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2011年9月 5日 (月)

倭国の興亡57: 東アジア情勢と王権の伸長

 4世紀中頃、前方後円墳体制と王権祭祀が浸透し、王権を伸長させたが、王国が誕生する切り札は鉄と武器であった。『魏志』倭人伝に、3世紀以来、倭が盛んに半島の弁韓、辰韓の鉄の確保に動いていたことが記されており、4世紀中頃、鉄素材や鉄製品と共に鍛冶遺構の増加は大型前方後円墳の分布と重なる。古墳から出土する鉄の小札や鉄の甲冑は新羅や伽耶からのもので、倭での鉄生産はなく、鉄素材入手手段を掌握することが王権伸長の必須課題であった。
  半島4世紀になると高句麗が侵入し、313年楽浪郡と帯方郡は滅亡した。そして、馬韓、辰韓からは百済と新羅が建国し、中国王朝の衰退が、半島に独自の王国形成を促したのである。

 一方266年台与の後の男王が西晋へ入貢して以来、421年に倭王讃が宋に入貢するまで150年に亘って、倭国王の朝貢は途絶えた。この間の半島情勢は倭国にとっても、独自の王国形成ができる時代にもなった。西晋の後ろ盾を失った倭王権は、新たな権威と体制固めの模索、構築が使命となった
 こうして、倭王権は三国鼎立の半島情勢に積極的に介入を始める。4世紀後半には、高句麗の南下政策の中、倭国が半島を侵攻したり、百済や新羅に入貢を求めるようになる(書記・三国史記)。369年百済は倭と連合し新羅を破り高句麗を撃退している。百済は倭と親交を保つべく七氏刀を献じてきた(詳細は後述)。又、高句麗の「公開土王碑」や半島南部の倭製文物の出土も倭の半島侵攻を物語る資料である。

Photo  大王墓の佐紀への移動は王権の帝国的な台頭と、その実現のための鉄素材と技術の掌握を睨んだ近畿北部重視の施策深く関係している。佐紀大王家がいせきの息長氏や和珥氏はもともと渡来系の集団であり、半島外交や鉄加工技術の卓抜したノウハウを持っていた。近畿北部に初めて前方後円墳が築造されたのは4世紀前葉であるが、中頃から後半にかけては大王墓に準ずる規模の前方後円墳が次々と築造された(蛭子山古墳、網野銚子山古墳、竹野神明山古墳)。彼らこそヤマト政権の新パートナーになりえた王たちであった。

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