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2012年9月14日 (金)

倭国の興亡145:[異説] 壬申の乱変節は大海人

 天智の同母弟で、大化の改新の良き協力・推進者であった大海人皇子は大皇弟と呼ばれ、有力な王位継承者であった。がこれは日本書紀の欺瞞であるという説。
 大海人の大皇弟は一見、後世の皇太弟(天皇の弟で、皇太子の地位にあるもの)と似ているが異なる。大皇弟(オオスメロド)は同母関係中の長子即ち大兄でなくとも王族内部で一定の地位と財産の保有を認められた有力王族の事である。
Photo   大海人の大皇弟とは、天智の同母弟という資格で天智の執政を補佐する地位にあった。必ずしもその即位が期待さていたわけではなかった
 若いときから兄を補佐し、天智の考える新しい王位継承の実現のために協力する立場にあった。即ち従来の世代・年齢による王位継承に代って、血統による王位継承を実現するため、天智と彼の血を引く特別な血統を持つ皇子を生みだすため、結果的に兄の娘を4人も妻に迎えた。(系図参照)。そればかりでなく、天智の長子・大友皇子に自分の娘・十市皇女(母は額田王)を嫁がせた。

 大友皇子を天智の後継者にするという構想は、天智・大海人双方の血を引く皇子(大津皇子や草壁皇子)が幼年のためすぐには即位できないので、「中継ぎ」ということで採択されたものである。従って天智の考えた王位継承案の修正案なのであって、その限りでは大海人も同意し、協力すべき関係にあった。

 だが、天智の死後、大海人が結果的に決起した事実から明らかなように、彼は兄天智の構想への同意と協力を土壇場になって放棄した。壬申の乱の前夜、天智の変節が内乱の原因の様にいわれるが、事実は変節したのは大海人皇子その人だったのである。
 大海人の即位資格は絶対的なものではなかった。換言すれば彼が既得権益を侵されたので、
止むにやまれず立ち上がったという見方は間違いである。

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