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2012年10月

2012年10月31日 (水)

金融緩和策の効果は?

 昨日、日銀は2ケ月連続で金融緩和策を実施し、併せ政府・日銀デフレ脱却の政策協定の文書を発表した。しかし、総額91兆円の追加金融緩和と、年利0.1%の金融機関への資金供給の『支援基金』を創設することも、果たしてどれほどの効果があるか疑問視されている。金融市場の活性化と経済の活発化を狙ったものであるが、現在、資金繰りに苦しんでいる企業は少なく、銀行の融資先が見つからない状況だというし、資金供給量に見合う需要を創出する必要があるという。米欧の金融緩和競争に巻き込まれ、金余りの副作用が心配されている。
 そんな社会状況ながら、気温が急降下し、11月半ばの気候という。寒くなってきて、山野草の花も余り見当らず、今日は花壇の花を紹介。
Photo  チェリーセージ。正式名はサルビア・ミクロフィラ。公園の花壇に真っ赤な花をつけて目立っていたので撮ってきた。米国南部・メキシコに分布。初夏から秋まで花期が長い。花色は赤の他白、ピンクがあるそうだ。育て方は容易だそうだが、背丈が1m以上にこんもりと茂るので、広い庭が必要か。
Photo_2  アメリカンブルー。正式名はエボルブルス・ピロサス。南北アメリカ、メキシコ、東南アジヤに約100種が分布。1990年に渡来したもので、新しい花である。これは民家の庭にに咲いていたが、花壇の手入れが今一歩(雑草が混じっていた)。これも病害虫に強いとか。

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2012年10月29日 (月)

渡り鳥飛来

 今日臨時国会が召集される。なんとしてでも特例公債法案を成立させねばならぬ国会だが、自公の抵抗は強い。しかし、昨日の衆院鹿児島補選では、宮路氏(自民)が野間氏(国民新)を薄氷差で破っての当選。民主支持も低下しているが、自民支持も伸びないでいる第三極勢力も今一つ投票対象にはなり得てない。要するに圧倒的多数の無党派層が迷いの様相を見せ、次期衆院選でどう動くか全く見通せない状況だという。
 この国の行方どうなるか、先行き不透明のまま時間だけが経過してゆく。
 そんな状況でも、秋はどんどん深り、今週は相当冷え込みそうな気象予報だが、季節の流れにそって渡り鳥が渡って来始めた
Photo  。近くの池に渡り鳥の先発隊の鴨が飛来した。この様子では、多分博多湾から多々良河口にかけて沢山の鴨が飛来しているであろうが、未だ見に行ってない。これに引き続き、サギの仲間達そして、最終的に正月にはが飛来、通過して鹿児島に渡る。
Photo_2  ハト。勿論渡り鳥ではない。つい先ごろまで、苅田には雀が群れていたが、最近はハトが沢山群れている落穂拾いだと思うが、落穂の中にいる虫や昆虫を啄んでいるのかも知れない。

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2012年10月28日 (日)

倭国の興亡155: 天皇の出現と”日本”への変遷

155_3    壬申の乱を制し、その貴種性とも相まって大王・天武の権威はいやが上にも高まり、この新たな英雄を神聖視するようになった。
 万葉集に、「大王は 神にしませば 赤駒の腹這(ハラバ)ふ 田居を 京師(ミヤコ)と成しつ(大伴御行作)(写真)、「大王は 神にしませば 水鳥の すだく水沼を 皇都と成しつ」(詠み人しらず)の2首に詠われた如く、乱後の天武はもはや「神」と崇められる存在となった。新しい神的権威を有する君主の誕生なのだ。
 天武は律令国家の建設を先頭に立って推進するカリスマ的政治指導者であり、新たな政策をその神的権威で自ら実施、正当化する政治的な神なのである。

 「天皇」の称号は天武の尊称として使われだし、次の持統朝に於いても、単に天皇と言えば天武天皇個人を指していた。飛鳥池遺跡出土の木簡にある天皇の文字(写真)も天武を指したものであるとされている。
 これを君主号として使用するようにしたのは、天武没後の持統朝に浄御原令の制定と共に法制化されてからなのである。
155_5   「天皇は」は中国の道教の神で、北極星を神格化した「天皇大帝(テンコウタイテイ)に由来する。しかし、天皇に係る神話や理念では道教の影響は希薄である。むしろ天皇は太陽神である天照大神の子孫とされる。天照大神は太陽神であり、且つ天つ神(天上界の神々)の至上神であるので、天と日を統合した神格を持っているのである。
 「天皇」の和訓は「スメラミコト」であり、君主号の理念はこのスメラミコトに結びついている。スメラは「澄む」に由来し、スメラミコトは政治的・宗教的に聖別された神的超越性を言い表す特殊な尊称として定立された(西郷信綱氏)とされる。

