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2011年6月 6日 (月)

倭国の興亡37: 首長霊の誕生から王権の確立へ

 200年頃、吉備に誕生した楯築墳丘墓は、後の前方後円墳と共通する要素を備え、最古の前方後円墳といわれる纏向型前方後円墳の原型と言われる。そして、前方後円墳に立ち並べられた円筒埴輪の起源ともいわれる巨大な特殊器台の壺(写真)が編み出された。「王の中の王」の死に際して、執り行われる秘儀で立て並べられ、儀式終了後破砕された。
Photo  この特殊器台の出現は、従前の銅鐸のマツリが終焉し、吉備では弥生後期末には特殊器台に変わったのである。そしてさらには3世紀後葉には円筒埴輪へと変貌するが、この変化はそれまで銅鐸が持っていた穀霊や共同体守護霊の強化という機能が、首長個人の霊力を増幅し、結果的に全体利益を守護する呪器に変貌したのだ。そして共同体守護霊は祖霊だから、穀霊と祖霊を融合した霊を首長が身に帯びた。首長の死は首長権の継承だけでなく、共同体全体の維持発展を守る最高の統合神が霊として新首長に継承されるのである。

 平原や西谷(出雲)の墓壙を覆う建物や柱は「秘儀」を執り行う目隠しだけではなく、悪霊や穢れから隔離し、霊継承のエネルギーを充満させる神聖な空間を作り上げるための結界だったと考えられる。
 したがって、霊の継承儀礼に使用された鏡、玉、特殊器台などを壊すのは、なき王の魂は祖霊となって新王と共同体を守るカミとなるためである。即ち継承のための呪器は、後戻りできない1回限りの秘儀を確実に成し遂げるためにも、破砕されねばならなかった。
 弥生時代の最後の王墓は、首長霊継承儀礼が新しく生みだされ、この儀式が前方後円墳の本質と新しい倭国の支配原理へと受け継がれて行くのである。そして、首長が王権を確立し、さらに大王へと変貌する一歩を踏み出した時期ともいえる。

  

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