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2011年10月19日 (水)

倭国の興亡68: 神功皇后は実在した

 神功皇后は卑弥呼に比定されることが多い一方、実存しない虚構とする人も多い。多くの事蹟を持ちながら何故女帝でなかったのか、又記紀の仲哀との婚姻関係、応神との親子関係記述が、明らかに作為的な皇統作成のため無理を重ねている。
Photo  その中で、歴史家・安本美典氏「実在説」を次のように説いている。
神功皇后の新羅遠征は、「古事記」「日本書紀」「風土記」「万葉集」など奈良時代文献が挙って記し、又「続日本記」「古語拾遺」「新選姓氏録」など平安以降の諸文献も昔あった事実とした書き方をしている。また、九州を中心とする諸社の縁起、各地の地誌或いは伝説で神功皇后に結びつけたものは多い。
 宇佐神宮や香椎廟の伝えなどが示すように、古くから多くの民間伝承もある。(写真は神功皇后の木像)
.中国の「宋書」で、倭王武が「・・・・・六国諸軍事安東大将軍・倭国王」の爵号を受けたのは、その数代前に神功・応神の頃半島への征討があったとしてこそ極めて自然である。半島への軍事的進出は広開土王碑や朝鮮「三国史記」も記しており、中国、朝鮮、日本の文献がそろって記している。
.神功皇后の物語そのものが天皇や大和朝廷の権威を高めるには少しも役立たないから、そのための虚構でもない。
.天皇や大和朝廷の権威を高めるためなら英明な天皇像を描くべきなのに、記紀ではやや愚図な仲哀天皇を神功皇后が叱咤激励するという図式である。
.神功皇后に神懸りした神が仲哀に言ったことに対し、仲哀が否定したために神の怒りを買い、息途絶えてしまう。むしろ天皇の権威失墜の話である。
.神功皇后の出自は、天皇家との血縁は薄い。然るに、神功は天皇家の血筋の香坂、忍熊王子を滅ぼし、自分の子の品陀和気命(ホンダワケノミコト)(応神)を天皇の位につける。
.古事記の「応神天皇記」で神功の母、葛城の高額比売は「新羅国王の子」の天の日矛の5世の孫、即ち神功には敵国の王室の血が混じっているとしている。新羅を蕃国(野蛮なクニ)としており、記紀も新羅を尊敬すべき国としていない。

 以上、神功の朝鮮出兵を架空の話とする例は多いが、内外の諸文献は一致して倭の朝鮮進出を伝えており、考古学的事実もそれを支持している

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