 天武朝には「日本」という国号も定められる。日と日神=天照大神で、日神の子孫である「日の御子」が統合する国という意味で日本という国号が定められた。日神の真下にある国の意であり、王権神話に裏打ちされた日本的中華思想の産物である。対外的には704年遣唐使が唐に入国の際、初めて「日本国」を名乗っている

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2012年10月27日 (土)

騒然としてきた政界

 週末、政界が俄然騒がしくなってきた。特例公債法案を通さなければ国の資金手当てが不能になり、大きな問題を起こす。これを通すに解散を担保しようとする野党。この様を見かねたか石原都知事の国政への転身表明。これを受けて揺らぎはじめた第三極構築構想。来週から始まる臨時国会もスムーズに動かぬ恐れもあり、国民生活そっちのけの醜悪限りない政争である。経済界も呆れたか、余裕がないのか口出しを控えている様子。
 こんな国の『黄信号』に因んで今日は黄色の花をつけた秋の代表花。
Photo  ツワブキ(石蕗)。艶蕗とも書く。艶のある葉の蕗から来た名前。葉の茎は短い地下茎で長い柄のある葉のみ地上に出ている。若葉は塩茹ですると美味しいという。九州名産「キャラブキ」はこの葉の佃煮。写真は雑草に混じって虫、風に耐えて咲いたもの。
Photo_2  キンモクセイ(金木犀)。今歩いていると、金木犀の甘い芳香が漂っている。こんな香りが強いのにそう多くの昆虫が来る訳ではない香り成分のβ-イオノン、リナロールなどの他、γ-デガラクトンがあるが、この成分はモンシロチョウへの忌避作用があるという。一部ハナアブしか寄らないという成分構成らしく、寄ってくる虫に対する好き嫌いがあるというのだ。

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2012年10月25日 (木)

秋が深まる

 ここんところ、急に気温が下がってきて、秋らしくなってきたが、年齢と共に寒さには弱くなったか朝夕の冷え込みがこたえる。しかし、この寒さが、これからの紅葉を作るのである。
 葉で作られた糖類やアミノ酸が、寒くなると葉に蓄積され、これに紫外線が作用してアントシアンを生成すれば赤色に、カロテノイドが生成すれば黄色なって、紅葉となるのである。
 だから美しい紅葉を見ようとするなら、この寒さが必要なのだから、我慢せねばならない。
 そんなことで、今日は紅葉のはしりを2点。
Photo  ツタ(蔦)。ツタは巻きヒゲにある吸盤で岩や壁に這つき伸びて行く。この壁に「つたう」ところから「つた」となったという。別名夏蔦、地錦がある。又「あまづら」とも言われるが、ツタの樹液から甘味料が出来るからである。ツタは矢張り甲子園球場が有名。
Photo_2  イチョウ(銀杏)。中国語のイアチャオ(鴨脚)(葉の形が似ている)から来たというのが通説。又銀杏の唐音読みが「ぎん・あん」から銀杏に転化したとも。木は碁盤、将棋盤、まな板などに重用される。

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2012年10月24日 (水)

倭国の興亡154: 天武独自の政策実施

 680年代に入り、漸く壬申の乱の後始末を終え、天武朝独自の政策が打ち出された。681年2月、天武と妃・野讃良媛皇女(ウノサララノヒメミコ)は大極殿に諸臣を召し、律令制定を指示した。飛鳥浄御原(アスカキヨミガハラ)律令編纂の始まりである。又同年3月には「日本書紀」の編纂を同じ大極殿で指示している。(この大極殿は飛鳥板蓋宮(アスカイタブキノミヤ)(皇極・斉明天皇の宮)の上層遺構に充てられ、藤原宮以後の大極殿・朝堂院に近いものだったと見られている)。
 翌682年、様々な習慣が中国風に改められた。1つは男女とも髪を結うことが義務付けられた。又衣冠の代りに朝服の色で示した(685年制定)、2つには乗馬は男女とも鞍に跨った。但し40歳以上はどちらでもよい。3つめは古来の跪礼(キレイ)や匍匐礼(ホフクレイ)をやめ、立ったままの立礼を採用した。
154_2  壬申の乱後処理のやり残しでは、畿内豪族の身分秩序の回復である。そのため684年10月、八色(ヤクサ)の姓(カバネ)が制定された。即ち以前の臣・連・公・君・直・造・史などの姓を廃し、大王との系譜関係の親疎を基準にした。真人・朝臣(アソン)・宿祢・忌寸(イミキ)・道師・臣・連・連・稲置の八種類とした。実際には第4の忌寸までしか賜与の記録はないが、新しい姓を与えられ無かった旧来の臣・連はそのままだったようだ。これで従来個人の称号に近いものだった姓が、氏族の格付け、即ち家柄を示す役割を果たすことになる。
 「書記」683年に、銀銭使用を停止し、銅銭に一本化したとあるが、1991年飛鳥池の底から7世紀後半~8世紀初めの工房跡が見つかり、金・銀・銅・鉄・ガラス・琥珀などの玉類の工房や「富本銭」を鋳造する工房が見つかった。
 そして、天武朝までさかのぼる日本最古の「天皇」の文字が書かれた木簡も見つかった。飛鳥浄御原令での「日本」国号制定と合致し、天皇制成立を考えるうえで、貴重な発見となった。

