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2012年10月 2日 (火)

倭国の興亡149: [異説] 壬申の乱 大友の誤算、大海人の巧妙

 大海人が不破評家に至る直前、尾張の国宰・小子部鉏鉤(サヒチ)が二万の兵を率いて大友の麾下に加わった。この軍隊は、大友の命により天智天皇の陵造営を名目に徴発されたものである。
 大友は大海人を徴発せんと、尾張での徴兵を命じていたが、尾張大隅は大海人の養育に当った氏族で尾張の有力豪族として、鉏鉤に大友からの離反を迫った。また、美濃安八麿評のの湯沐の長官・多品治は神八井耳命を始祖とする氏族であり、執拗に鉏鉤への説得をしたといわれる。この大隅と品治の度重なる要請で、遂に鉏鉤は寝返った
149  これが完璧な作戦と布陣を行ってきた大友にとっては、唯一・最大の誤算であった。大友は父・天智が作成した庚午年籍に基づき、一般民衆から一定基準で兵力を徴収するやり方で戦争準備を続けてきた。その際の核は各地に派遣された国宰達であった。大友は彼らに全幅の信頼を置いていた
 然るに、大隅や品治のような在地豪族や同祖同族関係は、新しい国家による民衆の個人支配より前の、極めて古い支配・隷属関係、人間関係だったのである。(は乱の間、大海人が本部を置いた「野上行宮跡地」

 東国から徴発した大海人の増援軍は、倭古京・大津宮方面に向かったが、将軍の顔ぶれは夫々特徴があった。即ち、倭古京方面の将軍は、国宰にされるほどの畿内の中級以上の豪族の出身だった。一方大津宮に派遣された将軍は大海人の舎人であり、主として地方豪族の出身だった。
 倭古京は旧首都とはいえ政府の重要な機関や施設が存在し、制圧すれば戦闘が有利に展開できる重要な地点である。ところが大友軍は山背、河内の両面から同時進行する作戦を立てたが、河内での大友軍に大海人への内応者が発覚し、作戦は破綻して大海人側の大友吹負はこの僥倖により倭古京死守に成功した。
 他方、大津宮に向かった将軍の身分が低いのは、この方面で大友皇子との直接対決が予想されたからであろう。即ち国宰に選任される豪族は大友との面識があって、攻撃に手加減が出る恐れがある。しかし、地方出身の舎人だった将軍ではその危険は少ない。彼等には大友は、主人の純粋な敵であり攻撃を手控える事はない。これは最後の決戦、瀬田の戦いで大きな戦果を出した。この権謀の才幹の差が出た

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