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2011年8月 7日 (日)

倭国の興亡51: 三国時代の始りと発展(2):新羅と伽耶諸国

 新羅:辰韓12ヶ国の一つ慶州の斯盧国紀元1世紀後葉に周辺諸小国と連盟体国家を形成した。建国神話では初代王位に朴赫居世が就いた。三国で最も遅い建国だが、他の集権国家が発展させた諸制度を受容した。
 3代儒理王24-57年)代には中央官制を作り、地方行政区域も整備しつつあった。征服戦争も順調に進み、4代(昔氏)脱解王(倭系人とされている)(80-112年)代に周辺諸国を征服した。
 この征服戦争が一段落した後、4世紀の17代(金氏)奈勿王(356-402年)代には洛東江流域まで領土を拡大し、集権的な国家体制を整えた。この時から朴・昔(ソク)・金三姓氏交代制に代わり、金氏の王位独占世襲制が確立した。

51  伽耶諸国:伽耶は4世紀頃、弁韓12国が母胎となって成立した。領域は現在の慶尚南道・北道に当たり洛東江の中・下流域西岸が本貫であった。
 すでに3世紀頃、この地域には狗邪韓国弁辰狗邪国といった韓族の小さな部族国家が成長していた。それが金官伽耶国大伽耶国となって発展した。
 『書記』では伽耶諸国を任那と汎称するが、韓国史書は伽耶または加羅とする。六伽耶、加羅七国と言われる日本の郡ほどの大きさの諸小国が金官国などを盟主に連盟体を形成したが、ついに集権国家とはならなかった
 しかし、伽耶は百済と新羅のはざまにあって、合従連衡を繰り返しながら、時には半島勢力圏の動向を左右する存在であった。そして、伽耶は百済・新羅両国から文化を吸収消化して、独自の高い文化を生み出した。それは最新の文物・知識として漢(アヤ)氏(百済・伽耶系)や秦氏(新羅・伽耶系)などの渡来人によって倭国に伝えられ、大きな影響を与えた。北部九州の5世紀の伽耶系文物はヤマト政権を介在せず、伽耶系海人種により直接の交易でもたらされたことを物語っている。

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