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2012年10月23日 (火)

古代、大宰府防備は白村江前か

 古代、半島の百済より救援要請を受け、倭軍は白村江の戦いに赴き、663年唐・新羅連合軍に敗れる。以降列島への進攻を恐れ、中大兄(天智天皇)は大宰府防備のため、水城、基肄(キイ)城、大野城(四王寺山)を665年に築き、又都を大津に移した。
 ところが、最近この大野城の城門跡の柱根発掘調査で、X線CT画像の最新技術で測定した結果、伐採年代が、650年頃と判明した。即ち、大野城の門柱は白村江の戦いの15年前に伐採されたコウヤマキ(直径45cm)なのである。白村江前にどこかに用いられていた材を移築したか、或は白村江以前に既に大野城はあったのか。間違いなく650年に伐採されており、651年に新羅の使節が筑紫に来た際、いま新羅を討つべしの論があったと日本書紀にあるという。即ち650年頃から戦闘準備が始まっていたと言う説が出ている。やはり古代の事は判らないことが多い。
 ところで、急に秋が深まりつつあることを花々が教えてくれる。白い花2つ。
Photo  シュウメイギク(秋明菊)。中国からの帰化植物。今流行りなのか、彼方此方で真盛りである。今は園芸種が出回り、色も濃~淡ピンク、紅紫などがあり、八重もあるが、この一重の白が一番いい
Photo_2  サザンカ(山茶花)。椿との区別はつかないが、今頃だから山茶花だろう。それにしても最早咲く頃かと、時の移ろいの早さを感じる。花の少ない頃咲く山茶花は得な花だ。

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2012年10月21日 (日)

進まぬ原発賠償

 原発の賠償が進まないという。被害者と東電の和解を進める為、「原子力損害賠償紛争解決センター」が開設されて1年。被害者を迅速・簡易に救済するために設立したが、まず、請求額のベースが、賠償の目安を示す「指針(最低ライン)」を、実際は上限としており、殆ど”救済にならない”。
 次に、処理を進める人員不足。現在3000件が未処理のまま。人不足の上、手続きの簡略化が出来てない「超法的処理」の筈が「お役人根性」が阻害しているらしい。今から増員を進めるというが「仏造って、魂入れず」の典型である。
 残暑厳しく、腹が立つことが多いこの頃だが、秋は徐々に深まりゆく。そんな花2点。
Photo  エリオプスデージ。草花のようだが、常緑低木で、年を経ると樹木らしくなるという。花期は長く今から5月頃まで咲く。八重咲の園芸種の「ティアラ・ミキ」が園芸店い出回っている。
Photo_2  ペチュニア。種類が多く、珍しくもないが、この黒い花が珍しく撮ってきた。民家の庭に植わっているものだが、花壇の手入れが殆どなされておらず、いろんな花入り混じって咲いていた。是では花も可哀相だ。

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2012年10月20日 (土)

倭国の興亡153: 天武、律令国家を推進

 武力による王権簒奪に成功した日本史上唯一の例が、壬申の乱である。672年、壬申の乱に勝利した大海人は倭古京(飛鳥)に凱旋し、岡本宮の傍に宮室を建て、翌673年2月即位し天武天皇となる。
 大化の改新による国政改革は、白村江出兵や近江遷都により頓挫していたが、ここに新たな担い手・天武によって再出発した。
 天武朝の律令国家建設の特徴は、それを支えた諸豪族の本拠地・大和で実行した事だ。元々天智の近江への遷都の抵抗が大で、その近江方を支えた大豪族達に勝利した意義が大きく結果大王の地位が高まり、豪族の影響を排除した国造りを可能にした。
153  律令国家建設の第一の施策は、国家機構を支える官人層の創出であった。官人登庸法を策定し、畿内出身の官人として出仕するものを先ず大舎人として宮中の雑役に奉仕させ、その能力を見極め、相応しいポストに登用した。出自重視から才能重視への転換であり、同時に畿内重視の表れでもあった。
 676年には、畿外の人々にも出仕の道を開き、最初は宮城警備兵とした。
 官人層の誕生に伴い、勤務評定法を制定し、678年勤務評定(考)とそれに基づく位階の授与(選)の法が制定された。685年制定の位階皇子・諸王は12階、諸臣は48もの階級があった。

