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2012年4月27日 (金)

倭国の興亡112: 十七条の憲法

 冠位十二階制定の翌604年には、十七条憲法が制定された。「書記」には「皇太子親(ミズカ)ら肇(ハジ)めて憲法十七条を作る」と記しており、聖徳太子が作ったとある。
 しかし、古くから偽作説があった。先ず、江戸時代、刈谷棭斎(考証学者)が太子作を否定している。又、津田左右吉氏は12条にある「国司(クニノミコトモチ)」という言葉が大化以降のものであること、国民を君・臣・民の3階層に分けているが、未だ氏族制度の時代でこの階層がなじまないこと、又中国古典の語が多く、奈良時代の文章に似ていることを理由に書記編纂段階(大化以降)での官人訓戒用に作ったものとの説を出している。
 一方で、太子一人の作か否かは別に、内容が推古朝の時代に相応しいとして太子説をとる人が多い。用語では、「書記」編纂時の言葉を用いたため、大化以前にはなかった用語を使用していると考えられている。
11217  十七条憲法は、君・臣・民の3階層のうち、「臣」即ち官人を対象にしたもので、臣が君の命令を受けて職務遂行し、民の支配にあたる際に守るべき規範を説いたものである。その背景は儒教思想を基礎とし、仏教思想も織り交ぜての部分もあるが官人として従うべき規範を説いている。
 一に曰、和を以て貴しとなし、忓(サカ)ふること無きを宗とせよ(略)
 二に曰、篤く三宝を敬
(ウヤマ)へ、三宝とは仏(ホトケ)、法(ノリ)、僧なり(略)
 三に曰、詔(ミコトノリ)を承りては必ず謹め(略)

といった調子で、(略)の部分で、各条判りやすく詳しい記述がなされている。上記三条などは当然すぎる内容であり、又八条では「郡卿百寮、早く朝(マイ)りて晏(オソ)く退でよ」(略)のような漠然とした規定もある。(図は岩崎本「日本書記」巻二十二国宝・11世紀の書写の17条憲法の部分))
 余りにも当然すぎるような内容の条文などがある事からも、官僚制の萌芽期に相応しいものであり、初めての成文法らしく、推古朝のものとみられるのだ。

 この憲法は倭王権が儒教・仏教を新しい国家建設に必要なイデオロギーとして重視し、その思想を政権運営の基礎としたことがよく伺える。

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