する。これまでの方向と違う方向に舵を切るときは、無関心ではいけない。世の中は動いているが、自然も春真っ只中で山桜が山の所々を白く染めている。今日はちょっと変わった花2点。
Photo  ノースカロライナ・ジャスミン。長い名前で、マチン科ゲルセミウム属という聞きなれない種の花。米カロライナ州原産のつる性花木。花がジャスミンの香りがする故の名である。フェンスの垣に這わせて咲いていたもの。生垣用にはいい花だが、花観賞用にはお奨めできるほど美しい花でもない故か、これまで3軒ほど見ただけである。
Photo_2  ハナズオウ(花蘇芳)。これはマメ科ジャケツイバラ亜科の花。葉が無いせいで赤紫色の塊に見え、遠くからでもよく目立つ。葉は花後に出て、豆果を付ける。名前は、スオウという植物から得られる染色に似た色から来ているそうだ。この木は幹がら枝分かれして株立ちするので、樹形が庭木に適しているかどうか。

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2013年3月26日 (火)

路傍の花 Ⅲ

 今日も朝から好天。桜を愛でながら歩いていて、ふと目についた草花を今日も紹介。
Jpg  ハナニラ(花韮)。本名はイエイオン(Ipheion)だが、切ると韮の匂いがする故の名前。明治時代、観賞用に導入された園芸植物だが、逸出し帰化した由。私は白しか知らなかったが、この様に淡紫色のものあるそうで、しかも群生していたので撮った。植え方により花ばかりでグランドカバーが出来るそうだ。
Photo  球根で増やすが、放置すると種が散っても増える。原産地は南米。別名スプリングフラワー、或は西洋甘菜などとも言い、黄色の花をつけるのは、キバナハナニラという。美しい花だが、傷つけば葱臭がするので、庭植えは敬遠される様で、やはり公園向きか
Photo_2  ムラサキケマン(紫華鬘)。我が庭にどこからか飛んできて毎年咲くので残している。これは初夏まで成長した後、地上部は枯れてしまい、地下に団子状の塊茎を残す。これが秋に芽をだし、春には花茎を立てて咲くという変わった植生の花だ。但しプロトピンという毒性を持ち、これを食べるウスバシロチョウの幼虫は蝶になっても毒を持っているという。

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2013年3月25日 (月)

路傍の花Ⅱ

 気温は低下したが何処も此処も、今日は桜が満開。だが当頁は昨日に続き、今咲き誇っている草花を紹介する
Photo  スミレ(菫)。野生のスミレである。最近あまり見かけないが、これは山裾の公園での写真。珍しく群生していたので撮って来た。日本には55種類ものスミレがあるそうだ。名前の由来は、大工が使う墨壺に花の形が似ているところから、墨入れ、更に縮まってスミレとなった由。園芸種のパンジーはスミレの種類である。
Photo_2  トウダイグサ(灯台草)。花として美しくはないが、形が珍しい。神社の灯明を灯すカワラケに似ている故の名称。この草は少なく珍しい部類だったが、今年は何故か群生している。何故急にこれが群生しだしたか不明だが、よく見ると、年によって勢いのいい花が、一定せず、気候によって入替るような気がする
Photo_4  ホトケノザ(仏の座)。ホトケノザは既掲だが、最近これも群生していつまでも咲いている、不思議な現象が続いているので群生を掲載した。ご存じ春の七草ではあるが、左程美しくもなく、結構強いようで、公園などで繁茂するのも迷惑な草ではあるのだ。

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2013年3月24日 (日)

路傍の草花も繚乱

 絶好の花見日和となった。今日は路傍でも咲き乱れる小さな草花をご紹介。
Photo  キランソウキランソウ属の一種だが単にキランソウといえばこの花。地面に這っているように咲いている変わった花。やや湿り気味の場所に毎年咲いている。葉の裏側も紫色。花は濃紫色唇形で花冠は約1cm位。下唇が3裂している。生薬(筋骨草)は鎮咳、解熱、去痰に効き、イシャダオシの名がある。
Photo_2  トゲミノキツネノボタン(刺実の狐の牡丹)。長い名だが
「名は体を表す」の通り、花の真ん中の緑色角状の突起が大きくなり果実となる。コンペイトウ草の名の由縁である。花弁は1.5cm位で艶があるのが特徴。花期は4-6月。これも湿気のある草叢に生える。ラヌクリンという毒性物質を含み、食すると口腔内、消化器に炎症を起こす。
Photo_3  トキワハゼ(常盤爆)。果実が爆ぜるのに由来の名。又花期が春から秋までと長いのが「トキワ」の由来。下唇が平たく伸びる唇型花、上唇は浅く裂する。花径は5-7mm位。匍匐茎はない。この花にソックリでやや大きく、花径も1.5cmなのが、ムラサキゴケ或いはサギゴケといい匍匐茎を持つ園芸種があるが、別種である。

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2013年3月23日 (土)

日本の農業どうする?

