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2011年6月 2日 (木)

倭国の興亡36: 倭国乱の序章:イト国の興隆と没落

 弥生前期以来、大陸からの玄関口の港湾国家として発展したイト国は、紀元前後には前漢王朝の威光をで、ナ国と共に大”部族国家”として成長し、2世紀初め後漢王朝の威光を以て、帥升のイト国は倭国の盟主の立場に立った。
 その後も王都三雲は健在で、後期中頃から後葉のイトを支えた各国の王墓が福岡・前原ー糸島地域に点在し、その遺跡から複数の銅鏡、玉類、水銀朱などが出土している。中でも平原遺跡の王墓(後期末)からはイト国最後の女王とみられる多数の副葬品が出土した。
Photo  市井の考古学者として有名な原田大六氏が発掘を担当し、氏はこの1号墳を弥生古墳とと命名している。方格規矩四神鏡32面のうち6組14面もの同型鏡が知られており、2世紀末にまとめて入手し、副葬したと考えられている。入手先は中国にはない銘や様式の混乱、鋳造技術の稚拙さなどから、遼東で勢力を拡大しつつあった公孫氏や楽浪・帯方郡との外交入手が想定されている。
 再発掘で径70cm(高さ15mを予想)の柱穴が発見され、又大きな墓壙、掘立柱建物など発見され、祭殿や王の死に際しての秘儀が行われたことを推測させる。写真の連弧文鏡はこの時期世界最大と言われる直径46.5cmの倭製最古の大型鏡で、「記紀」の「八咫の鏡」とする考えもある。

 この頃の中国、遼東情勢は19回に概説したが、2世紀から3世紀にかけての後漢は混迷を極め、中でも184年紅巾の乱以降、倭国は正常な外交関係は保てていない。後ろ盾を失ったイト国に代わり盟主たらんとする国、鉄や舶来物の交易ををもくろむ国々など、辺境の倭国にまで影響を受け、「倭国乱」が訪れたのである。
 156鮮卑族を統合した壇石槐が北辺に侵攻し、又紅巾の乱等により帝国内部からの崩壊が始まった。「桓霊の間」(147-189年)はまさに後漢帝国没落への序章だった。結果前述のごとく、公孫氏(燕)が台頭してくるのである。   

 

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