 第二の施策は、広域行政単位として「国」の創設である。従前は(コオリ)(=郡)の中に50戸ごとの編成があった。その評を幾つか束ねて「国」を作り、中央から派遣する行政官である国司(国宰)を派遣し、中央集権的支配系統の確立が図られた。国より広域支配を担当する大宰・総領があったが、国成立と共に廃止され、外交・防衛上特に筑紫大宰のみ大宰府として西海道諸国を統括した。
 行政領域としての国の設定開始683年であるが、在来の豪族の支配領域に国境としての線引きを行うのは困難を伴い、評の設定より大幅に遅れたようだ。
 一方評の構成分子である里は天智朝の50戸が変化したものである(683年頃)。50戸(=里)は賦課単位であったが、最初の庚午年籍(戸籍)は20年後の690年庚寅年籍まで更新されず、税や兵役負担に個人の顔が見えない民衆支配が伺える。税目は「調役」と言われ、物納(調)と労役(役)であった。

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2012年10月19日 (金)

干天の慈雨、そして天高く

 一昨日、全国的に雨天となった。福岡では10日以上雨がなく、庭などカラカラに乾き、庭木も枯死寸前といった呈だったが、この雨で庭も庭木も生き返ったようだ。まさしく「干天の慈雨」だった。そして昨日天候回復し、今日はすっきりとした秋晴れ、気温も上昇。空は真っ青な紺碧の秋空で、天高しである。
 ところで、秋は何故「天高し」なのか、この季節、湿度の高い太平洋高気圧に変わり、大陸の高気圧が張出し、湿度も低く、空気そのものも塵埃少なく澄み切っている。よって透明度の高い空で、空が高く感じられるという。勿論秋の雲(イワシ雲など)は最上の高度に発生する由。ただ最近の大陸の空気の透明度はかなり汚れていると思われるが・・・・
 今日は青紫系の秋の花2点
Photo  フジバカマ(藤袴)。花色が藤色で、花弁が袴に似ている故の名前。秋の七草の一つ。この花、枯れて乾燥すると配糖体が分解し、芳香を放つという。以前は各地に群生していたらしいが、今は絶滅危惧種に指定されている由。
Photo_2  ホトトギス(杜鵑草)。山野の日当たりの弱い所に自生するが、写真は活花。東アジヤに19種分布するうち、10種が日本固有種で、日本原産種というが、花に斑紋(ホトトギスの胸の模様に似ているのが名前の由来)が入る野草は珍しいのではないか。

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2012年10月16日 (火)

倭国の興亡152:壬申の乱7 大王から天皇への昇華

 壬申の乱は単なる王権奪取の戦闘ではなかった。その後の日本の統治体系の形成を芽生えさせたものである。大海人の大きな計略はそこにあったというべきかもしれない。
152  672年6月27日、不破の本陣に入った大海人皇子は、長子である高市(タケチ)皇子に軍事大権のすべてを委譲、自身は不破の東の野上行宮(カリミヤ)に後退した。これは大きな決断であり、注目すべき行動だったのである。(:不破評家故地)
 大海人は出家しており、既に法体(僧形)であった。僧侶の身ゆえ彼は戦争の最前線に身をさらすことを避け、高市皇子に後事を託したことは大きな意味があった。彼は戦線から後退することによって、この戦争を治天下大王の地位をめぐる高市皇子と大友皇子の戦争にした。
 その結果、この戦争に勝利した者に保障されるのが、治天下大王の地位だ。ならば、勝利を得た高市皇子の上位に在って、彼に指令する立場の大海人にもたらされるものは、権力構造上、従来の治天下大王を上回る地位と言うことになる。この地位こそ後に天皇と呼ばれることになるものであった。
 従って、大海人は治天下大王に変わる「天皇」という地位を創造し、彼自身がその初代に就任することを見越して、高市に軍事大権を譲渡したのではないかと考えられる。此れこそ、戦勝の成果(王権継承)をより確実で大きなものにするための布石だったのである。

 天皇即ちスメラミコトのスメラは、、死・病気・災害・犯罪などの穢れから解放された最も清浄な状態を意味する言葉である。天皇の地位の権限の源泉は、この宗教的な清浄性に求められていたのである。
 大海人が治天下大王から天皇へという大転換を比較的スムーズに実現できたのは、外見が法体であり、死や流血と言う穢れが充満する戦場からはるか後方に身をおいていたからこそ、清浄の極致であるスメラミコトたり得たという訳だ。ところが、在位15年の686年、病に倒れ、それが草薙の剣の祟りにあるとされた。祟りである穢れ除去のため年号を変え、浄御原宮の宮号を付したが、それもむなしく不帰の客となる。しかし、大海人は実は神であって一般の人間の死と異なり穢れから完全に超越しているとい説明され、ここに天皇は現人神であるという思想が生まれたのである。

