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2011年11月11日 (金)

倭国の興亡73: 倭王武の上表文の狙い

73  「宋書」による倭王の中国への朝貢は最後の5番目の武王で終わる。478年倭王武は従来の朝貢とは異なり、宋王朝に対し『上表文』を提出していること、又倭王の臣下に対する官爵は要求していない。(図は宋書倭国伝
 まず、上表文。堂々たる駢儷体の漢文で書かれた上表文は全体が4つの部分からなっている。上表の目的は高句麗にも対抗できる、極東アジヤの支配権を有する官爵を得ることであり、前段部分はその理由づけとなっている。
第1段倭国の統一・征服戦争:征服戦争に明け暮れ、東方毛人を征すること55ヶ国、西の方衆夷を服すること66ヶ国、渡りて海北(半島)を平らぐこと95ヶ国。是より陛下の天下かは太平となり、支配が遠くまで及んでいます。
第2段高句麗の無道:王位についている自分は統べるところを駆率し、天極に帰崇し(部下を率いて陛下に帰順し)、百済経由で朝貢しようとしています。ところがそれを高句麗が百済を攻撃し、邪魔をします。それで朝貢も滞ります。
第3段高句麗征討が悲願:亡き父(済)は百万の兵で仇敵高句麗を討とうとしたが、突然兄(興)も相次いでなくなった。
第4段高句麗征討の決意表明官爵の要求:ようやく喪も明け、軍備を整え父、兄の意志を継ぐ。強敵を打ち破り国難を乗り越えて、陛下に朝貢し、忠節を尽くすので、「開府儀同三司」とその他の官号も仮授ください。
 と述べている。開府儀同三司とは府(=官庁)を開設できる名誉的官号だが、諸国王では4名しかおらず、そのうちの一人が高句麗・高璉だった。従って対抗勢力となるべく官号授与を願ったのである。

 しかし、倭王武の努力もむなしく、中国にとっては左程倭国重視をしなくてもよい環境にあり、「安東大将軍」は認めたものの、開府儀同三司の称号要求は容れられなかった。ところが、倭王武もこの時期には既に独自の権威が備わり、国内では「治天下大王」の称号を用い始めていた時期である。即ち「天下を治める大王」として、近畿政権は九州から東は関東までを安定支配下に置き、中国王朝の権威は不必要になり始めていたのである。従って、中国の冊封体制から離脱し、独自の「天下大王」の道を歩み始めるのである。

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