倭国の興亡115: 幻の百済大寺遺跡発見
639年舒明天皇は百済川のほとりに大宮と大寺の造営を命じ、宮には西国の民を、寺には東国の民を増員して進められた。この大寺が百済大寺であり、その塔は九重塔であった。空前の規模を誇る大寺院であったという。大宮は百済宮と言い、翌年に完成しここに遷っている。 1997年から始まった桜井市の発掘調査で思いがけない大寺院跡が発見された。農業用の吉備池のほとりで、吉備池廃寺と名付けられた。発掘により東側が金堂跡、西側が塔跡であると判った。金堂跡は東西約37m、南北約28mあり、塔跡は一辺約30mあって、いずれも飛鳥時代の寺院跡として最大であり、特に塔跡は群を抜いている。
また、出土した瓦は643年に金堂が建立された山田寺の瓦の祖型にあたっているので、年代はそれより若干古いとみられる。
吉備池廃寺は639年に造営が開始された百済大寺である可能性が極めて高く、飛鳥時代の寺院跡では他に例のない規模の塔跡は、屹立する九重塔のものに相応しいし、瓦から推定される年代も矛盾しない。
そうすと、吉備池の西を北西に流れる米川こそが百済川であろう。百済宮がこの川のほとりから発見されるのもそう遠くないであろう。
| 固定リンク
「古代史、邪馬台国」カテゴリの記事
- 倭国の興亡191: 終章・・・日本の誕生(2013.03.19)
- 倭国の興亡190:新王朝の成立・・・倭国の終焉(2013.03.15)
- 倭国の興亡189: 蝦夷の乱(2013.03.11)
- 倭国の興亡188: 最後の女帝と法王道鏡(2013.03.07)
- 倭国の興亡187: 恵美押勝の乱(2013.03.03)
コメント