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2011年8月24日 (水)

倭国の興亡54: 古墳時代への変遷

 大和・三輪山と巻向山に囲まれた巨大都市、纏向の出現古代ヤマト王権(崇神天皇より始まる日本最初の王朝・三輪王朝)の伸長したものか、それとも全く別の新王朝が出現したのか、卑弥呼没後、中国史書から消えた倭国は未だ闇の中で、「闇の4世紀」と呼ばれている。前回から話が少し後戻りするが、この時期、新たに出現した墓制「前方後円墳」を中心にこの時代を手探りしてみよう。

54  まず、元々前方後円墳にも影響あったとされる「四隅突出形方丘墓」であるが、これはイヅモを中心に2世紀末頃出現し巨大化した墳墓である。唯、この古墳上での祖霊祭祀はイト国の平原一号墳との共通点を持っており、又瀬戸内の楯突墳丘墓との祭礼の共通点を持ちつつも、独自の出雲文化圏を作ったと思われる。まだまだ未発見の四隅突出墳墓が眠っていると思われる。

54_2  今一つ、纏向に前方後円墳が発生する頃、近畿以東、特に北陸、中部、関東方面には前方後方墳が発生している。これは前方後円墳の影響を受けてできたものでないかとも推測されている。纏向前方後円墳と同じく方丘長と前方部長の比率が2:1となっているからである。
 この方墳が分布している地域の土器が赤く塗られていることが特徴で、これは倭国の南部の熊本平野を中心とする中・南九州とも共通しており、当時の邪馬台国を中心とした勢力に対立した勢力圏、例えば狗奴国の勢力圏であったとする見方もある。但し、3世紀後半には関東は前方後円墳圏に変化してゆき、ヤマト政権の伸長を暗示する。
 尚、この時期、対外的には『倭国』は北部九州であり、ヤマト政権は未だ中国や半島からは認知されていない(中国の史書等に出現してない)。

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