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2012年8月

2012年8月30日 (木)

倭国の興亡141: 戸籍編成と律令制への取組

 天智天皇(中大兄)即位2年後、670年全国的規模では初の戸籍を作成した。「庚午年籍(コウゴネンジャク)」と言われる最古の戸籍である。律令下、戸籍は6年ごとに作成されるが、30年保存後は順次廃棄することになっていたが、庚午年籍だけは永久保存が義務付けられた。尤も現在では、庚午年籍はすべて失われた。写真は現存する最古の戸籍、大宝2年御野国戸籍(正倉院蔵)である。
 庚午年籍は戸ごとに戸主、戸口の名前を列挙し、戸主との続柄、年齢などを記し、更に甲子の宣で定められた民部・家部(豪族の私有民)或いは賤民はその旨注記してあったと思われる。この頃一般民には姓がなかったので、膨大な人員を動員して公民の定姓(姓をつけた)を行っており、「氏姓の根本台帳」であることが、永久保存の最大の理由だという。
25  庚午年籍の歴史的な意味は次の様に考えられる。
孝徳朝のクニの解体と評(コオリ)の設置で、中央集権的地方支配体制がととのえられた事。
斉明朝までには評を統括する国が置かれ、「国宰」(後の国司)が地方官として常駐する国ー評体制が成立。
後に郡の下に置かれた里の前身「五十戸(サト)」の制も天智初年までは成立していた。(五十戸で里を構成した)。
 これら国-評-五十戸という地方支配体制を基礎に置くことによって、庚午年籍の作成が可能になったのである。庚午年籍は、地方支配の再編即ち公民制の形成の一つの到達点を示すものだった。尤も民部(カキベ)が廃止され、公民に編入されるのは、天武朝になってからであった。

 天智朝では官制においても進展があった。即ち、671年天智の子・大友皇子を太政大臣に任じ、蘇我赤兄臣を左大臣、中臣金連を右大臣に任じたことである。又、「法官(ノリノツカサ)」という官名があり、太政官制の原型の六官が668年に完成したといわれ、「近江令」による官制の施行と見る向きもある。しかし、近江令の存在は否定説が多く、車の両輪である公民制は官制目前まできたが、官僚制の形成は我が国初の飛鳥浄御原令の689年施行を待たねばならなかった

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2012年8月29日 (水)

やはり国会空転

 現時点では、自・公の首相問責決議案と、それ以外の野党の問責決議案とどちらかを参院で可決する予定。よって、それ以降、野田政権辞任又は国会解散しないかぎり、野党の審議拒否で、国会は空転し、9月8日閉会となる。これにより民・自・公による「早いうち解散」の約束は反故にされたとして、解散は遠退いた。とするのが一般的な見方。何のために自・公はこの道を選んだか国民にはサッパリわからん。
 今日も秋めいた朝を歩いて、チョッと珍しい花を撮ってきたので紹介。
Photo  ヤマゴボウ(山牛蒡)。山菜のアザミ属の「ヤマゴボウ」と区別するため、洋種山牛蒡ともいう。北米原産で、明治に渡来し、雑草化した帰化植物。左の白いのが変わった形の花で、右方の緑は果実である。秋には赤紫色に熟する。全体に毒性強く、誤食すると神経麻痺、意識障害を引き起こす由。
Photo_2  ハツユキカズラ(初雪葛)。テイカカズラ属のつる性低木。原産は日本、朝鮮半島。山野のテイカカズラの斑入り品種で庭園用として古くから使われたというが、ここ1,2年で急速に広がり、多くの家の門脇や塀に這わせている。花は滅多に咲かないが先端部の葉がピンク→白→濃緑と順次色を変えるので見た目に爽やかな美しさがあり、成長がゆるやかで、伸び過ぎず、病害虫に強いのがいい。(白い花をつける事もある由)

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2012年8月28日 (火)