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2012年10月15日 (月)

秋を歩く(4) 山陰の草花

 朝は15、6℃と冷え込むが、昼間のウオーキング時は、陽射しも強く25、6℃と暑いので、できる限り日陰を選って歩く。あまり暑いので、山裾の日蔭を歩いてみた。すると藪陰にひっそりと咲いている雑草の花が目に付いたので、珍しくも、特別美しくもないが、やや時期遅れに咲いているのが、それなりに風情があったので撮ってきた。
Photo  イヌタデ(犬蓼)。全くの雑草ながら、花後につける真っ赤な果実(実は黒いが蕚が赤い)が美しく(写真の花穂は蕚で、花は殆ど見えてない)、よく日本画の画材となる物である。犬の付く名前の植物は食べられない。これも辛味がないので食されないという。
Photo_2  ヤブラン(藪蘭)。大抵の庭には1株位は植わっている。園芸種は斑入りが多い。山影のもよく生えており、花後丸く黒い実がなり、花よりこの実がなっている姿の方が好きだ。
Photo_3  タマスダレ(玉簾)。別名リリオペ(学名)、サマームスカリ美しい花を玉、葉を簾に見立てての名前。これもどこの庭にもあるが沢山寄り集まって咲いている場合多いが、写真は山影でひっそりと咲いている姿が風情あり撮ったもの。これも、花後丸く小さい黒い実を付ける。

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2012年10月14日 (日)

パ・クライマックスSは混戦か?

 両リーグ同時にクライマックスシリーズが始まったが、パはペナントレースでは西武にも日ハムにも勝ち越しているホークスが、3位でこれに挑む。案の定、昨日は西武が堅くなり初戦をホークスがとった。これでますます行方が分からぬシリーズとなりそうだ。試合放送時はわくわくしながらテレビの前に座っている

 今日の秋を歩く(3)は、実を観賞する植物を2点。
Photo  ザクロ(石榴)。実が弾けた。柘榴、若榴などと書き方は多い。何故ザクロと言うか不思議だが、若榴の中国読みのzak-lau」に由来するとか、原産地ペルシャのザクロ山脈から来いるなど諸説ある。ザクロの実は銅鏡を磨くに使われたが、江戸時代銭湯の湯船手前に『石榴口』という屈んで入る口があったが、これは「屈み入る」「鏡鋳る」を掛けたものと言う。ザクロは食用にもなるが、今は殆ど観賞用に植栽されている。
Photo_2  フーセンカズラ(風船葛)。別名:バルーンバイン。小っさな白い花をつけるがこの実の方を観賞する。フェンスに這わせたり、上から垂らしている植え方が多い。この実の中に1cm大の黒い種子が3個付き、夫々ハート型の白い部分ができる。放置すれば落ちた種子から翌年又芽が出る。

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2012年10月13日 (土)

老後向きの庭へ

 過日、庭木をすべて(かなりの大木も)背丈位に切り詰めた庭を見た。小さな築山もある立派な庭なので、庭木の切り詰めが気にならず、いい感じであった。”これだ!”と思って、9月下旬、我が家の11本ある庭木を脚立等使わずに剪定できる高さ(2~2.5m)に全部電動鋸で切り詰めた
 その頃、昼間は暑くて庭仕事もできず放置していたが、最近涼しくなったので、この3日間これ等の庭木の整枝と剪定を行った。漸く、何とか見苦しくない形になり、庭全体が広く感じ且つ明るくなった。これで来年からは殆ど脚立なしで剪定できそうで老後向きの庭に改変できたと一安心。但し今日は腕、肩、腰、足の筋肉が強ばって痛い。2、3日は静養だ。
 今日の写真は観葉植物で、初秋に花をつけたもの2点。
Photo  コリウス。シソ科。別名キンランジソ(金襴紫蘇)。150種類あるといわれる観葉植物だからよく見かけるが、花をつけたのは初めて見た。花が付くとそれ以上成長しないそうで、大きく育てたい場合は、花を摘み取ればよいそうだ。
Photo_2  ハツユキソウ(初雪草)。緑の葉縁に白い覆輪が入って葉が美しい観葉植物だが、これも夏から初秋にかけ、小っさな花をつける(写真で花がお判りかな?)。但し花は観賞価値はないと云われる。ポインセチアと同じ仲間のトウダイグサ科。

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2012年10月11日 (木)

