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2012年4月22日 (日)

倭国の興亡111: 小墾田宮の造営と冠位十二階

 初の遣隋使派遣でカルチャーショックを受け、「蛮夷の国」呼ばわりされた倭王権は矢継早に諸制度の改革に着手した。
 先ず603年に、小墾田宮(オワリダノミヤ)が新たに造営され、遷った。推古16年紀によれば、後の朝堂院の原型になる平面構造だった。正面の正門(南門)を入ると庭(中央広場)がありその左右に庁(マツリゴトドノ)が並び、大臣・大夫・王子・諸臣等の座がある。その北(奥)中央に大門が開かれており、その奥には大王が出御する大殿がある。この様に左右対称の整然とした配置は小墾田宮が初めてだろう。
 当然新しい宮殿では、政務・儀礼の改革を伴なった。604年朝礼(朝廷の礼法)が改定され、礼儀作法全般にわたり新しく定められた。新しい宮殿での新しい成務・儀礼の相応しい新しい規範意識の形成が目的であったろう。
11112  又、603年には冠位十二階が制定された。これは『書記』には記載なく、『隋書』に記載があり、推古朝のものに間違いがない。冠位とは朝廷に出仕する官人の序列を定めた位階の制度で、徳・仁・礼・信・義・智の六つの儒教の徳目にそれぞれ大小を付けた十二階から構成された。それは儒教の礼の観念によって、国際的にも通用する新たな政治秩序を作り出す意図があった。
 この冠位十二階は聖徳太子の独創と思われたこともあるが、証拠はない。最近では朝鮮三国の官位の制度、特に高句麗と百済の冠位の影響を受け、馬子の関与もあったと推定されている。
 冠位には夫々色の異なる絁(粗い絹)で縫い作った冠が決まっていた。朝廷の恒例の儀式や臨時の即位式・外交儀礼のときは冠位に応じた冠をつけ中央の庭に整列した。冠は官人の序列の標識なのである。

 冠位は対外関係で重要な役目をし、中国、朝鮮諸国との外交の場では不可欠となり、蛮夷の国からの脱却の第一歩が踏み出された。但し、冠位の制として不完全でもあった。官人や畿内法族にも及んでいたが、王権の中枢を占める王族と大臣蘇我馬子の一族は冠位を授けられていない。即ちこの時点での蘇我氏は大王家の人々と同じく冠位の秩序を超越した存在であった。(蘇我氏=大王説を裏付けるものか?)

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