空転国会となるのか

民主党が、選挙制度改革法案を特別委員会で単独採決し可決して、赤字国債発行特例法案と共に今日の衆院本会議で可決し、参院に送る構えをとっている。対する自民党は29日にも野田総理に対する問責決議案を参院に提出する構えで、これは可決される見通しなので、その後の国会は野党の審議拒否で空転する見通しという。何故こんな無駄なことをするのか、あくまで解散総選挙を引き延ばすための作戦と云うが、全く国民不在の与野党の争いは、災害復旧、外交問題と課題山積の中でやるべきことか。愈々国民の政治離れが進み、民主、自民とも支持率を下げるであろう。
 今日は今咲いている似た花二つ
Photo  ハイビスカス(Hibiscus)。園芸用はブッソウゲ(仏桑花)と云い、扶桑花が転じたものと云う。赤の他黄、ピンクもある。この花は摘んでも萎れないので、ハワイではレイに使われる。
Photo_2  オクラ(Okra)。秋葵と書く。ハイビスカス(上)にソックリの花をつけている。花は夜から朝にかけ開き、昼は萎む。オクラの実は食物繊維(ペクチン、アラビン)など多く、コレステロ-ルを減らす薬効があり、ビタミン、ミネラルも多く、健康食品
 尚。トロロアオイ(黄蜀葵)の花もオクラにソックリの花を付ける。

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2012年8月27日 (月)

倭国の興亡140: 近江(大津宮)遷都と天智即位

 667年、中大兄皇子は近江に大津宮を造り遷都した。古代に大津に都が置かれたことは判っていたが、その中心部が大津市錦織であることは、1975年(昭和49年)に宮殿と見られる大型の掘立柱建物跡などの遺構群が見つかり、大津宮跡であることが確定された。
140_2  規模は正確には不明だが、南北3~400m、東西200m位と想定され、内裏朝堂院を備えた宮城と見られる。この地は東に琵琶湖、西に比叡山がせまり、東の湖岸は比叡山からの土砂の堆積地で狭隘なため、他の都のような碁盤目にはできず、小ぶりな都であった。宮城は錦織にあり、関連の官衙(役所)や官人の宅地は京域内に分散して配置された。図は大津宮内裏南門跡

 近江は畿外であり、この遷都は多くの人々から反対されたが、ここに遷したのは一つには、当時近江に有力な渡来人勢力がおり、天智天皇の支援勢力であったためと云われる。大津周辺には6~7世紀の渡来人の韓式古墳が1000基も見つかっている。そうした勢力があったからこそ大津京の造営も可能だった。
 近江遷都の最大の理由は、やはり新羅と組んだ唐の脅威であろう。百済が滅ぼされ、残る高句麗と組んで唐・新羅を牽制しようとしたと思われる。古くから百済からのルートは敦賀、近江そして大和を結ぶ日本海ルートがあり、高句麗との結びつきを容易にできる地の利を考えての事であろう。

 近江遷都の翌668年、中大兄は7年間の称制に終止符を打ち、ようやく即位し天智天皇となる。乙巳の変以来23年ぶりの即位である。
 白村江敗戦以来、即位を先送りし、自分に向けられる批判、追求を躱し、非常事態を名目に各地に防備施設を築き軍国体制を敷き、懸案の氏族再編を行い、権力集中を図った。こうして内政改革と防衛体制の構築が一段落し、非常時に終止符を打っての即位となったのである。
 5年後に世を去る天智天皇にとっては、大津京は新しい律令国家を夢見た幻の都だったのである。

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2012年8月25日 (土)

正確な調査を望む活断層

 近頃は竹島、尖閣問題、原発存続可否の問題、など放置できない難問に加え、出来る限り早く、正確に調査の必要があるのは「活断層」問題であろう。現にあちこちの原発敷地内や近辺に活断層がある事が解っている、正式に調査機関を設置すべきであろうと考える。
 暑い問題山積の中、早朝はすっかり秋めいて涼しく、虫の音も聞かれる季節となった。今日は秋がみえる写真。
Photo  リコリス彼岸花の仲間ではあるが、曼珠沙華と違って、これは園芸種。民家の庭先に開花しているもの。この家の周辺では毎年白い彼岸花も咲く。
Photo_2  温州ミカン温州ミカン庭に植えている家は珍しいが、この家の庭は広く、金柑も夏柑もある。今はピンポン玉大だが、秋には大きくなり色づき収穫できる。
Photo_3  夏ミカン。夏蜜柑は庭に植えている家が多い。これは今握りこぶし大だが、更に大きくなり、冬から色づき始め来夏に収穫される。1本の木で、自家用には十分な量が収穫できるだろう。