 安倍政権が抱える沖縄普天間移設問題。沖縄県知事は勿論県外移設を願っているが、辺野古への移設を拒否すれば、現状では普天間固定化の問題が残る。それも当然反対であり、知事はこれからの名護市長の意見聴取を踏まえ、あと1年かけて結論を出す構えだが、大変な難題である。
 一方、TPPとの絡みで、首相は「農業を成長産業にする」という。1965年73%だった食料自給率11年は39%に落ち込んだ。食の欧米化による米消費減もあるが、食糧生産者(農業)の人口減(5年で2割減)、と高齢化(平均66歳)で、耕作放棄地が20年で倍増している。政府は農地法を改正し、農業を企業化しようとしているが、いまだ明確なビジョンが見えない。昔は農は国家の基本といわれたものだが・・・・。
A  今日の花は今盛りのシバザクラ(芝桜)。花公園などでよく使われる花だが、写真は大きな庭のある家の、生垣の外側で石垣との間を埋めるグランドカバーとして植わっていたもの。この家の主人は「これは豆桜」とおっしゃったが、正確には芝桜である。花が桜に似た1cm位の花を付ける故の名前。花期は4~5月。
B  乾燥や、寒暑に強く、常緑のため、花が散っても芝生代りになるため、植えられることもあるという。ハナシノブ科フロックス属という珍しい科目の花。元々北米原産で、日本でも北海道では町花としたり、広大お花畑を造成したりしているところも多いようだ。
 

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2013年3月21日 (木)

花咲き乱れ、春爛漫

 福岡では桜が5~7分咲き。今週末は花見に最適だろう。それで、今日は桜にあやかり、ピンクの花を揃えてみた。不思議に春はピンク系の花が多い気がする。
Photo  ハナカイドウ(花海棠)。別名カイドウ(海棠)、スイシカイドウ(垂糸海棠)。これはまだ蕾が多いが、すぐ満開となろう。花言葉が「艶麗」言われるように、実に華やかな花である。江戸初期に渡来。実の成る実海棠に対する名前。普通ソメイヨシノに次いで咲く花ではある。
Photo_2  ベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)。中国原産でトキワマンサクの変種。花弁4枚が一つの花で、それが密集している。別名アカバナトキワマンサクともいう。学名chinese rubrのrubr が真赤の意である。中高木で大きな樹になる。写真は雨で少し痛んでいる。
Photo_3  ハナモモ(花桃)。花の観賞用に改良された品種故、庭木によく植えられている。改良は江戸期に行われたもので、開花が桜よりは早いので、梅と桜のつなぎに愛用される。勿論実もなるが、食用には適さない由。

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2013年3月20日 (水)

やはり長寿は食べ物から

 厚労省が5年毎に発表する県別平均寿命で、85年時には沖縄県が男女ともに1位だったが、2010年では男性が30位女性が3位に転落。代って男女ともに長野県が1位に浮上した。沖縄県の平均寿命そのものは伸びているが、他県の伸びが大きかったという。
 原因は、食べ物によるとのこと。従来に比し、高齢者では従来食嗜好で伸びているが、若い世代での肉食による高脂肪、高カロリーで且つ、寿司、ラーメンなどによる高塩分摂取が寿命を縮めている由。使用量一位だった昆布による味付けも、化学調味料へ移行しており、この傾向は全国的であり、日本全国の平均寿命が落ちて来る可能性を指摘している。
 食べ物の選択と同時に、食べる量にも気をつけねばと思う。今日の春の花は黄色い花
Photo  レンギョウ(連翹)。今花盛りで、黄色だからよく目立つ。別名レンギョウウツギ。古くはイタチハゼ、イタチグサと言ったそうだ。英名golden bell 。レンギョウは中国ではオトギリソウ又はトモエソウだが、日本にはこれが誤って伝えられたという。落花後、葉が出そろう。病害虫に強いので、庭木以外公園などに多用される。
Photo_2  サンシュユ(山茱萸)。江戸・享保年間(1716-1736)、半島経由で薬用植物として移入された。果肉がヤマゴミ(山茱萸)という生薬となり、強精、止血薬、解熱剤として使われた。別名ハルコガネバナ(花から)、アキサンゴ(赤い実から)と呼ばれる。写真背後の赤は木瓜。

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2013年3月19日 (火)