倭国の興亡151: 壬申の乱6 近江朝廷の最後

 2日不破を発った村国男依ら率いる数万の軍は、7日息長横河で境部連薬ら率いる近江軍を破ったのを皮切りに次々と敵を撃破し、22日、ついに瀬田に至り、橋を挟んで大友の率いる近江の大軍と対峙した。
151  近江の将・智尊は橋のほとりに陣をしき、橋の中程を切断ち、敵が通過すると板を引いて落とす作戦だったが、勇敢にも大分君稚臣はこれを駆け抜けて敵陣へ突入した。浮足立った近江軍は総崩れとなり、智尊は敗死、大友や左右の大臣らは身一つで遁れる有様だった。(:最後の戦場)

 翌23日、ついに大津京は陥落し、近江の群臣は散りじりとなり、大友に伴ったのは物部連麻呂と1、2の舎人のみだった。前日三尾城を落とされ、北への道を阻まれた大友は引き返し山崎に隠れそこで自死した。
 翌日、大海人軍の諸将はことごとく笹浪に会し、左右大臣をはじめとする近江方の罪人を探索し、逮捕した。
 そして26日諸将は不破へと向かい、本営に大友の首を献じた。大海人が吉野を脱してから一ヶ月余の事である。

 こうして壬申の乱は終結した。大海人の勝因的確で迅速な戦略にあった。大海人自身が吉野を発つに先立ち、美濃に使者を派遣し、徴兵と不破道の閉鎖を命じたことをはじめ、東国の兵力を一手に動員し、近江方の徴兵を不可能にしたことは乱の帰趨を決定的にした意味を持つ。
 大海人方が軍事的に優位に立つと、諸国の国宰やヤマトの豪族などが雪崩を打って大海人方に近づき、近江方の将官からも寝返る者が出た。この現象は「大皇弟」大海人にもともと備わっていた高い権威が大きく作用したであろう。

 8月25日、近江方の重臣の処分が発表された。8人が死罪とされ、左大臣蘇我臣赤兄・御史大夫巨勢臣比等とその家族らは流罪とされ、その他は罪を許された。乱の規模のわりには寛大な措置であった。

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2012年10月 9日 (火)

秋を歩く(2)

 今日は2大ニュース。一つは何と言っても山中伸弥教授のノーベル賞受賞。教授の業績は各種報道済みなので略すが、人間が人の体の組織を創生し得る、将に「神の領域」に近づいたことと、人工多能性幹細胞の機能証明をマウス及びヒトで成功したことであろう。この実験成功からわずか6年目にノーベル賞受賞と云う早さが、その業績の偉大さを証明している。
 あと一つは我がホークスの小久保裕紀の選手引退。昨日試合終了後、引退セレモニーが行われた。単にホークスファンに限らず、多くの野球ファンに夢を与え続けた男の栄誉をたたえたい。今後も球界での活躍を願う。
 さて、今日は秋の代表的な群生する花。日常的に目にするものだが、記録として残す。
Photo  コスモス(秋桜)。ギリシャ語で美しい秩序との意が転じ、秩序と調和を持つ宇宙或いは世界の意の名前。今からが時期で、あちこちのコスモス園や高原での群生が美しい
Photo_2  ツユクサ(露草)。草叢の中で儚げに咲く花と思っていたら、今年はあちこちで、群生しているのをみた。露草がこんなに群れて咲くものとは初めて知った。夏草が大きく派手なのが多いのに比し、秋の草花は地味で小さな花をつけるが、群生は珍しい。

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2012年10月 8日 (月)

秋を歩く(1)

 朝の冷込みは20℃を割り、且つ夜明けが遅く6時前はまだ薄暗い。仕方なくウオーキングは昼間に切り替えた。但し夕刻は空腹に応えるので、体に余り良くないのでは?と思い。昼食後しばらくして歩いている。
 昼間歩くと、朝は見えなかった山草の花々が沢山咲いているのに気付いた。それで、目に留まったもの片っ端からカメラに納め、順次紹介してみよう。

 今日はオヤッと思ったものを2点
Photo  オオケタデ(大毛蓼)。蓼の一種、犬蓼を大きくしたもので、径が太く全体に毛が多いのが、名前の由来。これ野草だと思うのだが、写真の如く道端の畑で一塊に作られ、特徴のある花が沢山付いている。オヤッと思ったのは野草ではなく、観賞用の園芸種なのかという点である。それとも葉は揉むと害虫刺されの解毒になるというから、薬草として栽培されたものか?
Photo_2  セイタカアワタチソウ(背高泡立草)。戦後、養蜂業者のために、蜜源植物として輸入されたもの。この黄色い花が、花粉症(鼻炎や結膜炎)の3大要因(ほかに檜、杉花粉)の一つとされてきた。が、これが間違いだった!というのがオヤッの原因。花粉症の原因はブタクサという別種の植物なのである。(どうして間違いの風説が出来たか不明の由)
 更にオヤッと思ったのは、セイタカアワダチソウは毒(アミン)を持ち他種の草を枯らし、是のみがものすごく繁殖し問題となったが、結果、自分の毒で自滅し、現在は相当減少した由。一方ブタクサの方はブタクサハムシが遅れて日本に帰化し、この虫の勢でブタクサも急減した由。花粉症の方には朗報だろう。 

