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2012年8月23日 (木)

倭国の興亡139: 氏族制度の改革(甲子の宣)

 白村江敗戦の唐軍来攻の惧れある緊迫した中で、664年中大兄(天智天皇)の倭王権は3項目からなる改革を宣布した。即ち
1.冠位19階を26階の冠位制に改定する。 2.大氏・小氏・伴造等の氏上を定めること。 3.諸氏の民部(カキベ)・家部(ヤカベ)を定めることの三項目であり、これを「甲子(カッシ)の宣」と呼んでいる。中央豪族の序列化、官僚化を断行しして国内の権力の集中をはかり、さらに遅れていた庚午年籍の作成準備が進められ、670年新しい戸籍が作成される。
139  冠位制の改訂は、冠位12階は大化3年、及び5年の改訂を経て、今回の改訂も12階の延長線上のもので、冠位制度の構造が大きく変わるのは、685年(天武14)の改訂を待たねばならなかった。
 氏上の制定は国造が対象とならず、中央の伴造クラス以上のウジを対象としている。それらの諸氏を大氏、小氏、伴造等の三段階にランク付けし、その上、ウジごとに公的代表者である氏上を定め、王権が公的な地位として認定したのだ。こうして王権は諸氏の序列を定めることにより、冠位の授与や民部・家部支給の重要な基準としたと推定できる。

 民部・家部は、従前のカキ(王権に所有された諸氏に所属する部のこと)とほぼ同じで、数量的に限定され、王権から支給された民という性格が明確になった。それを甲子の宣では大氏・小氏・伴造等という新たなランクを基準に再配分し、諸氏の現実の政治的地位により即した経済的特権とした。そしてそれは675年廃止され、公民化される。また、諸氏のヤケに代々隷属してきたヤッケがいたが、「家部」はこれを王権が初めて実態を掌握し、諸氏の所有を認めたものと考えられる。「家部」は675年以降存続し大宝令下では、氏賤(ウジヤッコ)となる。

 要するに王権が現実に即してウジの序列化と再編成を行い、氏の経済的基盤であるカキとヤッコを再配分したもので、王権にとっては聖域であったウジの経済的基盤にメスを入れやすくするための改革だった本格的なウジの改革と公民制の形成天武天皇の登場待たねばならなかった

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