倭国の興亡191: 終章・・・日本の誕生

 前回、「倭国の終焉」なる稿を記した。倭国と呼ばれる国が存在しなくなって、代って、日本と呼ばれる国が誕生したと認識できる時代の転換点が、この頃であろうと考えたからである。では何がどう転換したのか、転換の中身を記しておく必要があろう。これは全く私なりの見解であるが、以下の通りである。
1.国号の変化:倭国自身が中国や半島諸国に対し「日本」の国号を使い、相手からも日本と呼ばれるようになった。
2.天皇制の確立:神格を備えて、不改常典(恒久規範)の国家統治者である天皇制が確立した。併せ、律令制の完成。
 各項について若干解説する。
国号日本という国号は、大王が天皇と呼ばれ始めた天武朝の頃(672年)、日は日神即ち天照大神の子孫である「日の皇子」の統治する国という意味で定められたといわれる。
 尤も、日本の国号が最初に対外的に使われたのは、702年出発の遣唐使が日本からの遣使と名乗ったのが初めてという。ところが天平勝宝年間(750年頃)でも国内では倭(ヤマト)と呼ぶのが圧倒的で、同音好字で「和」の字が併用され始め、次第に「和」が主流となった。これに「日本」を充てて「ヤマト」と呼んでいたが、平安時代になって「ニッポン」という読みが定着したという。
 因みに、中国史書に初めて出たのは『旧唐書』で「日本国は倭国の別種なり(日本伝)」とあり、日本国は倭人であるが倭国とは別と書いている。
 即ち中国は(人)は種族名であり、日本は王朝名であると理解していたようだが、それが正鵠を射ている理解だと思う。

天皇号:天皇(スメラミコト)は、以前の大王(オオキミ)が地方豪族を媒介した間接支配であったに対し、諸豪族を一官僚の地位に置いて全国一元支配を始めたのである。それは7世紀後半(天智・天武朝以降)であろう。王権の継承も兄弟継承から父子継承へ、そして譲位制への変化が王権強化を推進めた。
 そして、律令制度の深化により、より日本的な律令制を完成させ、平城京から平安京への遷都、即ち天武朝から天智系統の桓武朝に変わるまでの間、古代天皇制から脱却し、新しい天皇制へと変化してゆく中で、日本特有の王権である天皇制が確立され、神格を持つ天皇への変化が完了したのである。
 以上簡略に過ぎるが、真の意味での古代国家・倭国が、中世の日本に変貌を遂げたのは、桓武天皇の平安時代からであり、その直前の平城京の消滅で倭国も消滅した。長岡京はそのクッションであった。

 以上を以て「倭国の興亡」を終了いたします。長きに亘りご高覧頂きまして有難うございました。いずれ又、新シリーズを掲載予定ですので、ご期待ください。     

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2013年3月18日 (月)

美しさときれいさ

 有田焼の陶芸家・十四代酒井田柿右衛門さんの事が書かれた新聞のコラムの中に、次のような柿右衛門さんの言葉が載っていた。
 「今の作家には美しさときれいさは違うものだということをわかって欲しい。きれいなものはパソコンなどで素早く作れが、美しさは味があって深みがあって表情があるものです。日本人が本来大切してきた美意識を受け継いでいってほしい。」というものです。
 これを読んで同様の事を思い浮かべた。偉大であることと有能であること立派な事と正しい。等々である。何れも前者人として成熟しないと達せられない領域であり、後者学校で真面目にやっておれば到達できる領域である。現代の教育は後者を目指しているだけで、人間を育てることが疎かになっている感がしている。
 昨夜から今日午前中の雨もやみ、明日から又暖かい春になるという、今日も春の花。
Photo  コブシ(辛夷)。モクレン科モクレン属だから木蓮に似ても当たり前で、前回相違点に触れたが写真を付け無かったので、今日紹介。今盛りである。名前は蕾の時、握り拳に似ているから、拳が転じて辛夷となったという。学名Magnolia kobus(コブス)は日本語のコブシから来たと言う。田植の頃咲くので「田打ち桜」の別名もある。
Photo_2  シモクレン(紫木蓮)。単にモクレンといえばこれを指し、白はハクモクレンという。昔は花が蘭に似ているとして、モクランと呼んだが、現代はむしろ蓮に似ているというので、木蓮になったという。

 いずれも、高木で5m位にもなり、どうしても青空を背景の写真となって仕舞う。
 

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2013年3月16日 (土)