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2012年10月 6日 (土)

寒蘭を部屋に取込む

 今朝、松等鉢植えに水を遣っていて、ふと寒蘭の鉢(4鉢ある)を見ると花径(蕾)が10cmほどに伸びていた。今年はいつまでも暑いせいか、温暖地植物(マングローブガジュマルなどの鉢植を持っている)の室内への取り込みはまだまだ先の様に思っていたが、植物は間違いなく季節変化に対応している様だ。
 但し、寒蘭は花径が20㎝ほどに伸びてからでも遅くないが、残念ながら、トクナガハモグリバエの幼虫が、ランの茎の中に入り、花径が食われるので早めに自分の部屋へ取込むことにしている。早春に開花すれば、ブログで紹介しよう。季節の変わり目は庭仕事が忙しい。
 今日は変わった色の花と実を紹介。
I  ショウキラン(黄色曼珠沙華)。曼珠沙華の一種である。最近白色とこの黄色の2種が庭植えされるようになった。因みに真っ赤な野生の花を彼岸花といい、黄色はショウキラン、白色はアルビフロラと呼び彼岸花とは区別されているようだ。花は彼岸花より少し大きい。
Photo  シロナス(白茄子)。白い茄子は初めて見たが、畑で作られている。この白茄子は皮から色が出ないので、
料理の色を汚さないという特徴があるそうだ。食味は米茄子に似ているそうだが、炒めものやフライに向いており、小さいときに収穫し、ピクルスやスライスでサラダにも使うそうだ。果熟すると、外皮は黄色くなってくる。此れも熟しているのか黄色みではある。

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2012年10月 5日 (金)

倭国の興亡150: 壬申の乱5 吹負と果安軍の戦い

 大海人軍の倭古京や近江への進撃に先立ち6月29日、倭では大伴連吹負がわずか数十の兵を率いて挙兵した。吹負は倭古京の留守司・高坂王や朝廷の興兵使が駐屯する飛鳥寺の西の軍営を襲い、瞬く間に攻略した。
150  翌7月1日、吹負は勝に乗じて一気に近江を襲うべく、下つ道を北上し(地図参照)乃楽(ナラ)に向かったが、大勢を整えた大友の近江軍4日には山背(ヤマシロ)・河内の両方面から一斉に倭に進撃、この日吹負大野君果安率いる敵軍と乃楽山に戦い大敗。吹負はわずか数騎を伴い南に敗走。(図は倭古京地図
 ところがこれを追った果安軍は八口から倭古京を望み、街に立ち並ぶ楯を見て、伏兵を恐れ引き返してしまった。これは前日、荒田尾赤麻呂らが敵を欺くために並べたもので、時を稼いだ吹負は東に向い、莬田の墨坂で不破からの東国軍の先鋒、置始莬率いる一千の騎兵と出会った

 6日吹負は大阪道より倭(ヤマト)へ侵入した壱伎史(イキノフヒト)韓国軍を当麻で迎え撃ち、大破する。紀臣阿閉麻呂ら東国軍の本体が到着し、吹負は軍を分かち、これを上・中・下の三道に配した
 果たしてその後数日を経ずして大友・近江軍が北方より来襲、激しい戦闘の末、遂に吹負軍はこれを撃退し、倭における戦闘は終結し、倭の制圧に成功した。
 他の諸将は三道を北上し乃楽山を越え、山崎に駐屯、大友の西への退路を断ったのである。 

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2012年10月 4日 (木)

西太平洋に二つの米空母群配備

 日中間の緊張が高まる中、米軍の二つの空母群が日本列島南部の太平洋上に配備された。横須賀基地を母港とする「ジョージ・ワシントン」と米西海岸をを母港とする「ジョン・C・ステニス」である。日中関係の緊張の中で、急激な軍拡と太平洋海域への進出を図る中国をけん制するためである。更に、嘉手納基地に最新鋭ステルス戦闘機F35の配備をするという。日中間の緊張はさらに高まってきた。政府は今後の対応を国民に説明すべき時期ではないのか。
 嫌が上にも高まる緊迫感の中で、夏が足踏みか、連日暑い日が続く。今日は黒のテーマで写真2点。
Photo  クロサギ(黒鷺)。渡り鳥の来る頃になった。近くの河口には渡鳥りが来て、中には群れを外れ、近くの池に飛来するのもいる。先日近くの河に多数のクロサギを見たが、うちの一羽が近所の池に迷い込んだらしい。続いて鴨、そして冬には鶴(通過)が来る
Photo_2  クロマイ(黒米)。赤米はよく目にするも、黒米は滅多に見ないが、2坪程だけ植わっているのを見つけた。黒米はビタミン、リン、カルシュウムを含み、滋養強壮作用があるそうだ。抗酸化機能が高いという。又作りやすく貯蔵性がよいともいう。
 用途食用外では、染色や藁を注連縄ドライフラワーにも使われる由。東京農大では黒米で赤色のライスワインに成功したそうだ。写真のは少ないので神社奉納用ではないかと推察している。

