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2011年6月12日 (日)

倭国の興亡38: ヤマト王権の誕生と王都纏向の出現

 纏向遺跡は奈良盆地東南の三輪山と巻向山に挟まれた小高い扇状地に、3世紀初めに突如として現れた。それ以前に存在した周辺の弥生環濠集落はこれ以降衰退或いは消滅した。
Photo_3   現在、一部しか発掘されてないが、巨大な運河が造成され、最盛期には1.5km四方に及ぶマチが建設され、後の藤原京や平城京に匹敵するもので、一昨年には巨大な宮殿かとみられる柱跡も見つかっている(写真は発掘時)。大規模な土木工事の痕跡も随所に窺われ、両岸をヒノキ矢板で護岸した巨大運河は2.6キロに及んでいる。纏向は難波津で外洋船から川船に乗り換え大和川、初瀬川と遡り、陸路に切り替えるもっとも奥まった港市だ。
Photo_4   土器は大量出土しているが、外部からの搬入土器が30%以上のところもあり、搬出元は南九州から南関東にまで及び、瀬戸内中・東部、山陰、北陸及び伊勢湾沿岸部からのものが多い。この範囲は3世紀倭国の推定範囲を超えている。
 2世紀末、勢力を保っていたイト国を盟主とする倭国、新たに勃興してきた出雲、吉備両国が近畿地方も含め、「倭国大乱」を収めて、出現した連合体”ヤマト”の中枢が置かれた王都と目されている。それが卑弥呼を盟主とする「邪馬台国」かどうかは議論がある。従来の部族的連合体とは異なり、異質の祭祀圏や利害相反する部族間を超えて新たな王権の元で、対外的に結束したもであろう。

 集住が進み、3世紀前葉から後葉にかけて、全長100mを超す前方後円墳が矢継ぎ早に築造され、「定型化前方後円墳」である箸墓古墳(全長280m)も築造された。この古墳の後円部にはキビの首長霊継承儀礼の特殊器台・壺が建てられ、キビの弧体文の系譜をひく木製・石製の呪具も見つかっている。
 書記には倭迹迹日百襲媛(ヤマトトトヒモモソヒメ)を箸墓に葬ったとあるが、これが卑弥呼でないか、いや神功皇后の墓でないかと議論されている。
 尚、纏向には実在したと言われる10代崇神(磯城瑞籬宮)、11代垂仁(纏向珠城宮)、12代景行(纏向日代宮)天皇の都宮が集中している。
 

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コメント

1度だけこの近辺を散策したことがあります。どんなパワーでヤマト連合体が作られたのでしょうね!

投稿: 自遊人 | 2011年6月13日 (月) 08時06分

 残念ながら、遺跡発掘により、可なり広範囲にわたる地域に及ぶ強い連合体であったろうと推定されるだけで、この時代の日本神話は充てにならず、中国史書にも、当時の倭国の詳細は伝わっていなかったようです。長年にわたる争乱に疲れた頃、やはり吉備と出雲の力(=鉄)が効いたものとみられています。

投稿: 山猿 | 2011年6月13日 (月) 08時59分

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