TPP交渉参加

 テレビ、新聞がすべて「TPP交渉参加表明」の事を報道、記載している。安倍首相は、日本の農業はじめ、中小零細企業が関税によって守られていることは充分承知ながら、米国の強い要請を受け「『交渉』に参加する」だけで、交渉の結果如何により、どうしても外せない関税は残すことの可否により、参加の是非を決めると力説している。どう見ても自民党支持基盤の保護を第一義にしているとしか聞こえない。勿論米国との協調路線の維持が不可欠との大前提である。
 しかし、ここにきて、そんな現実や目先の諸問題対応ではなく、本当に今後の世界の向くべき方向、あるべき姿を考えれば、もはやあらゆる国家は、政治的にも経済的にも孤立しては存続しえない全世界と友好関係、協調関係を作り上げる時期に来ている。自国の利益もっと言えば、自分の政権維持だけで議論すべきテーマではないという観点からの、TPP推進論もある。この問題は拙速ではいけないが、全面否定では人類の将来も否定する。まだまだ時間をかけ紆余曲折せざるを得ないことと思うが・・・・。今日も春の花。
Photo  ユキヤナギ(雪柳)。この2、3日で、一斉に満開状態となった。別名コゴメバナとも。日本原産説のある植物だ。病害虫に強い花で、且つよく伸びる。満開時の株全体が真っ尻になり、雪を被った状態になるところからの名前。コゴメバナは白米が寄っている感じからの名前とか。
Photo_2  カワヅサクラ(河津桜)。オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種と言われるが、春にいち早く咲くので人気がある。静岡・河津町で原木が発見されたので付いた名前。1974年の命名だからそんなに古くからあった桜ではない。白からピンクまで各種あるようで、これは薄いピンクの花。もうそろそろ散り始めた。

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2013年3月15日 (金)

倭国の興亡190:新王朝の成立・・・倭国の終焉

 769年5月称徳呪詛事件が起きる。聖武の娘・不破内親王は安積親王や井上内親王(白壁王妃)の同母妹であり、称徳の異母妹(系図参照)である。その不破内親王が、称徳の女官・県犬養姉女に称徳を呪詛させ、自分の子・氷上志計志麻呂の天皇擁立を図ったというものだ。結果、京外追放、配流などに処された。しかし、後にこれは誣告(ブコク)であると判り、不破内親王は元に復している。但し、782年もう一人の子・氷上川継の謀反事件に連座し淡路に配流された。これらは、道鏡即位の障害にとなる皇位継承候補者・志計志麻呂を狙って、母共々排除しようとした事件だった。(図は聖武と桓武の関係系図)
190  770年称徳3月に倒れ8月4日、平城宮西宮寝殿で死去。この頃既に道鏡はその政治的地位を失っていた。議政官たちは即日、贋の遺詔により、白壁王を立太子し、道鏡を下野薬師寺別当に左遷、弟浄人も土佐に配流し、一気に政治体制立て直しを図った
 10月には白壁王が即位し、光仁天皇となり、初めて天武を始祖としない天皇が出現した。これは聖武の娘・井上内親王を妻とし、又既に他子(オサベ)親王が生まれており、聖武の血が維持されるからであった。
 しかし、771年2月温厚な左大臣藤原永手の急死により、再び政変が起こる。772年皇后井上内親王が光仁を呪詛したとして廃され5月には他戸親王が皇太子の地位を追われる772年10月光仁の姉・難波内親王の死去にかこつけて、井上・他戸母子が呪詛したとして幽閉され、775年4月同日死去した。

 変わって773年立体子したのは他戸の兄・山部親王である。母は渡来人の血を引く高野新笠で、出自・経歴共に異例中の異例だった。この筋書きは藤原良継・百川兄弟の作と言われ、良継の娘・乙牟漏は山部の妃となり、平城・嵯峨両天皇を生む。
 781年山部は病気の光仁から譲位を受け、桓武天皇として即位する。桓武は二大政策として「造都」「征夷」を掲げた。こうして平城京の奈良時代は終った
 7世紀以来構築してきた律令国家の諸システムが円滑な機能を果たし始め、日本型律令制を築き上げる過程に入った。原始以来の「倭国」の終焉である。そしてそれは新しいシステムの日本国の誕生であった

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2013年3月14日 (木)

