« 争点不明の選挙戦か、返り花?咲く | トップページ | 晩秋なるも未だ紅葉少なし »

2012年11月21日 (水)

倭国の興亡161: 律令国家への主な改変

 大宝律令に基づき形成された古代国家の基本的な国制は、主な事項を以下略記するに留める。
1 中央官制機構
 二官八省となる。二官「太政官」と「神祇官」が並立。太政官は、中務省・式部省・治部省・民部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省の八省神祇官は実質は太政官の下部組織で、宮中の神祇祭祀と全国の神社を統括
 役人(官人)は地位を示す位階があり、位階に対応した官職についた。官人には位田、食封(ジキフ)、禄などが給与として与えられたが、位階ごとに差がついた。
2 地方支配の仕組み
161_2  地方支配は京・難波・筑前の要地とそれ以外の諸国に分けられた。3つの要地には、京:左・右京職、難波:摂津職、筑前:大宰府がおかれ、管轄した。
 左・右京職には東西の市を管理する東・西市司があり、行政は坊単位坊令ー坊長が置かれ、条・坊ごとに管轄した。摂津職摂津国難波を管轄。大宰府には防人司鴻臚館(博多)が置かれ、その他西海道諸国(九州)が支配下に置かれた。(大宰府政庁イメージ図)
 
諸国は、畿内と七道(東山道、北陸道、東海道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)に分かれ、国司の下には郡(郡長)里(里長)及び軍団が置かれた。
3 行政区
 日本国内は
国・郡・里という3段階の行政区画に編成。更に国の上位区分として畿内・七道という広域行政区分が設定された。畿内ではとその周辺5国(大和・山背・河内・摂津・和泉)で、七道は上記の通りである。
 地方支配の行政単位は「郡(コオリ)」であり、以前の評(コオリ)がベース。評督であった地方豪族が郡司として実質支配を継続した。又、郡は50戸からなる里によって構成。
4 公地公民(口分田と税制)
 土地と人民は全て国家の所有となった(公地公民制)。戸籍に登録されたすべての公民に口分田が班給され、その収穫に対し課税するのを基本とした税制が確立。死後は口分田を国に返納した(班田収受法)
 この他公民は布や特産品の奉納、土木工事や兵役への出役があり、その負担は重かった。耐えられず田を放棄する逃亡者が増え、豪族の私有地・私有民が増え、奈良時代後半には、公地公民制も揺らぎ始める

|

« 争点不明の選挙戦か、返り花?咲く | トップページ | 晩秋なるも未だ紅葉少なし »

古代史、邪馬台国」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/56159227

この記事へのトラックバック一覧です: 倭国の興亡161: 律令国家への主な改変:

« 争点不明の選挙戦か、返り花?咲く | トップページ | 晩秋なるも未だ紅葉少なし »