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2012年10月 3日 (水)

原発政策 漂流?

 今後の「原子力政策大綱」を策定する筈の内閣府原子力委員会は、先に、資料準備のための「作業会合」と称した秘密会議での「もんじゅ」維持に不利な選択肢隠蔽などが発覚したこともあり、今後の政策決定がエネルギー・環境会議に移るのを機に、「政策大綱」の策定取止めを決定した。しかし、未だエネ環会議の先行きがはっきりせず、今後の原子力政策は司令塔不在で漂流していると、報じられた。現在の最重要課題が放置されているとは驚きである。多事多難の中であっても最緊急課題への取り組みを進めるべきだ。
 そんな中、季節は移り代り、秋らしくなったものの、強い日差しの中で咲いてる花
Photo  オミナエシ(女郎花)。別名:粟花。秋の七草の一つ。沖縄以外に分布。夏までは葉だけであるが、夏から花径が出て咲く黄色い花。万葉の昔からあった花で、多くの和歌に詠まれているが、俳句では芭蕉「ひょろひょろと 猶露けしや 女郎花」がある。
Photo_2  オトコエシ(男郎花)。同じオミナエシ科だが、やや大きく男らしいところからの名前。女郎花が地下茎で増えるに対し、匍匐枝で増える。女郎花共に根が煎じて漢方に用いられ、解熱・解毒作用がある。尚、両者とも生け花などの水が臭うので「敗醤」とも呼ばれる。
 

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2012年10月 2日 (火)

倭国の興亡149: [異説] 壬申の乱 大友の誤算、大海人の巧妙

 大海人が不破評家に至る直前、尾張の国宰・小子部鉏鉤(サヒチ)が二万の兵を率いて大友の麾下に加わった。この軍隊は、大友の命により天智天皇の陵造営を名目に徴発されたものである。
 大友は大海人を徴発せんと、尾張での徴兵を命じていたが、尾張大隅は大海人の養育に当った氏族で尾張の有力豪族として、鉏鉤に大友からの離反を迫った。また、美濃安八麿評のの湯沐の長官・多品治は神八井耳命を始祖とする氏族であり、執拗に鉏鉤への説得をしたといわれる。この大隅と品治の度重なる要請で、遂に鉏鉤は寝返った
149  これが完璧な作戦と布陣を行ってきた大友にとっては、唯一・最大の誤算であった。大友は父・天智が作成した庚午年籍に基づき、一般民衆から一定基準で兵力を徴収するやり方で戦争準備を続けてきた。その際の核は各地に派遣された国宰達であった。大友は彼らに全幅の信頼を置いていた
 然るに、大隅や品治のような在地豪族や同祖同族関係は、新しい国家による民衆の個人支配より前の、極めて古い支配・隷属関係、人間関係だったのである。(は乱の間、大海人が本部を置いた「野上行宮跡地」

 東国から徴発した大海人の増援軍は、倭古京・大津宮方面に向かったが、将軍の顔ぶれは夫々特徴があった。即ち、倭古京方面の将軍は、国宰にされるほどの畿内の中級以上の豪族の出身だった。一方大津宮に派遣された将軍は大海人の舎人であり、主として地方豪族の出身だった。
 倭古京は旧首都とはいえ政府の重要な機関や施設が存在し、制圧すれば戦闘が有利に展開できる重要な地点である。ところが大友軍は山背、河内の両面から同時進行する作戦を立てたが、河内での大友軍に大海人への内応者が発覚し、作戦は破綻して大海人側の大友吹負はこの僥倖により倭古京死守に成功した。
 他方、大津宮に向かった将軍の身分が低いのは、この方面で大友皇子との直接対決が予想されたからであろう。即ち国宰に選任される豪族は大友との面識があって、攻撃に手加減が出る恐れがある。しかし、地方出身の舎人だった将軍ではその危険は少ない。彼等には大友は、主人の純粋な敵であり攻撃を手控える事はない。これは最後の決戦、瀬田の戦いで大きな戦果を出した。この権謀の才幹の差が出た

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