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2012年1月 7日 (土)

倭国の興亡86: 継体の大王即位と群臣

 継体天皇は雄略との血統の継続はなく明らかに断絶と云わざるを得ないが、皇統としては雄略朝を継承し、その基盤を強化していったといえる。
 その中で、継体・欽明朝は大王の即位式の整備、中央ではウジの制度、地方では国造や屯倉の制度(地方長官(豪族)と地方政庁・穀倉)、そして包括的な支配体制として部民(ベノタミ)などが形成されていった。(図は近畿地方の国造・屯倉の分布図
86_2  大王即位式は奈良時代以降とはかなり異なったものであった。当時の即位式の次第は次のようであったという。
①群臣がレガリア(王位の象徴:当時は鏡と剣の2種)を新大王に献上する。
②即位式の場に壇を設け、新大王が昇って即位する。
③壇の場所を宮に定める。
④大臣・大連・臣・連・伴造などを任命する

 これらは奈良時代とすべて異なっており群臣による推挙の意味がある。即ち、治天下大王は群臣の推戴を受けなければ、正統性がなかった。実際に継体天皇の擁立には大伴金村が群臣の賛同を得て越に迎えに行ったという。
 即ち大王が自分の意志で後継者を決められなかった。まだ攘夷の慣行がなく、いったん即位すれば、終身大王であった。奈良時代には譲位が一般化して、王権の主体性も強くなったが、この時期には君臣関係が新たな大王のたびに構築されたのである。

 ②は即位式の中心的儀礼である。大王は「事依(ヨ)させ」という神々から地上の支配を付託される必要があった。これは天上の神々の子孫である大王家・天皇家にのみ下された。中国皇帝の基準が「徳」であるのに対し、大王・天皇は血縁だった。だから、代替わり毎に天つ神からの統治権付託を受ける必要があった。
 歴代遷宮で、大王の代替わりごとに新宮を営んだ。
 このように、大王即位式は天つ神と大王の関係、大王と群臣の関係を新たに構築しなおすという儀礼的な意味を持っていた。これにより地位の正当化が行われ、王権は一段と伸長したが、まだ群臣の推戴と神からの統治権付与を必要としていた

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