 

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2012年8月23日 (木)

倭国の興亡139: 氏族制度の改革(甲子の宣)

 白村江敗戦の唐軍来攻の惧れある緊迫した中で、664年中大兄(天智天皇)の倭王権は3項目からなる改革を宣布した。即ち
1.冠位19階を26階の冠位制に改定する。 2.大氏・小氏・伴造等の氏上を定めること。 3.諸氏の民部(カキベ)・家部(ヤカベ)を定めることの三項目であり、これを「甲子(カッシ)の宣」と呼んでいる。中央豪族の序列化、官僚化を断行しして国内の権力の集中をはかり、さらに遅れていた庚午年籍の作成準備が進められ、670年新しい戸籍が作成される。
139  冠位制の改訂は、冠位12階は大化3年、及び5年の改訂を経て、今回の改訂も12階の延長線上のもので、冠位制度の構造が大きく変わるのは、685年(天武14)の改訂を待たねばならなかった。
 氏上の制定は国造が対象とならず、中央の伴造クラス以上のウジを対象としている。それらの諸氏を大氏、小氏、伴造等の三段階にランク付けし、その上、ウジごとに公的代表者である氏上を定め、王権が公的な地位として認定したのだ。こうして王権は諸氏の序列を定めることにより、冠位の授与や民部・家部支給の重要な基準としたと推定できる。

 民部・家部は、従前のカキ(王権に所有された諸氏に所属する部のこと)とほぼ同じで、数量的に限定され、王権から支給された民という性格が明確になった。それを甲子の宣では大氏・小氏・伴造等という新たなランクを基準に再配分し、諸氏の現実の政治的地位により即した経済的特権とした。そしてそれは675年廃止され、公民化される。また、諸氏のヤケに代々隷属してきたヤッケがいたが、「家部」はこれを王権が初めて実態を掌握し、諸氏の所有を認めたものと考えられる。「家部」は675年以降存続し大宝令下では、氏賤(ウジヤッコ)となる。

 要するに王権が現実に即してウジの序列化と再編成を行い、氏の経済的基盤であるカキとヤッコを再配分したもので、王権にとっては聖域であったウジの経済的基盤にメスを入れやすくするための改革だった本格的なウジの改革と公民制の形成天武天皇の登場待たねばならなかった

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2012年8月21日 (火)

悩ましい原発問題

 政府に、「エネルギー・環境会議」なるものがある。地球温暖化対策と両立する新エネルギー政策を策定するため、昨年6月に発足した。議長が国家戦略担当相で、経産相、環境相らがメンバーである。この会議が、総発電量に占める原発の割合を「2030年代前半の原発ゼロ」を目標とする方向で検討に入ったという。これまで、いろんな閣僚が夫々異なる方向づけを発信し、基本問題の基本方針が決まっていないのだ。最近各知事が原発ゼロを言い出し、政府もうやむやでは済まされない状況と判断したようだ。『決められない政治』の感が愈々強くなる。そんなことを思いながら歩いていて見つけた花。
Photo  ペンタス。この花6-10月と花期が長い。民家の門脇などによく植わっている。別名クササンタンカ(草山丹花)。熱帯アフリカ原産で、熱帯の花は夏には開花が鈍るが、このペンタスは暑いほど元気になるという。花色は、桃、赤紫、紅、白、青紫と豊富。
Photo_2  キンカン(金柑)。花径5ミリ程度の小さな花。しかも2,3日で萎んで仕舞う。しかし、春、夏、秋と花が咲き、7月ー10月に結実することが多い。この木は今米粒ほどの実が沢山着いていた。金柑は果実酒の他、砂糖漬けやマーマレードとして食される。当地では大概の庭に植わっている。

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2012年8月19日 (日)