燃料の切り札か、メタンハイドレート

 今日は一転冷え込んで3月上旬の気温とか。でも、福岡は福岡気象台が昨日桜開花宣言を出した。最速タイ記録だそうだ。
 更に暖かくなりそうな話。日本列島周辺海域の海底に、メタンハイドレートなる、水とメタンが結合し氷状になった物質が相当量埋蔵していることが判っており、その試験発掘即ち海底で分解しメタンガスを採取することに世界で初めて成功したというニュース。石油天然ガス、金属鉱物資源機構(TOGMEU)なる長い名前のお役所が手懸けている。原油高、排ガスの大気汚染など諸問題も解決し、将来に大きな夢が持てそうだが、今のところ、メタンを分離採取するコストが問題だそうだ。その問題が解決すればもう原発は要らなくなるが・・・・。
A  近日の暖かさで、色んな春の花が一斉に開花した。その中で、今日は大輪の花をつけたハクモクレン(白木蓮)を紹介。
 コブシ(辛夷)より一足先に咲くのがこのハクモクレン。コブシの花が横向きに開くに対し、これは上向き咲く。コブシと比べ、花びらの幅が広く厚みがあり、コブシが全開するに対し、これは全開はしないのが特徴。花は南側が日に当たり膨らむ関係からやや北向きに咲く。蕾の時、北へ反り返るところから「磁石の木」とも呼ばれるそうだ。
B  白木蓮の花弁は枚あるように見えるが、この内枚はがくだが色も白く、大きさも花弁と変わらぬゆえに判らないが、コブシと同じく6枚である。蕾は辛夷(シンイと読む)と言って、頭痛や鼻炎の漢方薬と用いられるという。中国原産で古くより日本に渡来。紫色のモクレンシモクレン(紫木蓮)または単にモクレンと称しこのハクモクレンと区別している。

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2013年3月12日 (火)

春を通り越したか

 今日の最高気温、福岡では22℃の予報。5月中旬の暖かさ(暑さ?)という。暖かいのはいいが、昨日より7℃高いとのこと。昨日は煙霧とは関係ないと思うが朝から霞がかかったようで曇り、夕刻晴れ間が出たものの、空気は冷たく寒く感じたが、今日のこの変わり様は、又いったいどうしたの?と言いたくなる。PM2.5、黄砂、花粉といろんな有害物質が日替わりメニューの様に毎日襲ってくる。「美しい国・日本」を作るというが・・・・・。
 それでも春の花が次々と咲いて、外を出歩きたくなる。厳重にマスクをしての散歩。
Photo  ノボロギク(野襤褸菊)。これは蕾でなく、これが開花した状態。春から夏に掛け、長期に亘って咲く。花が終わると総苞が白の綿毛となる。見た目可愛いが、この綿毛を襤褸(ボロ)に見立てての名である。日本には明治初期欧米より渡来したそうだ。雑草に混じって殆ど年中咲くところから、別名ネンガラグサともいう。
Photo_2  ネコヤナギ(猫柳)。これも花ではあるが、も少しして蕊(メシベ、オシベ)が毛の中にでてくる。子犬の尻尾に見立てて、別名エノコロヤナギ(狗尾柳)とも云う。水分の多い場所によく育ち、河辺によく生えている。これは雌雄異株で、夫々雄花、雌花を咲かせるというが、この写真のがどちらなのか判らない。

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2013年3月11日 (月)

倭国の興亡189: 蝦夷の乱

 道鏡が配流(770年)されてより10年ほど時代が下る頃、平穏であった東北地方にも争乱が始まる。当時、岩手県・胆沢(イサワ)は蝦夷の地であった。そこからはるか南(旧築館町)に伊治(コレハル)という倭国の軍事施設があった。780年蝦夷の伊治呰麻呂が内輪揉めから、そこの紀広純(鎮守将軍兼陸奥守)を殺害し、軍を率いて南下、東北支配の軍事拠点・多賀城に攻め込み、軍事機能を破壊し、灰燼に帰した。
  結果、多賀城以北は蝦夷の略奪破壊に任され、倭国防衛線は一挙に多賀城以南へと後退し、蝦夷対倭国の対決となった。
 政府は直ちに征討軍を派遣する。780年3月中納言・藤原継縄(征討大使)と阿倍家麻呂(鎮荻将軍)に統一戦線を組ませたが、対峙したまま2ケ月が過ぎた。
 蝦夷軍の動きは活発になったが、政府軍は動かず翌781年6月戦闘終了の報告が来た。軍は8月に帰還し、副使・大伴益立は冠位剥奪された。

