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2011年7月29日 (金)

倭国の興亡49:半島のクニグニの成長:三韓時代

 当ブログ27、28回において、高句麗、百済、新羅、伽耶諸国の始祖たちの天孫降臨と建国神話を観た。しかし、現実にはクニグニが連合し部族国家を形成した三韓時代を経て、更に強力な首長のもとに統合されて三国時代へと進展してゆく。紀元前1世紀~4世紀ごろまでの話である。
 この頃倭国もヤマト政権が伸長し半島との関係も、初期的な交流からクニ同士の外交的交流へと変遷し、政治的にも深い関係となるので、半島の古代を見ておこう。先ず三韓の発生とその消長をみる。

Photo_2   古朝鮮が滅んだ前1世紀頃、東北アジア地域と漢江以南の地域には韓(ハン)族の小国家が成長していた。紀元前2~1世紀頃、漢江以南の小国家は馬韓、辰韓、弁韓の連盟体を形成した。
 『魏志』によると、馬韓は約50余国に分かれ、大国で1万余戸、小国で数千戸、計10万余戸だった。辰王は馬韓の月支国を統治し、諸国にはそれぞれ長帥
(チョウスイ)がいた。辰韓(及び弁韓)は24ヶ国で大国で4~5千戸、小国で6~7百戸、総数4万~5万戸だった。各国の渠帥がいた。
 これら、三韓は前4世紀から
鉄器文化を土台に、武器や農具を製作、使用し農業が発展・定着した。
 このような中で、
月支国の辰王は多くの小国の共立により王となり、三韓の地を併せ統治し、代々継承した。他にも伯済国、斯廬国、狗耶国が三韓地域の中心勢力として台頭し、伯済国は馬韓の50余国の一つだったが、馬韓を征服し、百済へと発展した。斯廬国は慶州で成長し新羅へ発展した。一方洛東江下流域の弁韓の有力国であった狗耶国六伽耶の中心国となったが、集権的な統一国家には発展しなかった

 三韓には政治的統治者である渠帥がいる国邑(ミヤコ)の脇に、天君(司祭者)が祭祀を捧げる蘇塗という別邑があり、大木を立て鈴と太鼓を懸けて、神聖な場所であることを示して農耕祭礼と宗教儀礼を主管した。しかし、宗教的な天君は君長の政治権力強化が進むにつれ、君長に隷属する立場となった。

 

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