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2012年6月24日 (日)

倭国の興亡126: [異説] 皇極・孝徳天皇の正体

 文定昌(百済史家)によれば、百済の武王の次女・宝公主が即位して皇極天皇になったという。「書記」舒明紀に本名が宝皇女であり、諡号の「天豊財重日足姫天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト)」の中にもタカラ(財=宝)が含まれること。又諡号に「天」の字が入っているのは外来の天皇であるとみなせる一方、百済系の舒明天皇の皇后になった点から推して、少なくとも彼女は百済系の王女(公主)に違いないとしている。
126_2  又「書記」皇極紀・元年条には百済から来た弔使の従者が言うには「……今年正月国主母薨 又弟王子児翹岐及び……」とあり、弟である王の息子の翹岐とし、皇極天皇に対し「百済の義慈王を弟の王」と称し、皇極天皇が義慈王の姉、即ち武王の娘と云っている。
 舒明天皇崩御のとき、次期天皇即位前に、義慈王は多数の近親や高官を倭国に送って、彼らが百済系の蘇我氏と協力して舒明天皇の皇后である宝皇女(宝公主)が次の天皇として推戴されるよう工作したものと思われる。即ち、王弟であり国務総理にあたる智積を日本に派遣し、多数の高官を送って、所期の目的を達したとされている。

 次いで孝徳天皇に移るが、「書記」は孝徳(軽皇子)は皇極とは師弟関係で、同母弟であるとしている。とすれば当然百済武王の王子である。諡も天萬豊日天皇(アメヨロズトヨヒメノスメラミコト)天豊財重日足姫天皇(読みは上記)であって、二度天皇になったことを意味する「重日」と、血縁を意味する「足」と、女性であることを表す「姫」を除けば、天萬豊と天豊財となり、何れも同じ意味の言葉となり、互いに姉弟関係に在ったと推定できる
 孝徳天皇に即位する前に倭国に渡った武王の王子は、「書記」孝徳紀6年条にある「塞城・忠勝」があるが、これを除けば皇極天皇即位直前に来日した大佐平(王に次ぐ官職)・智積しかいないから、彼が孝徳天皇に成り代ったとみなされる。
 孝徳天皇は新羅系だとする説もあるが、百済系が確かな中大兄皇子を東宮とした点と、倭国が新羅に対して人質を要求した点と、皇位継承においても何の紛争もなかった点から推して、「日本書紀」の記事通り孝徳天皇は皇極の同母弟、即ち百済武王の王子で義慈王の弟智積に違いないといえる。    

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