倭国の興亡137: 白村江敗戦後の半島との緊張関係

(おことわり)前回、本稿「倭国の興亡137」を飛ばし、「138」を先にアップロードしています。故に前後逆となりましたが、本日「137」をアップロードします。

 663年、8月白村江での大敗後、9月からは倭の軍勢は撤退を開始しているが、同時に倭国は唐・新羅連合軍の本土来攻の危機に直面した。しかし、翌664年5月、百済遺領を統治していた唐の劉仁願が、郭務宗を遣わし、表函(フミハコ)と献上品を奉っており、表面的には戦勝国としての要求はない。この時入京は許さず、中臣鎌足らを筑紫に派遣している。
137  翌665年9月には唐本国から、劉徳高が、百済使節と郭務宗を率い、筑紫に来朝。一行は倭国の捕虜を含む254人で、入京を許されているので、敵対的な使節とは考えられていない。更に2年後(667)の11月、劉仁願が司馬法聡を派遣し、遣唐使として唐に滞在中で、戦争のため帰国できなかった境部連石積らを送還してきた。こうした一連の動きは。恐らく対高句麗との戦争に関連し、倭国を牽制するためだったろう。
 事実、666年9月、唐・新羅連合軍は高句麗を滅ぼしており、この頃までは本土来攻の危機はなかったであろうが、国土防衛の準備はまだまだ必要であったろう。(665年頃築城の朝鮮式山城・「鞠智城」。筑紫の最前線に武器・食糧・兵器を供給するために作られたもの

 ところが、670年唐と新羅の間に戦端が開かれ、翌671年正月には、劉仁願が李守真を派遣し、倭に対新羅参戦の打診をしてくるなど唐との緊張関係は薄れ11月には郭務宗が、百済の難民と倭国の捕虜など、二千人を対馬に送還し、戦争状態は終結したと解される。
 新羅が唐を半島から駆逐するのは、676年であるが、この間も直接的な脅威はないものの、緊張関係は維持する必要があったであろう。

 以上、外交の延長線上に軍事政策がある限り、中大兄(天智天皇)としては、少なくとも、本土来攻を前提として、和戦両様の政策を立て、準備する必要があったであろう。具体的に実施された政策、軍事上の防備対策は次回以降に記述する。 

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2012年8月18日 (土)

尖閣と竹島

 今回政府のとっている措置に関しては賛否両論あるが、隣国であり、経済的にも深く関わっている両国ながら、領土問題となれば簡単に決着できる問題ではない。しかし、永遠に未決着のままでは済まないだろう。国際司法裁判所へ提訴の話もあるが、国際的に日本の主張が理解されるよう不断の努力を惜しんではならない。暑い時期に暑い話ですっきりしないが秋は徐々に来つつある。今日は花弁の無い花を撮ってきた。
Photo_3   センニチコウ(千日紅)。最近あまり見かけなくなった。花期が7-11月と長いので飽きられるのかな。この花は花弁がなく、花の根元に付く「苞葉」と云う葉に色がついたものである。これは乾燥させても色が変わらないので、よくドライフラワーされる。
Photo_4  
イチジク(無花果)。花がなく実がなっているように見えるところから付いた名前。しかし、無花果の実を割ると中にぶつぶつが沢山あるあれが花なのである。無花果はカリュウムが多く、高血圧、動脈硬化によいとされ、又乾燥した実や葉は緩下剤などの生薬とされる。

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2012年8月17日 (金)

残暑厳しく

 猛暑が戻り今日も35℃を超えるという。こう暑くてはどこにも出かける気もせず、テレビで高校野球を眺めながら、気楽な時代小説を読んでグータラな毎日を送っている。しかし、この暑さもここ1週間ぐらいとの予報だから、一時の辛抱だろう。
Photo  ダンチク(暖竹)。朝歩いていて遠くから白い固まりがあるのを見つけて近寄ると、これだった。蘆に似ているので、ヨシタケ(蘆竹)とも言われるが、草丈は4m近くあり、茎も太くて半径1.5センチぐらいあり、堅くてまるで竹のようだ。釣竿に使われることもあるらしい。
Photo_2  朝焼け。朝、ウオーキングに出るころ、太陽が山の上に出る。それが金色に輝き夕焼けのような朝焼けとなった。秋になってくると何故か空を見上げることが多くなりイワシ雲やサバ雲をよく見る。但し昼は積乱雲となり、真夏気分になってしまう。

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2012年8月15日 (水)

