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2011年12月 7日 (水)

倭国の興亡79: 倭王権の支配領域の拡大

 倭王権はワカタケル大王(雄略天皇)のとき、宋王朝の皇帝に対する上表文において、東の毛人(蝦夷)55国、西の衆夷(熊襲・隼人)66国、海北(朝鮮半島)95国を平らぐるとしている。列島内の異民族と表現し、半島の人々も百済を「辺隷」(辺境の属国)として異民族視している。即ち、半島をも含めて異民族をも包摂した世界の王という王権思想が形成されている。倭国的中華思想と表現されている。
 これは、4~5世紀に、半島諸国との外交で、軍事力を背景に主導権を握ることがあり、窮地に陥った百済や新羅から人質(王族)をとり、それを武器に王位継承に介入することもあった。それで、半島諸国をも傘下に置いた小世界の盟主との意識が形成されたとみられる。
79  国内的には5世紀後半には前方後円墳が最も広がる時期である(図参照)。東北最大の宮城・雷神山古墳(墳丘長168m)のほか、東北にも古墳時代前期の大型古墳が少なくない。また、南限は鹿児島・志布志湾の唐仁大塚古墳は墳丘長150mを誇る大古墳である。(図は年代による古墳の消長を示す)
 唯、中期には畿内や吉備や上毛野など倭王権の中枢を占めていた勢力の拠点では古墳が巨大化するが、多くの地域では逆に規模は縮小する。これは、倭王権への依存度が拡大した結果、権力規模の象徴たる墳墓を巨大化する必要がなくなったことを表している。それだけ、倭王権の列島各地に対する政治的・文化的影響力がたかまり、王権と地域勢力の格差が広がったのである。

 こうした倭王権の強化が、半島における外交関係の主導性と相まって、倭王に「天下的」世界を構想させ、「治天下大王」の称号を生み出した。一方、中国冊封体制からの離脱は、自立への道を決意させ、列島の王に独自の権威(大王の神聖化)を付与する儀礼の整備が進むことになる。

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