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2011年8月 3日 (水)

倭国の興亡50: 三国時代の始まりと発展(1)高句麗と百済

 三韓時代の相互間ほ不均等発展を背景に紀元1~4世紀にかけて、高句麗、百済、新羅の古代国家が形成された。
 高句麗:鴨緑江中流域、佟佳江流域に前1世紀には連盟体的な国家があり、中国、近隣諸国の攻伐を通じ紀元前後~1世紀には古代集権国家を形成した。
Photo_2  神話(三国史記)では朱蒙(東明王)が始祖であり、「高」が姓で、句麗が国名である。第6代太祖王(53-146年)代には沃祖を服属させ、咸興地方を確保し、遼東への進出を図り、7代次大王、8代新大王に引き継がれた。9代故国川王のとき、王位継承が兄弟相続から父子相続に変り、中央集権的な官僚体制が整備された。10代山上王は198年集安に丸都城を築く
 以後、東川王、美川王、故国原王と継続して中国及び百済との勢力競争を通じて対外的な体制維持を図り、丸都城移った。また、17代小獣林王(371-384年在位)のときには仏教の受入、大学の設立、律令の公布をし、対外的な変化に対応した。
 そして、19代公開土王時代、西の後燕を撃破し、東北の粛慎を服属させ満州を占め、百済を征伐し、又倭の侵入を受けた新羅を助けて、倭軍を撃破した。20代長寿王のとき、427年王都を平壌に定め唐に滅ぼされるまで栄えた。 

 百済:漢江流域の伯済国は、紀元前後には近隣諸国を併せて連盟体的国家を形成した。この国の建国も扶余・高句麗系とされ、「三国史記」によれば、高句麗始祖の朱蒙の子の温祚が南方に下り河南慰礼城に都邑を定め建国した。温祚王(BC18-AD28)のとき漢江流域を中心に領域を拡大し、靺鞨を撃破し、馬韓を攻撃し滅亡させた。漢郡県や近隣諸国との抗争を通じて3世紀中葉には集権的な国家を建てた。8代古爾王(234-286年在位)のときには官制(法令)を作り、4世紀後半には13代近肖古王(346-375年在位)のとき国土を拡張し、南は馬韓の残りを討ち北は高句麗故国原王を戦死させた。この時父子相続による王位継承を定め、博士高興に国史「書記」を編纂させた。対外的拡大に対応する内部体制の整備だった。15代枕流王(384-385年在位)のとき、東晋から仏教を受け入れているのもその一環だった。

 

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