倭国の興亡138: 対中国・半島の国土防衛策

 白村江に於いて、唐軍に惨敗し、新羅が半島で勢力を伸ばそうとしている状況下、倭国は本土来攻を前提とし、和戦両面ながらも国土防衛体制の強化に躍起となった。
 敗戦の翌664年には、百済の亡命貴族を登用し、対馬・壱岐・筑紫に、防人(サキモリ)烽火(ノロシ)を設置、筑紫には「大宰府」と水城の造営をすすめた。防人はサキ=辺境+モリ=守備であり、国境警備隊である。烽火は火を打ち上げ危急を伝達する施設であり、両者がセットで機能した。
138  水城は水を蓄えた運河状のもので、敵の来襲を防ぐ施設である。写真の遺跡は大宰府・大野城両市の境付近にあり、高さ13m、基底部幅80mの土塁で塞いでいる。外側に約60m深さ4mの巨大な堀跡が発見され、土塁と外堀で内側を防守しようとしたものである。この時、博多の筑紫太宰(大宰府の前身)を現在の大宰府跡に移転したと見られる。(写真の中央部縦に木が茂っている部分が水城部分
 更に翌665年には、長門と大宰府の北と南に大野・椽(キ)(基肄)の2か所に朝鮮式山城を百済亡命貴族に築かせた。尤も後者(2城)は大宰府が非常の際の逃げ込み城とも思われる。
138_2  この頃、半島での唐の高句麗征討、新羅の百済遺民の平定など戦況は緊迫する中、
667年3月に、近江大津への遷都が実行された。当然、この遷都は防衛上の観点によるものである。そして10月には 対馬に金田城、讃岐に屋島城、大和に隆康城が築かれ、各所に防衛施設が配備された。図は備前に築かれた朝鮮式山城「鬼の城」跡の石塁で、標高400mの山上は城壁周囲2.8キロと云う広さ。
 この間、
666年1月、668年7月に高句麗の使者が来朝し、半島情勢を倭国に伝えたことも、この防衛施設や遷都への影響を与えたであろう。 

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2012年8月14日 (火)

猛暑も中休み?

 日本全国天候不順のようで、あの猛暑もここ暫くは影を潜めている。向こう1週間は最高気温も30-32℃と予測され、凌ぎやすいようだ。早朝ウオーキング時の蝉の鳴き声も少なく、やや寂しい感じがしないでもない。雨が多いと、花が萎れているので、その中で元気なのを紹介。
Photo  ザクロ(柘榴)の実。勿論花は終わっているが、実がまだ赤くなってないが、沢山実をつけているのが珍しく撮ったもの。当地では庭に柘榴を植えている家が多い。
Photo_2  コヒルガオ(小昼顔)。普通の昼顔よりやや小ぶりの昼顔(花径3-4cm)である。蔓性の多年草だが、地上部は毎年殆ど枯れて結実しないから、
地下茎で増えるのだそうだ。道端ややせ地にに生える。昼間に開花し、夜はしぼむ。

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2012年8月13日 (月)

オリンピック閉会、静かになるか?

 今日の閉会式をもって、連日テレビを賑わしたオリンピックも閉会した。残念ながら、金を目指して、銀に終わった種目も多かったが、メダル総数は04年のアテネ大会の37個を抜いて38個となり、史上最多となった。選手並びに関係者のご努力の功を多としたい。
 あとはこの暑さをしのぐには甲子園位か。
 ここ数日、夕立のような雨がよく降ったせいか、山際の急斜面や、民家の庭に急に百合が一斉に咲いた。
Photo  タカサゴユリ(高砂百合)。テッポウユリと酷似するが、これは葉が細く、茎がやや太くて、花が純白ではなく薄紫の筋が入っている。高砂百合の特徴である。台湾の固有種で、台湾・高砂地域に植生するところからの名前。日本には園芸用に移入された帰化植物で、九州以南に野生化している。別名細葉鉄砲百合。花期は7-9月。種子で繁殖。
12  オイランソウ(花魁草)。ハナキョウチクトウ(花夾竹桃)ともいう。6月~10月と花期が長い。花の匂いが花魁の白粉の匂いに似ているところからの名前。花の色はピンクが主だが、最近はいろんな色のが出回っている。

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2012年8月10日 (金)

