« 山笠 奔る! | トップページ | 台風接近 »

2011年7月17日 (日)

倭国の興亡46: 投馬国と狗奴国の謎

 投馬国の所在ははっきりしない。倭人伝には「不弥国より南水行二十日」とあるが、方向が信用できないとして、「瀬戸内海のどこか」に比定されていることが多い。特に邪馬台国の纏向比定論者は、投馬国を吉備に比定している。戸数万戸以外の説明が一切ないので、これ以上の詮索は無駄である。

Photo_3    一方狗奴国「女王の境界の尽くる所なり、その南に狗奴国ありて、男子を王となし、その官に狗古智卑狗(クコチヒコ)あり、女王に属さず、云々」とあって、明らかに倭国に属さないとある。狗古智卑狗は菊池彦で熊本の王とする説がある。
 邪馬台国ヤマト説の大方は、この狗奴国を
伊勢湾から関東の間に存在したとの説が強く、邪馬台国九州説の殆どが熊本から日向辺りを主張している。
 両論ともそれなりの論を展開しての説明であるが、残念ながら物的証拠がある訳ではなく当時の周辺状況が明らかになり、「動かしがたい」証拠が出るのを待つより仕方ない。

 何れにしろ、交戦状態にあった卑弥呼は帯方郡に使者を送り救援を求め魏王朝は張政を遣わし、証書と黄幢(軍旗)を授けて檄文を告げ、倭国に大いに肩入れをしている。
 その最中、248年卑弥呼が死に、男王を立てるが「国中服さず。更々相誅殺し、千余人を殺す」と倭人伝は伝えている。そこで「卑弥呼の宗女「台与」を立てて王とし国中遂に定まる」とあるが、247年に来た張政を台与が大夫、率善中郎将に送らせているからこの間の混乱は短期であった筈である。
 そして、266年には西晋王朝に入貢し、台与の後の男王が晋王朝の爵命を受けているから、台与の治世は短かったようである。この間、狗奴国は多分日向の方へ退き男王の立った邪馬台国との戦闘は終焉している。
 これ以降の邪馬台国、狗奴国ともに中国史書には載らず、倭国は”闇の4世紀”へと入ってゆくことになる。 

|

« 山笠 奔る! | トップページ | 台風接近 »

古代史、邪馬台国」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/52229040

この記事へのトラックバック一覧です: 倭国の興亡46: 投馬国と狗奴国の謎:

« 山笠 奔る! | トップページ | 台風接近 »