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2011年12月12日 (月)

倭国の興亡80: 雄略朝、百済との関係緊密化

 雄略朝の施策で2番目に顕著なのが、中国冊封体制からの離脱後の半島への積極的な介入策である。400年前後の第一次大量渡来人以降の到達点が雄略朝で、伽耶地域からの渡来人とその先進技術・文物を独占掌握した倭王権は、それをテコに列島支配を強化した。

 この間、倭国が最も緊密な関係にあった。伽耶地方の勢力にも大きな変化が起こった。5世紀前半まで、須恵器・馬具・甲冑など渡来系文物をもたらした金海・釜山地域を中心にした勢力も金官国の衰退により、代って北の大伽耶(伴跛(ハヘ)国。慶尚北道高霊(コリヨン))が有力となる。470年にはこの大伽耶を中心に伽耶北部から西部の諸国が連盟を結成した。そこで、倭国の交流も大伽耶圏に中心が移った。図は5世紀末~6世紀初頭の半島動乱。百済と新羅は倭国に対し、敵対と臣従の2面外交を繰り返す。
80  このような動向とも関連し、百済との関係が強くなってくる475年、百済は都・漢城を高句麗に攻め落とされ、蓋鹵(ガイロ)王をはじめ、王妃・王子たちが殺害された。王族・遺臣たちは倭国の援助受けて熊津(ユウシン)に新都を置きかろうじて国を興した。
 5世紀後半の半島の戦乱は列島にも大きな影響を及ぼした。雄略朝前後には今来漢人(イマキノアヤヒト)と呼ばれた百済系の渡来人が多数来朝した。第二次の渡来人で、先進技術をもたらし、また王権の政治機構に渡来人が組み込まれた。彼らは陶部(スエツクリ)・鞍部(クラツクリ)・画部・錦部・訳語などのトモに編成され一次渡来の東漢(ヤマトノアヤ)氏の管轄下に置かれた。
 これがきっかけとなって、伴造(トモノミヤッコ)ートモ・部制に再編されて行く。(トモ:官に仕える人、官人)
 こうして5世紀後半代の半島での動乱が列島にも波及し、列島は新しい歴史のステップに入ってゆく。これ以降百済との関係が重要になってゆく。上図参照。

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