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2011年9月21日 (水)

倭国の興亡61: [異説] 神功の貴国(基肆)建国

 神功息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト))は多羅伽耶(半島南部)の王族の姫であり、渡来して369年に大善寺(佐賀の基肆)に宮殿を完成させ、北部九州に新しい政権を確立した。日本書紀には下記のようにある。
 『甲子の7月、百済人、久氐・弥州流・莫古の3人、我が国に至りて曰く、「百済の王、東の方に日本の貴国あること聞きて、臣等を遣わして、その貴国の朝でしむ。故、道路を求めて、斯の土に到りぬ。・・・・・」といふ』(神功紀456年)。この貴国は基肆国であり、364年に既に存在した(佃収氏説)。
Photo  この頃、タラシ系政権の本拠地豊の国(北九州)であり、初代天皇景行は近江の志賀に3年居し、高穴穂宮に崩ず。というが、これは九州の淡海(アフミ)の国の大津と考えられる。2代成務も同じ場所で天下を治め、崩じたと考えられる。3代目仲哀は橿日で崩じ、4代目神功は熊襲征伐後に、貴国(基肆国)統治にあたっては、武内宿祢、斯摩宿祢、葛城襲津彦を起用した。

 神功は382年に新羅討伐で渡海したことになっているが、神功摂政紀には、『貴国、沙至跪(サチヒコ)を遣わして討たしむ』とあり、葛城襲津彦を新羅討伐に遣わし、加羅諸国を平定させたとみられる。
 これ以降は、武内宿祢が一時筑紫の天下を牛耳ったようだ。応神紀9年「武内宿祢、常に天下を望ふ情あり。今聞く、筑紫にありて、秘かに謀りて曰ふならく、『独筑紫を裂きて、三韓を招きて朝(シタガ)はしめて、遂に天下を有(タモ)たしむ』というなり」とある。
 このように讒訴したのは、半島南部に勢力のあった沸流百済宗家(倭を含む伽耶諸国を統治)の王でないかとの説がある。それは神功摂政紀49年(369年)「天皇、大きに怒りたまひて、即ち木羅斤資を遣わして、兵衆を領ゐて加羅に来集ひて、その社稷を服したまふといふ」とあり、葛城襲津彦を新羅討伐に遣わしたのに、加羅諸国を滅ぼしたので、天皇が木羅斤資(百済の将軍)を遣わして、加羅諸国の秩序を復したというである。これが出来るのは南韓の沸流百済王(倭を含む伽耶諸国の王)しかいないからである。
 伽耶から渡った神功が勝手に貴国を建て、配下の武内宿祢に任せたことに我慢がならず、沸流王家(代々在韓の倭人と見られる)は、彼らを貴国から追放し、当主自らが渡来し、貴国に居座ったという。

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