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2011年11月 7日 (月)

倭国の興亡72: 倭五王の朝貢・冊封要請

 倭の五王は「宋書」「梁書」に「讃(賛)、珍(彌)、済、興、武;( )内は梁書」と記されている。夫々がどの天皇に該当するか、種々異論もあるが、大方は、讃=応神(14代)、珍=仁徳(15代)、済=允恭(19代)、興=安康(20代)、武=雄略(21代)と見ている。
 これらの王が中国に朝貢したのは宋書などによれば以下の通りである。
421年倭王讃朝貢し叙爵される。425年曹達を遣わし国書・進物献上。430年讃の遣使朝貢。
438年倭王珍遣使朝貢し、自ら「使時節・都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王」と称し、叙正(正式な任命)を求めるが、安東将軍・倭国王に任じられる。
443年倭王済遣使朝貢し、安東将軍・倭国王を授かる。451年安東将軍に使時節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事を加えらる。
462年:倭国王の世子を安東将軍とする。
477年倭国王(武か)、遣使朝貢する。
478年倭王武、自ら「使時節・都督倭・百済・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭国王」と称し、遣使して上表。百済を除かれ、六国諸軍事・安東大将軍・倭国王に任じられる。
 六国の中の秦韓・慕韓は辰韓と馬韓のこと。何れも「倭国王」とあり、倭国内の民生権・軍政権の保有を示す。そして、六国諸軍事とあるは、半島の六国の軍政権の公認を示すが、実質は単なる称号である。又百済は416年以来、南朝から代々単独で都督百済諸軍事の称号を授与されている。
Photo_3   将軍号の高位順は、安東将軍を含む四安将軍(東西南北)と四鎮将軍、四征将軍、車騎将軍の順で高く、又安東大将軍を含む四安東大将軍と同鎮、征、車騎大将軍の順に高くなる。故に、百済王の鎮東大将軍に比べると倭王の安東将軍や安東大将軍は格落ちである。高句麗・百済に比べ倭国が新参者だったこともあるが、倭国に対する評価は高句麗・百済ほど高くなかった。しかし、倭王の狙いは高句麗以外の半島全域の盟主としての地位を望んだのではないかとの説もある。尚、倭王は未だ政権内部では連合政権の盟主という位置に留まっていた

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