消費増税法案成立

 国民そっちのけの与野党のせめぎあいの中で、民・自・公の党首会談で「消費増税法案」が今日成立する見通しとなった。この3党、増税法案には合意して置きながら、自民総裁選がらみでの抵抗で、野田総理の首と引き換えに(総選挙実施を担保に)、法案成立に合意した。国民、国家にとってぜひ必要であるか否かはそっちのけの、政争による増税法案成立と云う点が、どうにも承服しがたいものである。こんな暑い夏の真っ只中、植物は秋を迎えつつある。臭い話で恐縮ながら、今日も臭う花。
A_2  クサギ(臭木)。葉に悪臭がある故の名前。しかし、花は綺麗だし、秋には赤紫色の蕚の上に青い実が付き、これも綺麗である。又花は百合に似た芳香を発するが、葉の臭いで気づきにくい。しかし、この木はパリの街路樹になっている。
Photo  ハナツルグサ(花蔓草)。洋名はベビーサンローズ。多肉質のつる草に咲く小さな(1cm前後)可愛い花。石垣などに這わせている家が多いが、緑の中の赤い花はよく目立。花期は春先から秋までと長く咲き続ける。繁茂しすぎず、病害虫にも強い。

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2012年8月 9日 (木)

倭国の興亡136: 唐の半島支配と新羅による統一

 百済鎮圧後、唐は捕虜としていた百済・義慈王の太子、扶余隆を熊津都督に任じ百済に遣わした。旧王族の都督起用で百済遺民の抵抗を鎮静化し、且新羅王家と和睦させ、百済を唐の植民地として永く治めようとした。664年、唐は新羅・文武王の弟を熊津に呼び、百済鎮将(百済占領軍の将軍)劉仁願の立会のもと、百済太子・扶余隆と中国古来の会盟で和親を誓わせた
 倭国に対しても修交をはかり、百済人・郭務宗を派遣した(詳細は次回)。翌665年、唐は再び新羅王に会盟を要請し、再び熊津で和親の誓いをさせ、又倭国にも使節派遣をしている(詳細次回)。

 668年高句麗が滅亡すると、唐は平壌に安東都護府を置き、唐将を都護に任じ、ここにも羈縻支配(中国が外族行政組織をそのままにして支配)をしいた。こうして、百済・高句麗滅亡後、半島では唐主導での新しい支配体制が構築されそうであったが、新羅にとっては唐の後ろ盾による百済の旧王族支配が存続している現実は容認しがたく、また高句麗が唐の植民地支配下にあることも脅威であった。
136  670年、遂に新羅が決起した。公然と旧百済領を進撃し82城を奪い、翌年には泗沘城も占領。旧百済領の大半は新羅の支配下に入った。674年には唐は新羅王の官爵を剥奪する。新羅は謝罪使を唐に派遣する一方で、唐軍との戦闘を継続し、硬軟取り混ぜた戦略に唐も半島支配を断念し、674年には熊津都督府、安東都護府を唐の本土に引き上げた。
 こうして新羅は、旧百済領と旧高句麗領を共に支配下に置き、半島統一を実現した。(は中国・西安の乾陵内李賢墓の壁画で、唐高官が新羅の使節(右端鳥王冠を付けた人物)と会見の図)。

 この間、新羅668年の高句麗滅亡に相前後して倭国に使節を送ってくると、倭国も遣新羅使を派遣し、両国は急速に接近してゆく。以降天武・持統朝(672-697)にかけては新羅使が連年のように来朝し、日本からも遣新羅使が頻繁に派遣された。特に唐との通交が途絶える天武・持統朝には、倭国にとって新羅との関係が、政治的にも文化的にも極めて重要な意味を持ったのである

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2012年8月 8日 (水)

暑さはまだまだ続く

 今日から高校野球も始まり、オリンピックも日本勢大活躍の中、今政界も暑くなっている。一体谷垣さんは何を考えているのか、「政治」はそっちのけで、「政権奪取」の政争しか考えていないのか。国民にとっては全く無駄な、と云うより、国民そっちのけの政争は、国民にとっても、国家にとっても、迷惑至極な「茶番劇」としか見えない。もし、解散総選挙になっても国民の支持は得られないだろう。もっと日本の将来を展望しての政争であって欲しい。
 この暑さの中植物は秋を迎える時期に入っている。今日は珍しい花を紹介。
Photo  フウセントウワタ(風船唐綿)。別名、フウセンダマノキ。これは、実が目立つので花は余り知らないが、今日初めてその花を見た。実から想像されなほど小さく、可愛い花である。花の中心には雄しべと雌しべが組み合わさった蕊柱(ズイチョウ)」がある。
Photo_2  トウワタの実。実が熟すとはじけて、中から綿毛の付いた種が出てくる。この名の由来である。病害虫はなく、肥料はない方がよいという育てやすいものだ。フーセンカズラも似た実をつけるが、ホオズキのような実中に種をつくる。尚、カズラはつる性である。

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2012年8月 6日 (月)

まだまだ暑い!

