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2012年10月24日 (水)

倭国の興亡154: 天武独自の政策実施

 680年代に入り、漸く壬申の乱の後始末を終え、天武朝独自の政策が打ち出された。681年2月、天武と妃・野讃良媛皇女(ウノサララノヒメミコ)は大極殿に諸臣を召し、律令制定を指示した。飛鳥浄御原(アスカキヨミガハラ)律令編纂の始まりである。又同年3月には「日本書紀」の編纂を同じ大極殿で指示している。(この大極殿は飛鳥板蓋宮(アスカイタブキノミヤ)(皇極・斉明天皇の宮)の上層遺構に充てられ、藤原宮以後の大極殿・朝堂院に近いものだったと見られている)。
 翌682年、様々な習慣が中国風に改められた。1つは男女とも髪を結うことが義務付けられた。又衣冠の代りに朝服の色で示した(685年制定)、2つには乗馬は男女とも鞍に跨った。但し40歳以上はどちらでもよい。3つめは古来の跪礼(キレイ)や匍匐礼(ホフクレイ)をやめ、立ったままの立礼を採用した。
154_2  壬申の乱後処理のやり残しでは、畿内豪族の身分秩序の回復である。そのため684年10月、八色(ヤクサ)の姓(カバネ)が制定された。即ち以前の臣・連・公・君・直・造・史などの姓を廃し、大王との系譜関係の親疎を基準にした。真人・朝臣(アソン)・宿祢・忌寸(イミキ)・道師・臣・連・連・稲置の八種類とした。実際には第4の忌寸までしか賜与の記録はないが、新しい姓を与えられ無かった旧来の臣・連はそのままだったようだ。これで従来個人の称号に近いものだった姓が、氏族の格付け、即ち家柄を示す役割を果たすことになる。
 「書記」683年に、銀銭使用を停止し、銅銭に一本化したとあるが、1991年飛鳥池の底から7世紀後半~8世紀初めの工房跡が見つかり、金・銀・銅・鉄・ガラス・琥珀などの玉類の工房や「富本銭」を鋳造する工房が見つかった。
 そして、天武朝までさかのぼる日本最古の「天皇」の文字が書かれた木簡も見つかった。飛鳥浄御原令での「日本」国号制定と合致し、天皇制成立を考えるうえで、貴重な発見となった。

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