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2012年9月11日 (火)

倭国の興亡144: [異説] 壬申の乱の要因

 「壬申の乱」については、数回に渡り極く一般的な通説を紹介して行くが、近年従来の通説に対し、多くの異論(真説?)が出されているので、それは[異説]壬申の乱として適宜紹介してゆくことにする。
 従来の通説の論拠である「日本書紀」は天武天皇(大海人)の命により編纂されたもので、それ以降の支配層に都合のいい記述となっているのは否めないから、敢えて客観論的な[異説]を記載する次第である

 今回はまず壬申の乱の勃発の要因を考える。壬申の乱の原因は王位継承問題であったことは間違いない。しかし、それは単純な血統的条件ではなかった。
 6世紀以来、大王には大王としての人格・資質、それを保証する客観的条件としての世代・年齢らが重視されて、支配者集団の豪族個々の意志によって選ばれた。
 そして、継承争いが激化するとき、これを鎮静化するために大后が即位したのである。尚、女帝には王位継承資格を持った皇子への生前譲位実現を負わされた。
144  まず、病床の天智が大海人に言ったのは、書記の天智紀では「朕、疾甚だし。後事を以て汝に属く」とある。即ち後事は「大友の擁立に協力し、大海人に後見してほしい」なのである。一方、同じ書記の天武紀・上には「天皇、東宮に勅して鴻業(アマツヒツギノミコト)を授く」とあり、「大王位を譲る」と言ったとある。は大海人が落延びた吉野
 通説は後者を選択しているが、本当は前者であったと思われる。ここで既に大海人が善であり、天智が悪の構図が作為されている
 だから、天智が大海人を呼んで「後はお前に任せる」と言ったのに対し、これを謝絶した大海人「代わりに天智の皇后・倭姫王(大后)の即位と大友皇子がその補政の任に当たること」を進言したのは、非常に意味深いものがある。
 即ちこの返答は身の危険を感じた大海人が自身の保身を図ったことは間違いがない。女帝擁立は王位継承問題の保留であり、いずれ女帝からの譲位によって新大王が決まることを意味し、取りも直さず大海人自身の大王即位の可能性を残した
 このように乱の発端とその後の争乱の本質は、天智同世代の大海人か、次世代の大友皇子を支持するかの対立が背景にあって、大王として擁立するに相応しい人格と資質を保証する世代・年齢を巡る対立が、支配者集団を二分する内乱にまで発展したものだったと考えられる。具体的な詳細は次回以降詳述。

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