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2011年12月17日 (土)

倭国の興亡81: 大王(雄略)の基盤固め

 雄略朝のもう一つの重要施策が在来の有力豪族の排除である。即ち、5世紀に大きな勢力を誇った葛城氏と吉備氏を相次いで没落に追い込んだことである。
 5世紀の王位継承争いでは、まず眉輪(マヨワ)の変がある。雄略の兄・安康天皇は即位後、弟雄略の縁談話のこじれから、大草香皇子を殺害し、その妻の中帯姫を自分の妻にしてしまう。連れ子の眉輪王は後に父が殺されたことを知り、安康の寝首を掻く。そこで、雄略は眉輪王を捕まえて殺そうとするが、眉輪王は有力者である葛城円大臣(ツブラノオオオミ)の宅に逃げ込む。雄略は円大臣の家を軍兵で包囲する。進退窮まった円大臣は娘の韓媛と葛城の屯宅を献上し、贖罪を請うが許されず、家に火を放たれ焼死する。5世紀代倭王家の外戚となって大きな勢力をふるった葛城氏も、雄略にあっけなく滅ぼされた。しかし、まだ、葛城の血を引く市辺押磐皇子がいたので、狩りに誘い出だまし討ちした。
Photo  また、地方豪族ながら大勢力を誇っていたのが吉備氏である。造山古墳(左図)や作山古墳など造営した吉備の屈指の豪族である。
 吉備氏は東部の上道(カミツミチ)と西部の下道(シモツミチ)氏の連合体である。下道臣前津屋が天皇を呪詛していたのが発覚し物部氏に滅ぼされ、上道臣田狭が妻の稚媛を雄略に奪われ、任那国司に任じられたことを恨んで、百済に依って反乱を企てたが失敗した。これら一連の反乱により吉備氏の勢力は大きく削減される。

 この葛城・吉備両氏の没落は次の3点で大きな意味を持つ
1.二大勢力が没落し、従前の倭王より大王としての権力は強化された。
2.大きな土地を有する土豪型の氏族の終焉であり、大伴・物部・蘇我氏のような新しい支配機構に密着した、部を重要な経済基盤とする氏族が王権の中枢を占めた。
3.吉備氏の没落は、後の筑紫の磐井の乱鎮圧と相まって、ヤマトに比肩する地方豪族が消えヤマト王権の優位を決定づけた
 このように、ワカタケル大王(雄略)の時代、国冊封体制からの離脱、治天下大王号の成立、渡来人の第二波、旧豪族の没落等により、古代国家は次の段階へと進む

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