 高温が続き、時折降る雨のお陰で、我が家の芝は、勢い良く伸び、見た目にも暑苦しいし、蚊が多くなってきた。これはたまらんと、朝早く(8時過ぎ)から芝刈をした。
 涼しい内にと思ったが早朝から気温は上がりっぱなし。芝刈機が余り上等ではないので、補助的に手刈りが必要。狭い庭なのに2時間余懸ってやっと終了。汗が流れるように吹き出し疲れてしまったので午後はゆっくり休んでいるところである。でも朝は秋めいて来た感があり、草花も秋の植物に変わりつつある。
Photo  ミソハギ(禊萩)。盆花として使われるので、ボンバナ、ショウリョウバナ(精霊花)とも呼ばれる。名の由来は禊に使った萩に似た花からとの説や、溝に生える萩(溝萩)から転じたとの説もある。これは花壇に植わっているもの。
Photo_2  
オクラ(秋葵)。これは蕾だが、花は葵に似たきれいな花が咲く、アオイ科の植物。エチオピア原産で、明治初期に渡来。昭和50年以前は奄美、沖縄地方にだけあったが、和名でアメリカネリ、オカレンコン(陸蓮根)とも呼ばれる。昭和51年以降全国に広まった今の品種は角のある小さいオクラだが、南方のは15-20cmと大きく角がない。

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2012年8月 5日 (日)

葉が匂う植物

 ここんところ、台風の影響か、風が吹くので幾分かは救われるが、連日35℃を超す日々であり、つい外出は億劫になり、専ら室内でオリンピックを眺めながら過ごしている。
 この暑さや寒さは、人間が感じる「匂い」により増幅されたり、縮減されるものだろうか。花は、受粉のため、大概いい匂いを発し、昆虫類を呼び寄せている。ところが葉っぱを揉むと匂うが、これには動物に食害されないように嫌な臭いを発するものが多いが、ハーブのように人間には爽やかに感じるいい香りのものがある。これは何のためだろうか。そんな事思いながら、今日は”香る”ものと”臭う”ものの2種の植物を紹介
Photo  ペパーミント。一般にミント、或はハッカのうちの一種。今頃、写真のような花を咲かせている。花は美しい物でもないが、この葉をもむと、メントール臭と云われる爽やかないい香りを出す。抗アレルギー性成分があり、のど飴に使用される。またリキュールやうがい薬としても使われるそうだ。この匂いは”香る”方だ。
Photo_2  ヘクソカズラ(屁糞蔓)。別名サオトメバナ(早乙女花)。写真のように非常に可憐な花を付けるつる性植物だが、葉を揉むと異常に嫌な臭いがする。牛馬も食まないという。但し葉を乾燥すると臭いも消え、しもやけ、あかぎれの外用薬として、又生薬も漢方薬としてあるそうだ。

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2012年8月 3日 (金)

倭国の興亡135: 白村江敗戦の因と外征兵達

 白村江の戦いでは、百戦錬磨の唐軍が待ち構える中に、経験不足で、明確な作戦がなく統制も十分でない倭軍が討ちかかっても勝てるものではなかった。
 だが、真の敗因は他にあると、森 公章(東洋大教授)氏は言っている。まず、倭国の戦略構想は新羅と戦うという意識が強かったこと。進発の際も「御船西征(ニシユキテ)」とあり、半島、新羅を意識した「西征」の語があり、倭国には唐と戦うという厳しい現実認識が希薄だったといわれる。