 その後政権交代などで若干間を置き、782年中納言・大伴家持に陸奥按察使と鎮守将軍を兼任させ、回復した多賀城に兵糧、兵器など集め始めた。788年参議・紀古左美が征討大使に任命され、789年3月古左美の征討軍が多賀城に入った。5万人の兵は堂々と胆沢をめざし、衣川に達したころ、賊軍に遭遇したが抵抗もなく思わず深追いした。しかし、これが敵の計略だった。
 潜んでいた蝦夷軍に、政府軍は包囲された。この指揮を執ったのが阿弖流為(アテルイ)だった。4000人の政府軍は蝦夷の騎馬隊に蹂躪され陣形はかき乱され、我先に逃げたが、多くが溺死した(渡河部隊の82%が戦死傷者)。
189  そして791年、征夷大使に大伴弟麻呂、副使に坂上田村麻呂が起用され、十分な下準備をして794年正月に大使が、6月に副使・田村麻呂が合わせて10万の大軍を率いて出立した。797年坂上田村麻呂は征夷大将軍に任命され、戦いの詳細は不明だが、同年9月には「夷賊を討伏した」の報告がある。(蝦夷軍砦の遺構
 802年正月には胆沢城が築かれ始め、4月には阿弖流為が投降し、戦いはほぼ終結し、翌年志波城も築かれて監視体制が完成し、25年に及んだ蝦夷・倭国戦争はここに終結した。田村麻呂の蝦夷への懐柔作戦が功を奏したと云われる。

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2013年3月10日 (日)

復興の加速を

 東北大震災被災後、2年が経過し、連日テレビ、新聞が現在の復興状況と問題点を取り上げ報道している。それを見る限り、被災者の現状は悲惨極まりない状況下におかれたままで、当然なされるべき復興が遅々として進んでいないことに改めて驚いている。特に原発被害を逃れて、未だに定住出来ない漂流者が15万人もいる。老齢者で心の不安が病気を起し、死を早めている人々も多いという。
 これらを見る限り、今緊急になされるべきは、政府が主導し、緊急救済を行うべき事でないのか。復興庁がやっとできても具体的には法律の枠内でしか動かない。官僚は法に従って「行政」するだけである。治政とは法の順守ではない。法はあくまで手段だ。これら被災民の窮状を救うに必要な「心」をもって、「被災者を救う」為に必要なことは政府は官僚任せ(法律任せ)にせず、早急に、確実に実行すべきだ。と、思う。
 東北にはまだ雪が舞っているが、当地福岡で咲いている春の花を紹介。
Photo  フラサバソウ。変わった名前だが、これを日本で見つけたフランスの植物学者フランシェサバティエからとったもの。別名ツタバイヌノフグリといい、イヌノフグリにソックリの花だが、5~7mmと小さい花。葉や蕚には毛が多いのが特徴。道端の草叢の中に小さな花を咲かせている。
Photo_2  ツルニチソウ(蔓日草)。別名ビンカツルギキョウ。ニチニチソウの仲間で蔓性から来た名前。今から咲始め5月頃までが花期。今は咲始めでポツンと一つ咲いていたのを撮った次第。これも葉に斑の入った園芸種があり塀などに這わせるのが流行っている。

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2013年3月 8日 (金)

糸島の松林保全活動

 福岡・糸島半島。ここは古代イト国があった、日本ではいち早く王国が形成された地域である。この半島には松が多く海岸線にも、生の松原、幣の松原など景観のいい場所が多く良い所だ。だが最近この松が枯れ始めた。松枯れは12年春から一気に進んだという。原因はマツノマダラカミキリが媒介するマツノザイセンチュウの増加。幹だけでなく落ち葉にも潜む。
 この感染源排除運動が活動を開始した。地域ネットワーク「里浜つなぎ隊」を結成し、落ち枝拾いを行い100人が集まり、23日にも活動するという。糸島でこれまで国有・私有林で4万5000本(約20%)が枯れている。里山と同じで人の手を入れないと滅亡するといい、今後の活動も検討中とのこと。国土を大切にすることの重要性が認識され始めている。
 今日は5月の中旬の気温とか。一気に春が来た感じで、花々が咲き乱れている
2  八重の日本水仙。白色の日本水仙に続き、黄の花冠のないペーパーホワイトは紹介済みだが、それに混じって最近沢山咲いているのがこの八重咲き水仙。勿論園芸種で、前者に比し、やや花期が遅いのか今頃花盛り。前者と交えて植わっているところが多く、長期に亘り花が楽しめる工夫がなされているようだ。
Photo  八重椿。鎮守様の境内にあった椿が大輪の花をつけている。山茶花との区別に
椿の花はポトリと落ち、山茶花は花弁が散るとよく言われるが、最近は椿も散るのがあるそうで、ますます区別がつかない。早く咲く山茶花を寒椿と称すとも云うが、最近は交配が進みいずれこの区別はなくなるかも。

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2013年3月 7日 (木)

