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2011年11月 2日 (水)

倭国の興亡71: 中国に冊封された倭の五王

 4世紀から世紀にかけて、倭王権は半島ルートの掌握をテコに発展した。同盟を結んだ百済は372年に中国・東晋に朝貢し、420年に宋が建国されるとすぐに叙爵(ジョシャク)された。倭国はその翌年初めて宋に遣使した。413年に倭国の使者が高句麗と共に東晋に入朝した記録もある。そうすると266年の邪馬台国以来、1世紀半ぶりの朝貢である。こうして5世紀には大陸ルートが復活し、倭王は宋に朝貢し「官爵」を授かった。

 官爵とは官と爵からなる称号で、安東将軍(官)・倭国王(爵)の如きであり、官爵を授かる事を「冊封」という。本来、皇帝が臣下に爵位と采邑(領地)賜与したことから、後に周辺諸国の君主たちとの外交に適用し、皇帝が彼らに冊書(叙任辞令)によって官爵を授与し、それで、皇帝と君主の間に君臣関係を設定したのである。
 中国には、中華思想による王化思想が存在し、朝貢してくる夷荻は皇帝の徳を慕って来たとみなされた。周辺諸国の王も冊封を受ければ王としての地位を中国に承認されたことになり、外交上大きな意味を持った。

71  421年以来、讃・珍・済・興・武の5人の倭国の王が、継続して宋に朝貢し「官爵」を授かった。これが所謂「倭の五王」である。尚、479年に南斉が倭王武を鎮東大将軍に任じ、502年に梁(リョウ)が同じく武を征東大将軍に進号しているが、これらはいずれも新王朝樹立に伴う祝賀的な官爵の授与で、武が朝貢して授かったわけではない。
 倭王武の遣使は478年が最後となった。即ち5世紀「倭の5王の世紀」ということになる。記紀によるこの時期の大王の系譜は上図の通りである。
 倭の五王と、記紀に出てくる大王との関係はどうなのか。幕末には熊襲偽僭説が出たり、古田氏の「九州王朝説」では九州の豪族とみなされたりされるが、この時代に中国の冊封した倭(ヤマト)王権が大和王権であるかどうかは未だ不明とも言える。

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