 倭国の百済救援は、中大兄のもとで強行されたが、有史以来、せいぜい千人規模の派兵はあったが、今回のように4万に近い規模の軍隊派遣はなかった。倭国には万人規模の軍隊を総合的な戦略に基づいて機動させる実体験がなかったのである。661年9月5千人、663年3月2万7千人、663年8月万余と3回にわたって、夫々個別の戦局を追いかけた小出しの出兵になっており、全体的軍略が欠如していた。
135  又、劉仁軌伝に倭国の軍船を「舟」と書いているように、唐から見れば「小舟」に過ぎない貧弱な兵備だった。因みに唐の戦艦は図の如くであり、軍備の面では大きな較差があった。

 戦法・戦略。軍備面の相違に加え、倭軍には決定的な問題点があった。倭国軍は前・中・後将軍による軍隊引率がなされたが、これは渡海の順序を示したにすぎず、全体の統括指揮官がいなかった
 倭国の軍事編成は、独自の勢力を持つ地方豪族が集めた兵を主力とする国造軍を、将軍に起用された中央豪族が引率し、かつ中央豪族が独自に持つ兵力と並立的で、指揮系統が統一されていない
 要すれば、中央集権的律令国家が未確立という国家段階の遅れが災いしているのである。白村江の敗戦が、倭国の中央集権的律令国家構築の必要性を痛感する場になったのである。
 尚、全国から徴兵された兵士は沢山の戦死者を出したが、唐の捕虜となった兵士も少なくなかった。大伴部博麻(筑後国)が690年20年ぶりに、錦部刀良(讃岐国)・壬生五百足(陸奥国)・許勢部形見(筑後国)らは707年遣唐使の粟田真人と遇って40年ぶりにようやく帰国した。

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2012年8月 2日 (木)

暑い夏が続く

 10号台風が通過したが、台風一過とは行かず、今日も朝から侃侃照り。先日来、原子力規制委員会のメンバー決定でもめているが、今後原子炉をどうするかの議論は暑い議論となりそうだ。そこに近頃の円高問題。「円高の夏」警戒の文字が躍る。なんでも一昨年の夏は米経済の減速で急速に円高が進み83円となった。昨年の夏は米経済先行き不安でドル安が進み、75円台に突入した。今夏も75-78円で推移。3年連続の夏の円高現象が続く。
 一つの要因は市場関係者夏休みに入り、取引量が減るので、小さな変化が大きく出るからだというが、今夏はユーロ不安が絡んで、複合的要因で動くので要注意だという。日銀介入が必要だろうが、適切な対策が講じれるか、難しい所のようだ。今日も歩きながら撮った花の写真2枚。
Photo  セージ。和名はヤクヨウ(薬用)サルビア。多彩な園芸品種があるようで、色も各種ある由。名前の通りサルビアの近縁種で、古代ローマ時代より免疫を助ける薬草として使われ、香りが強くソースの香料としても使われ、ハーブとしても使われている。
Photo_2  シコンノボタン(紫紺野牡丹)。南米原産。最近は園芸品種が充実し、紫紺から徐々にピンクに花色が変わるのもあるという。花期は夏から11月までと長い。野牡丹とは別種のようだ。

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2012年8月 1日 (水)

人と”共生?”の雀

 写真は子(子供の)スズメ。早朝ウオーキングで草を刈った処に群れて餌を啄んでいた子雀たちが一斉に飛立ち、電線にとまったところである。雀は典型的なシナントロープ(Synanthrope)だという。即ち人間に付かず離れずの生活をする動物なので、人間が住み始めたところには必ず雀も居り、人間がいなくなり無人化すれば雀も居なくなるという。
Photo  で、
繁殖は3-8月、集団で繁殖する習性があり、夏から秋にかけて群れるのだそうだ。それで、今頃の子供雀は群れておるのかと納得した次第で、人間との付き合いは太古の大昔からと云うから、驚きだ。因みにシナントロープには他に、ハシブトガラス、ドバト、ドブネズミ、ゴキブリがおり、これは人間から恩恵を貰うが、人間には迷惑なばかりである。
I  写真ノアザミ(野薊)か? 写真の通り、
タンポポの綿毛のような感じだがこれはであり、手前にあるのが、普通の薊と同じような蕾である。但し、この花は毎年この場所に2,3本生えて花をつけるが、この場所以外では見たことがない。ノアザミは世界で300種、その内100種が日本に分布し、花の色はピンク以外に白もあるというから、これもそうかなと思うが、このように真ん丸の花があるものかどうか。どうかご存知の方はお教えください。

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