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2012年3月18日 (日)

倭国の興亡103: 初の伽藍ー飛鳥寺建立

 崇仏論争を制し、仏教興隆期を迎えた蘇我馬子は倭国初の寺院を建立する。
 588年、倭国の要請に応え、百済から仏舎利・僧侶と共に寺工・鑢盤博士・瓦博士・画工などが来朝した。場所は飛鳥真神原を寺地と決め、飛鳥寺造営事業がスタート。
103_2   590年建築用材の伐採が始まり、592年金堂と回廊の建築に着工。593年百済から来た仏舎利を塔の心礎に納め、心柱を建て、塔の建設が始まる。596年塔が完成。606年鞍作鳥が作った一丈六尺の金銅釈迦如来像(現在の飛鳥大仏)(の写真)が金堂に安置された。この頃、飛鳥寺が完成
 1956年から翌年にかけての寺跡発掘で驚かされたのは、伽藍配置が一塔三金堂形式(塔の東西と前方に配置)で、これは高句麗以外にないので、高句麗の影響を受けた証である。595年高句麗僧・恵慈が渡来し、翌年百済僧・恵聡と共に飛鳥寺に住し、「三宝の棟梁」となっている。
 瓦は我が国の寺院建築には初めての使用であり、百済の瓦とよく似たものが使われ、百済の技術指導をよく物語っている。
103_3  塔の発掘調査で、地下3mの所から地下式の心礎が発見された。心礎には仏舎利を安置する舎利孔が穿たれていた。また、心礎の上方から木箱が発見され、593年に舎利を入れた金銅製の小容器が入っていた。心礎の上面からは、翡翠や瑪瑙の勾玉、管玉、水晶の切子玉、ガラス玉、金環、金銀の延板、他金銅製の馬具類など(下の写真)が1750点余りが出土した。

 初期仏教でが重んじられたのは飛鳥寺以前からである。当時、塔は伽藍の中でも特別な施設で、古墳の埋葬施設にも通じる意味を持っていたと考えられる。それは死者の供養であろう。寺塔は元々釈迦の遺骨(仏舎利)を納め、供養する施設で、高く屹立する寺塔は祖霊の依り代とも観念されたであろう。
 こうして、首長層の祖霊崇拝は、氏寺の中心を占める寺塔へと引き継がれて行った

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