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2011年10月23日 (日)

倭国の興亡69: 初期の大王・応神天皇の出現

 応神実在した初期の大王と言われる。即ち半島出自で半島とも近しい関係の狗奴国を率いて、邪馬台国を滅ぼし、九州倭国王となって、日本海を北上。ヤマト前王朝の遺児・香坂、忍熊王子を滅ぼし、敦賀から近江を経由して半島渡来氏族を従えて大倭(ヤマト)王朝を樹立。新王朝を創始した大王である。(因みに神話時代神武、ヤマト王崇神、そして大倭王応神の夫々新王統初代天皇のみに冠する「神」がついている)。
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応神の事蹟は何と言っても列島の統一国家「大倭」を作り、半島との近しい実績を以て鉄資源を確保し、中国から半島を含めた「安東大将軍」の称号を受け、半島から多くのヒトと共に新しい技術、文化を導入し国家の建設を軌道に載せたことであろう。以下応神天皇事蹟を箇条書きしてみる。
.王権の象徴である前方後円墳は
世紀に入り、応神、仁徳陵は最大級のものとなり、天皇の権威は古墳に象徴され、他の豪族を圧した
.4世紀古墳は竪穴式石室だったが、5世紀になると横穴式石室が作られる。横穴式は大陸では早くから発達しており半島からの渡来の影響があった。
.4世紀古墳に多かった三角縁神獣鏡が減少し、馬具や馬の埴輪が出土するようになる。百済王から阿直岐につけて良馬二匹が贈られた。
.上記阿直岐は皇太子の儒学の師となり、また阿直岐の推薦で百済から王仁(ワニ)論語、千字文を持ってきた。応神朝にはまた弓月の君が配下百二十県の人々を連れ来朝する。後の秦氏の祖先である。秦氏は織物の生産に携わる。又、東漢氏(ヤマトノアヤウジ)の祖先となる阿知の使臣(アチノオミ)も子の都加の使臣(トカノオミ)と共に十七県の人々を率いて来朝する。
.半島からの渡来人は池や堤を作り、古墳の築造や堤の築造などには新しい外来の技術が導入された。書記に天皇のが武内宿祢に命じて、韓人を率いて池を造らせたとある。武内の子孫の蘇我氏は渡来系氏族と密接な関係を持ち、或いは支配し富を蓄積した。
5世紀には岡山県の造山古墳(墳丘全長350m全国4位の前方後円墳)や作山古墳(墳丘長270m同12位)、宮崎県の女狭穂塚古墳など巨大古墳が作られた。何れも応神や仁徳の妃の出身地であり、巨大古墳の分布は記紀伝承と合致する。

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