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2012年12月17日 (月)

倭国の興亡169: 長屋王登場とその政権誕生

169  1986年9月、平城宮東南の左大臣長屋王邸跡の工事に伴う発掘調査により、3万5千点に及ぶ木簡が出たことにより、当時の諸々の史実が裏付けられた。
 長屋王は天武天皇の長子・高市皇子の子である。母は天智天皇の娘・御名部皇女で、血筋では後に聖武天皇となる首皇子に勝るとも劣らず、正妻は草壁皇子と元明天皇(叔母)の末子である。
 その長屋王が歴史に初登場するのは、704年の叙位で3ランク高い正四位上の位階についた時で、年齢は既に29歳だった。これは、701年に文武の後継者として首皇子が誕生したので、未だ皇位継承者の有力候補だったといえる長屋王を、皇位継承者から外すための措置で、官人への道を歩む。714年、首皇子が皇太子となり、長屋王即位の芽が無くなった時点で、親王扱いとなっている。(:木簡参照)
 長屋王が初めての官途・宮内卿に任じられたのは709年、従三位に昇叙した時である。翌年、式部卿へ横滑りし、718年には大納言に任じられ、議政官に列するまで、式部省で地位を高めた。
169_2  720年、不比等の死の翌日、隼人征討に遠征中の大伴旅人を急遽召還し、長屋王と共に不比等死後の対応に当らせた。元明は不比等の特別の葬送礼を許している。明けて721年長屋王が右大臣、多治比池守が大納言に昇任し、不比等の長男武智麻呂が中納言として政界入りを果たし、長屋王首班政権が誕生した。(:長屋王邸復元模型
 同年5月元明太上皇が病に伏し、不比等の次男・房前を内大臣に任じて、12月61歳の生涯を閉じた不比等と元明の遺産は律令国家の手になる歴史書「日本書紀」の編纂と、養老律令の編纂開始であろう。
 722年長屋王政権により顕著な政策がいくつか遂行される。1)陸奥出羽按察使館内の調・庸を免除し、後狭布という布を課す 2)百万町歩開墾計画で、人民に10日間ずつの労役を課し開墾を奨励 3)出挙(消費貸借)の利息を3割に軽減 4)鎮所(陸奥と大宰府)への兵糧稲穀の運搬奨励(税制改革)などである。
 723年には三世一身法(開墾した土地に用水路・池を造成した場合3世代土地私有を認める)で開墾奨励をした。これにより、開墾田を国家が掌握できた。

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