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2012年12月25日 (火)

倭国の興亡171: 平城京の下級官人の生活

 8世紀前半頃の平城京における下級官人の生活はどんなものであったか、おびただしい木簡の発掘や、正倉院文書から、最近かなり詳しく明らかになった。
 先ず役人の数だが、位階の1位から5位(14級)までが貴族で150人前後、6位以下の下級官人(16階級)が約1万人弱、さらにその下に無位の下働きが約1万人いた。当時の平城京の人口が6万人ほどだから、役人の比率が高い。
171_3  この貴族と下級官人の間には天と地ほどの差があった。例えば給料(現価値に換算)は、正一位年間約3億円、正2位約2億円、正3位1億円強そして従5位下で約2千万円。ところがその下の正6位では170万円、最下位の初位下は60万円と、5位と6位では大差がついた。
 当然努力し何とか5位まで上りたいと思っても、現実には下級官人は6位どまりであった。勿論昇給のための勤務評定制度はあって、能力、勤務態度は勿論ながら、人徳、精神の清らかさの外、家柄などまで審査があり、5位への昇進はできなかった。(書き方の練習をした木簡)
 勤務時間、日数では1年間に日勤270日に加え、夜勤が250日あり、3ヶ月働き休日2~3日という状態で、朝3時には家を出るのが普通だった。
171_2  経済的にはインフレが亢進し利息が1割と高かったが、借金が多かったようだ。(借用書、担保も書いてある)。担保には家、土地が使われたようだが、下級官人でも200㎡の土地が支給された。但し当時の家族人数は複合家族で人数は多かった。出身地は当然畿内が多く、特に山背国愛宕郡出身が多かった。
 能力は読み書きが最低条件だが下級官人は自分で勉強せねばならない。5位以上の貴族は養成機関として大学があった
 平安時代には下級官人の給料も払えなくなり、6位以下は全くの名目だけとなったが、奈良時代にはまだよくて、現代人に近い状態だったと思える。下級官人が厳しいと言っても、畿外の農民はまだ藁葺の掘立小屋での生活が普通の時代であるから、たとえ借金してでも、官人への希望は多かったのである。

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