« 海を越える蝶・アサギマダラ | トップページ | 熟れた柑橘 »

2012年1月16日 (月)

倭国の興亡88: 倭国を巻き込む半島三国の争乱

 5世紀~6世紀前半島は高句麗、百済、新羅が三つ巴の戦いをし、伽耶地域を足掛かりに深く関わっていた倭国の半島政策は挫折の危機に直面する。
 5世紀後半、半島に対し倭国は軍事的に優位な立場にあったことが、国内の王権強化・確立の大きな要因となった。しかし、6世紀に入ると特筆すべきは新羅の躍進である。法興王(在位514-540)は国家組織を整え国際舞台に復帰。520年、官位制中心の律令制を発布。521年、中国南朝の梁に朝貢。次の真興王(在位540-576)は新羅領土を飛躍的に拡大。552年、高句麗・百済両国の戦闘中に百済が高句麗から奪回した漢城(ソウル)を奪取。西海岸までの領土拡大に成功。この新羅の国威の高揚は、伽耶に深い関わりの倭国に大きな影響を及ぼす。
88  一方、
475年に都を熊津(ユウシン)に移した百済は、6世紀には武寧王(在位501-523)、聖明王(在位523-554)代に、王都は大いに繁栄する。
 この時期、百済は新羅と共同で北の高句麗に立ち向かう。倭国とも提携を深め、479年百済の文斤王が死ぬと、雄略天皇は倭国に来ていた(人質)昆支王(蓋鹵王の弟)の次男
未多王に武器を授け、兵士500人に護衛させ百済に送った。これが後の東城王であると書記にある。鵜のみ出来ないが、両王権の親密さは伺える。
 東城王の後、
武寧王が即位し、中国南朝文化の摂取に努めた。この先進文化が、軍事的援助と引き換えに倭国に供与され、政治的にも重要な役割を果たした。
 尚、武寧王時代に西南端の馬韓地域、その東方の伽耶への進出をはかる。未だ小国の群生する地域であったが、倭国とも連携しながら領域に取り込み始める。これは
伽耶諸国に大きな脅威を与え、戦闘にも発展した。

 武寧王に次いで聖明王が即位する。聖明王の百済は激動期の頂点であり、王も非業の最期を遂げる。538年聖明王は泗沘に遷都し体制を固め、圧迫を受け続けてきた高句麗に対して打って出た。551年旧都漢城を奪回したが、552年新羅に漢城一帯を横取りされる554年、反百済を鮮明にした新羅にたいし、聖明王は自ら軍を率いて新羅・官山城(忠清北道沃川)を攻撃するが戦死する。聖明王は倭国に仏教を伝えた王でもあった。

|

« 海を越える蝶・アサギマダラ | トップページ | 熟れた柑橘 »

古代史、邪馬台国」カテゴリの記事

コメント

まさに激動の時代ですね。
こんなに詳しく歴史が解析されていることにも驚きです。

ところで今日の朝日新聞にも、古文書を解析することで1000年以上も前の震災の状況を把握して復興に向けた取り組みの手がかりにするというような記事が掲載されていました。
歴史に学ぶことはとても大事なことですね・・・・。

投稿: Y | 2012年1月16日 (月) 12時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/53749432

この記事へのトラックバック一覧です: 倭国の興亡88: 倭国を巻き込む半島三国の争乱:

« 海を越える蝶・アサギマダラ | トップページ | 熟れた柑橘 »