« 衆院解散! | トップページ | 果実が実る秋 »

2012年11月17日 (土)

倭国の興亡160: 大宝律令完成施行と年号発足

 律令制国家建設をめざした取組がされ、670年に天智天皇が初の法令「近江令」を制定し、689年には持統天皇のもとで飛鳥浄御原令が施行され、そして701年に天武天皇のもとで、刑罰を定める律と行政法である令が揃った我が国初の律令の施行が行われ、日本の律令制が確立した。大宝律令である。
 これは唐の律令を元にし、日本の実情に合わせた日本型律令制構築への出発点となったものである。(:年上段が制定、下段が施行年。天皇名の下は編者)
160  律と令は若干編纂時期がずれ、大宝令700年3月頃には編纂を終え、諸王臣に令文を読み習わせ、6月には律令撰定の功績により刑部(オサカベ)皇子、藤原不比等、粟田真人ら19人に禄が支給された。渡来人や渡来系氏族など海外事情や典籍に明るい人材を登用している。
 一方大宝律の編纂は令編纂者の褒賞の前後から始まり、701年8月でには完成したようで、律令全体の編纂終了に伴う禄が支給された。律が令に比べかなり短期間に編纂を終えたのは令に比べ唐の条文引き写しが多かったようだ。この時点を律令の完成としているが、令はもう施行されていた。
 3月には官職、位階、朝服の制度を新令によることが宣言され、6月には庶務全てを新令により行うよう周知徹底された。一方律は702年に在京諸司に写しが頒布され10月には諸国に頒布された。こうして大宝律令は全国に行き渡り、古代国家の基本法として機能し始めたのである。

 そして、大宝令儀制令には「公文(公文書)に年を記載する際には皆年号を使用せよ」という規定がある。こうして年号使用が始まり、今日まで続いている。年号「大宝」701年3月に対馬嶋からの金の貢進を祝う形で制定された。これは大納言・大伴御幸の指示により、大倭国の雑戸の三田五瀬を対馬に派遣し金鉱石の精錬を行わせた。対馬で金鉱石が発見されたとの情報による。三田五瀬も無事大役を果たし金の精錬に成功したことにより大宝の年号が制定された。
 ところがこれが後に五瀬の詐欺だと判ったという。処罰された記事はない。
 尚、大宝律令は現在残っていない。757年施行の養老律令によって、大宝律令が過去の法令となったからであり、養老律令も典籍で残っているわけではない。養老令の公式の注釈書・「令義解」(833年)や「令集解」の中に引用された形で残っているのだ。

|

« 衆院解散! | トップページ | 果実が実る秋 »

古代史、邪馬台国」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/56130597

この記事へのトラックバック一覧です: 倭国の興亡160: 大宝律令完成施行と年号発足:

« 衆院解散! | トップページ | 果実が実る秋 »