倭国の興亡188: 最後の女帝と法王道鏡

 淳仁を廃帝した孝謙は自ら重祚(復位)として振舞い、通称称徳天皇と呼ばれた。
 765年、前年の兵乱に引き続き、飢饉が各地で起こり米価は暴騰した。この8月兵部卿和気王の謀反事件が起きた。舎人親王の孫の和気王は一旦臣籍に降ったが、叔父淳仁の即位で皇親に戻ったが、自身の即位と称徳・道鏡の死を祈願する願文を書きつけていたとして、絞殺されたものである。
 称徳は10月13日から閏10月初めまで、固関(関封鎖)をかけて淡路に行幸した。この行幸は二つの目的があった。一つは淡路幽閉中の大炊親王の復位を封じること、もう一つは銅鏡の太政大臣禅師任官である。称徳が淡路到着後、大炊親王は脱走に失敗し死んだが、この行幸は大炊親王に死を賜うのが目的の行幸だったと云われている。皇位継承資格者(和気王と大炊親王)の死を受けて、称徳は心おきなく皇親外の道鏡を太政大臣禅師に任じた。そして11月、重祚を宣言する大嘗祭を挙行した。そして、766年10月道鏡を法王とした。天皇に匹敵する地位であり、称徳天皇ー道鏡法王の二頭体制を構築したのである。
188  称徳ー道鏡政権の仏教安定策に二つの大事業が行われた。一つは西大寺行幸と尼寺西隆寺の造営766年)であり、も一つは百万搭の造立事業であり、770年に完成し諸寺に分置された(は現存の法隆寺百万搭)。
 尚、日本で3番目の銭貨「神功開宝」を発行したが、大幅な物価上昇対策と共に押勝からの決別表明と受取れる。

 769年頃道鏡絶頂期であり、後はいかにして天皇となるかというまでになった。この時、大宰府の神官・習宜阿曽麻呂が「道鏡を天皇にしたら天下は太平になると宇佐八幡が言っている」と道鏡に触込んだ。これを真に受けた道鏡は早速称徳に報告し、称徳は和気清麻呂に「託宣を下したとの八幡神のお告げがあった」といって宇佐八幡に赴かせた
 ところが、清麻呂が伝えた宇佐八幡の託宣は、称徳と道鏡の期待に反するもので、「我が国始まってい以来、君臣の秩序は定まっている。皇位には必ず天皇家の血筋を引く者をたてよ」と託宣し、道鏡排除の助力を約束したという。当然称徳と道鏡は託宣が捏造だと決めつけ清麻呂を左遷した。しかし、翌10月の旬政(シュンノマツリゴト)で、称徳は諸臣に言い訳をし、自戒の意を表した。これが有名な「宇佐八幡宮託宣事件」である。

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2013年3月 6日 (水)

原発汚染水どうするか?

 大震災満2年を迎えるので、関連問題事項が連日取り上げられている。その一つ、原発で発生しした放射能汚染水は淡水化装置で、淡水と濃縮塩水に分離され、淡水は原発の冷却水として再利用されているが、放射性物質を含む濃縮塩水が未処理のまま、原発建屋に12万㎥、貯蔵タンクに24万㎥残っている。
 この貯蔵タンクが満杯となり、これから新浄化設備で浄化試験を開始する。その際、トリチュウムだけが除去できない。これは水に近い性質を持ち、呑んでも体内に蓄積せず、排泄してしまう。それ故これを海へ放出したいという。規制委の検討会は了としているが、反対意見も多数あり、山林や運動場などの除染問題と共に非常に難渋している。しかし、此れはこの世代で何とか乗り越えねばならぬ問題で逃げることが出来ない。他人事ではないとの自覚を国民全部が共有するような一大キャンペーンを張るべきではないだろうか。
 そんな中、春の小さい草花が花をつけている。
Photo  ノミノフスマ(蚤の衾)。実に小さい花である。花径2~3mm程度の白い花。余程関心を持って歩かないと見過ごす。ナデシコ科ハコベ属。花は花弁が10枚のように見えるが、中の切れ込みが深く、5枚の花弁である。全国各地、やや湿り気のある草叢には今時分大概咲いている。
Photo_2  ハコベ(繁縷)。春の七草の一つ。上記蚤の衾とはそっくりの花をつけるが、花弁の切込みが浅く5枚の花弁と見え、やや大きい。一番の違いは葉で、こちらの方が幅広い葉をつけている。今時分、どちらも同じところに咲いているので、注意しないと同じ花のように見える。

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2013年3月 4日 (月)

