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2012年8月30日 (木)

倭国の興亡141: 戸籍編成と律令制への取組

 天智天皇(中大兄)即位2年後、670年全国的規模では初の戸籍を作成した。「庚午年籍(コウゴネンジャク)」と言われる最古の戸籍である。律令下、戸籍は6年ごとに作成されるが、30年保存後は順次廃棄することになっていたが、庚午年籍だけは永久保存が義務付けられた。尤も現在では、庚午年籍はすべて失われた。写真は現存する最古の戸籍、大宝2年御野国戸籍(正倉院蔵)である。
 庚午年籍は戸ごとに戸主、戸口の名前を列挙し、戸主との続柄、年齢などを記し、更に甲子の宣で定められた民部・家部(豪族の私有民)或いは賤民はその旨注記してあったと思われる。この頃一般民には姓がなかったので、膨大な人員を動員して公民の定姓(姓をつけた)を行っており、「氏姓の根本台帳」であることが、永久保存の最大の理由だという。
25  庚午年籍の歴史的な意味は次の様に考えられる。
孝徳朝のクニの解体と評(コオリ)の設置で、中央集権的地方支配体制がととのえられた事。
斉明朝までには評を統括する国が置かれ、「国宰」(後の国司)が地方官として常駐する国ー評体制が成立。
後に郡の下に置かれた里の前身「五十戸(サト)」の制も天智初年までは成立していた。(五十戸で里を構成した)。
 これら国-評-五十戸という地方支配体制を基礎に置くことによって、庚午年籍の作成が可能になったのである。庚午年籍は、地方支配の再編即ち公民制の形成の一つの到達点を示すものだった。尤も民部(カキベ)が廃止され、公民に編入されるのは、天武朝になってからであった。

 天智朝では官制においても進展があった。即ち、671年天智の子・大友皇子を太政大臣に任じ、蘇我赤兄臣を左大臣、中臣金連を右大臣に任じたことである。又、「法官(ノリノツカサ)」という官名があり、太政官制の原型の六官が668年に完成したといわれ、「近江令」による官制の施行と見る向きもある。しかし、近江令の存在は否定説が多く、車の両輪である公民制は官制目前まできたが、官僚制の形成は我が国初の飛鳥浄御原令の689年施行を待たねばならなかった

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