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2012年10月 5日 (金)

倭国の興亡150: 壬申の乱5 吹負と果安軍の戦い

 大海人軍の倭古京や近江への進撃に先立ち6月29日、倭では大伴連吹負がわずか数十の兵を率いて挙兵した。吹負は倭古京の留守司・高坂王や朝廷の興兵使が駐屯する飛鳥寺の西の軍営を襲い、瞬く間に攻略した。
150  翌7月1日、吹負は勝に乗じて一気に近江を襲うべく、下つ道を北上し(地図参照)乃楽(ナラ)に向かったが、大勢を整えた大友の近江軍4日には山背(ヤマシロ)・河内の両方面から一斉に倭に進撃、この日吹負大野君果安率いる敵軍と乃楽山に戦い大敗。吹負はわずか数騎を伴い南に敗走。(図は倭古京地図
 ところがこれを追った果安軍は八口から倭古京を望み、街に立ち並ぶ楯を見て、伏兵を恐れ引き返してしまった。これは前日、荒田尾赤麻呂らが敵を欺くために並べたもので、時を稼いだ吹負は東に向い、莬田の墨坂で不破からの東国軍の先鋒、置始莬率いる一千の騎兵と出会った

 6日吹負は大阪道より倭(ヤマト)へ侵入した壱伎史(イキノフヒト)韓国軍を当麻で迎え撃ち、大破する。紀臣阿閉麻呂ら東国軍の本体が到着し、吹負は軍を分かち、これを上・中・下の三道に配した
 果たしてその後数日を経ずして大友・近江軍が北方より来襲、激しい戦闘の末、遂に吹負軍はこれを撃退し、倭における戦闘は終結し、倭の制圧に成功した。
 他の諸将は三道を北上し乃楽山を越え、山崎に駐屯、大友の西への退路を断ったのである。 

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