少しずつ春に

 春一番が吹き、陽射しもやわらかい「春の日差し」となって来た。しかし、朝晩は寒く、風はまだ冷たい。でも、植物はどんどん春の花を咲かせだした。だが、東北、北海道では暴風雪死者も出ている。日本もやはり広いもんだとつくづく思った次第。此れから咲く花々を楽しみ撮って行こう。話は別だが、WBC3連覇が楽しみ。
Photo  キンポウゲ(金鳳花)。似た花が多いので、葉の形状から断定したが? 本来4月頃から咲くが、早春から咲くのもある由。分布は日本中どこでも。アルカロイドを含む有毒植物だが、漢方薬とし用いられるそうだ。
 別名「馬の足形(毛莨とも書くが読みは同じ)」。葉の形から来たというが。この葉は鳥の足の形に近い故、多分「鳥の足」がいつの間にか馬の足になったという説がある。
Photo_2  ミモザフサアカシヤ、或はミモザアカシヤとも。今頃咲き始めた処で4月まで咲く。オーストラリア原産。常緑中高木マメ科であるため、空中窒素の固定力が強くやせ地でも育つが、成長も早く、高木になる故公園などでの植栽が多い。見上げねば見えないのは残念

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2013年3月 3日 (日)

倭国の興亡187: 恵美押勝の乱

 謀反人となった押勝は、764年9月11日夜、外印(太政官印)を持って近江国に向かった。近江は藤原氏が代々国司を務めた政治的基盤の地であり領国のようなもので、押勝自身近江守だった。且つ美濃も越前も押勝の子が国司だったので、近江国府を前線基地とし、越前・美濃両国で兵を徴発し平城京を奪還する計画だった。それで、夜押一行は宇治を通って近江国に入った。
187  しかし、いずれも瀬田川を渡らねばならない。ところが軍略の天才吉備真備が孝謙の軍参謀に起用されており、既に彼により押勝の戦略は先読みされ、瀬田橋は焼き落とされたのである。(吉備真備
 結果、押勝は琵琶湖西岸を北上する外なく、12日夜は近江国高島郡に留まって、先ず越前入りすることと、朝敵と言われないために新たに天皇を立てようと決めた。しかしその間、吉備真備は近江国府を佐伯伊多智軍に落とさせ、その一部の軍が越前国を急襲し、押勝の子・越前守辛加知を殺害していた。
187_2  それを知らず、13日朝、押勝一行は道祖王の兄・氷上塩焼を天皇とし、太政官印を用いて布告し、高島郡を発った。そして越前・愛発関攻略を図ったが、既に孝謙側の物部広成に占領されていた。やむなく琵琶湖横断を試みたが逆風に押し戻され、高島郡に引返し戦闘を繰り広げたが決着がつかなかった。(押勝進軍路
 そこへ孝謙方の援軍・藤原蔵下麻呂軍が現れ、形勢は押勝が一挙に不利となり湖上に遁れた。そして最後の決戦に敗れ、鬼江に浮かぶ船上にて石村石楯(イワレノイワタテ)という武官に斬られ、59歳の生涯を閉じた

 孝謙に押勝の死の報が届いたのは14日、かって左遷された押勝の兄・藤原豊成が右大臣に復活した。又、20日には道鏡を大臣禅師に任じている。
 尚、10月9日には孝謙は淳仁天皇を廃し、大炊親王として淡路に流し幽閉した。

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2013年3月 2日 (土)

ひな壇、左右どちらが上席?

 明日ひな祭り左右どちらに男びな、女びなを飾るか、と言う話。新聞の請売りだが紹介しよう。日本は昔から、中国の影響で左が格上との考えがあり、向かって右側に男びなを置いた。これは「天子南面」即ち京都御所は南向きに造られ、南向きに天皇は座った。詰り東から昇る太陽に近い方(向かって右)である。従って大臣左大臣が右大臣より格上だ。
 ところが、昭和天皇の即位の礼では、向かって左(即ち右)に天皇が座った。これは、明治以来近代国家の道を歩む日本は、欧米式を取入れた結果である。これに倣い、現在東京では右側京都では左側が男びなとなっている次第だそうである。
 詰まらぬことのようだけど、現在婚礼式では婿が右、嫁が左が多い。又いろんな会合や宴席で、トップが真ん中、あとNo.2が右か左かにも影響している。仕来りも日常生活の中では大切な事柄ではある
Photo  今日も春の花、オウバイ(黄梅)。といっても、この花は1月~3月の花で、早春の花だが、私が今日まで出逢わなかっただけ。従って別名迎春花(金梅とも)という。花が梅に似ているのが名の由来で、モクセイ科ジャスミン属だが、香りはない。花径は2~2.5cm。コウバイと読むと、黄色くなった梅の実の事。果実がつかないので、挿し木で増やす。
Photo_2  中国原産で、江戸初期に渡来というが、平安時代既にあったとの説もある。半つる性の落葉小低木。この木も今やっと葉の新芽が出始めた処で、花の間、葉が無いが、生垣にもつかわれる。花を乾燥したものは利尿剤としても使われるとのこと。

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