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2012年2月18日 (土)

倭国の興亡96: 倭王権、地方支配を強化

 九州王権・磐井を破り列島のほぼ全域に支配が及ぶようになると、王権はさらなる強化・拡充をめざし、諸制度を改革、整備していった。その背後には大豪族大伴氏と対抗し、行政機構を整え、渡来技術集団と親密な関係を保持した蘇我氏が大きな勢力を持ち始め、政権内部で台頭してきたことが大きな原動力となった。
86  まず始めに、国造による地方支配の強化。従来、在地支配は豪族が行っていた。ところが5世紀から導入された国造(クニノミヤッコ)倭王権のツカサ(官)であり、クニの領域内を定められた枠内で支配する存在となり、一族の子弟を伴(トモ)として出仕させた。国造は倭王権の地方官であり、徴税、徭役労働、兵役など王権のニーズが主務となった。勿論国造は在地支配に必要な行政権・裁判権・軍事権・祭祀権をもって、王権の地方支配を行ったわけである。(は近畿地方の国造・屯倉の分布図)
 次に屯倉(ミヤケ)。これは、朝廷の直轄領を言うが、元々はコメ収納の倉を中心に、田地や耕作民が付属したもので、地方豪族や朝廷からの官人によって経営され、倭王権の経済基盤となった。
96  屯倉は「官家」の文字が使われる場合は国造などの領内における政治的・軍事的拠点としての機能を併せ持った場合が多かった。536年、筑紫に設置された那津官家は、大宰府の前身にあたる施設で、政治的、軍事的拠点の代表的ミヤケだった。他に製塩・鉱山・漁撈を目的のミヤケもあった。(は那津(福岡)官家倉庫群跡)
 最後に部とカキとは大王・王妃・王族・氏族に隷属し生産物の貢納や労役の奉仕を行った集団のことである。部民はすべて王権に帰属した公的な「王民」であると同時に王族氏族の私的に領有する隷属民でもあり、カキ(民、民部、部曲などと記す)とも呼ばれた。

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